休養日記

私は今、祖母の家にいる。
2週間滞在の予定で、もう残すところ1週間を切った。
祖母の家に到着してからというもの、私はものすごい量のおしゃべりを祖母にぶつけていると思う。
というのも、自分が年を重ねるごとに「この人によって私は育てられたな」と感じる部分が多く、なんでも話して自分が正しいかの答え合わせのような会話を求めてしまうのだ。

私は家庭の事情により、3歳から10歳までの7年間、朝起きてから夜お風呂に入るまでは祖父母の家、眠る間と休日のみ親の家という生活を送っていた。
その後、祖父母と両親が同居したため、いわゆるおばあちゃん子に育った。
両親と不仲というわけではないのだが、単純に過ごした時間の長さと、叱られた回数などで祖父母の価値観に近い思考になったのだと思う。

長く続けた一人暮らしをやめ、10月から実家に戻った。
祖父は10年前に亡くなり、私は7年前に家を出て、祖母は5年前から他府県に移り住んだ。そして私だけが戻ってきた。
もう私がいた頃の実家とはルールや暮らし方が大きく違っていた。

私の感覚としては、ずっと親戚の家に預けられているような、そんな気疲れがあるのだ。もちろん楽しい瞬間も多々ある。
それでも祖父母が家を仕切っていた時が、私にとっての実家だった。
そんなことを両親に言いはしないが、感じとってはいるかもしれない。

前置きは長くなったが、そんなこんなで祖母と2人でゆっくり過ごし、たくさん話をするこの時が、とても楽しい。

祖母は昔から私を子供扱いしすぎずに接してくれていたように思う。
子供にとっては酷に感じることもあったが、祖母にはしっかりと考えた上での発言を馬鹿にされることはないという安心感もあった。
子供の言うことだからと一蹴せずに、きちんと最後まで聞いた上で意見を述べてくれる。「それは間違っている」とはっきり言われることもあるが、決して「そんな事を言うあなたはおかしい」なんて人格ごと否定されることは無かった。
だから今も安心して会話ができるのだ。

ほんの数日前、祖母から「この何年かであなたはすごく大人になったと思う。話していてそう感じる」と言われた。
素直にとても嬉しいし、今この私に至れたのは祖父母のおかげである。
この1週間で色々と心境の変化はあったのだが、少しパーソナルな話になりすぎるので割愛する。が、その大半が結局祖父母の影響を受けている。

とにかくここまで1週間祖母と過ごして、眠っていた脳が目覚めたように、とても視界が明るいし、元気になった。考えるのも何もかも嫌になり、かといってネガティブな思考だけは止まらないというループをやっと抜け出せた。

仕事で体調を崩し、退職を決めたのがちょうど1年前の今頃で、その2ヶ月後の3月には休職せざるを得ない心身の状態だった。
そこから休職、退職を経て今に至るが、私がこうして祖母とゆったり過ごして前向きになるための伏線だったと思えば、本当に無駄なことはないんだと救われた気分になる。

まあまた考えは二転三転するかもしれないが、今このように思っていると記して置きたい気分だったため、休養日記とでも題して残しておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?