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女の悪徳についての話

匿名用アカウントさん長編note「女性とその社会性について」の感想です。なんだかんだ長文になってしまったのでnoteに投稿しました。全文無料で読めますので、もし気になったらぜひ匿名用アカウントさんの記事もご覧ください。

全体の感想

個別の話はさておき、まずはそのボリュームと内容の濃さに驚きました。さすがは匿名用アカウントさん、非常によくまとまっていて女性には社会や組織にコミットメントするベネフィットが無く、したがってその行動原理はあくまでも個人の短期的な利益を最大化する事に限定されるという事が、具体的な事例も含めてよくわかる。

note冒頭のサッカーをする女子生徒達がまさに象徴的で、グループとして利益や効率を最大化するよりも、自分の目の前にある利益や物事しか見えていないのだ。だからこそ団子になって目の前のボールをみんなで追いかけ、裏切者は排除する。目の前にあるリソースをどれだけ手に入れられるかの”損得感情”だけで動き、得していると見做された者を徹底的に糾弾し叩く、それが女の社会だ。

そしてそれは現代社会(文明社会)とは本来相容れないものである。

生物使わない機能をオミットする傾向があり、特にホモ・サピエンスは筋肉はおろか脳機能においてもしばらく使わないだけで衰える。女性も社会性を身に付けなければいけない状況に追い込まれれば、仕方なく社会性を身につけるかもしれないが、それはそもそも女性性に由来するものではありえない。

しかし、自らの娘を三人も殺めてしまったこの事件につくコメントを見る限り、現代社会において女性が教育されることはないだろう。

通常、子供を三人も殺してしまったなら死刑は免れないだろう。犯人が若い男性や中年だったらと考えればどんなコメントがつくか想像に難くない。しかし、犯人が母親だった場合は”夫が悪い””社会が悪い”の同情が寄せられることになる。こんなにも女性に責任を負わせられない社会では、女性をしばいて社会性を負わせることは不可能に近いだろう。

閑話休題

匿名用アカウントさんのこのnoteを読めば、女性に対する期待など持っている方が悪いとさえ思えてしまう。そして、それは自分の少ない経験からみてもまったくもってその通りだと首肯せざるを得ないのであった。


女性から見た男性社会(文明社会)

「目の前のボールをみんなで追いかけ、裏切者を徹底的に排除する」という女性社会から見れば、男性社会の”責任を取る”とか”社会的分業”や”信頼関係の構築”といったものが、全て抜け駆けに見えてしまうのだろう。

はっきり言ってしまえば、女性には文明を築く事が出来ない。

かつて流行ったコピペで、女性だけ無人島でのサバイバル番組をフェミニストの友達見るというものがあった。

何年か前、フェミニストのルームメイトとオランダ版の『サバイバー』を見て面白い経験をした。この番組は、二つの島に女だけのチームと男だけのチームに別れて、それぞれでサバイバルをするというものだった。フェミニストのルームメイトは、俺や他の学生達にこの番組について何週間も前から喧伝していた。彼女によると、「家父長制の悪から無縁の、女性によって治められた社会がどのようなものであるかを、この番組は見せてくれるでしょうよ」ということだった。そして、始まった。ああ、番組はそれを見せてくれた。番組はまず両グループがそれぞれの島に降ろされ、いくらかの食料や装備を渡され、あとは自力で生き残ってくれというものだった。両方のグループでまずチームの体制をどうするかで口論が起こった。それから男達は彼らが必要だと感じたことを何でもやっていくことにした。そこには命令を下すリーダーはいなかった。狩り、採集、漁が必要だと感じた男達はそれをやった。別の男は砂の上に座るのにうんざりしてベンチを作り始めた。他の男達は小屋を建てた。その小屋は徐々に大きく発展していった。別の男は毎晩調理をした。男達の島には数日の内に、小綺麗な文明が出来上がっていて、生活は日を追うごとに少しづつ豊かになっていった。女達も同様にルーチンに落ち着いた。タオルを乾かすための物干し竿を掛けた後は、日光浴と口論を始めた。男達とは違い、女達はグループ全体のコンセンサス無しには何もすることができなかったからだ。そして12人の女達の間でコンセンサスが得られることは一度も無かった。続く数回の放送の間に、女達は最初に与えられた食料を全部食べつくしてしまった。暴風雨で何度もびしょ濡れになり、砂ノミに喰われ、どんどんみじめになっていった。一方男達は非常に満足していた。もちろん意見の相違もあったが、それらは徐々に解決されていった。これをフェミニストのルームメイトと見るのは最高だった。彼女も始めのうちはこの男島と女島の違いをなんとか正当化しようとしていたけれど、その主張も段々弱くなっていった。結局、番組側が助け船を出すことを決めた。女達を助けるために、3人の男達が選ばれ女島に行くことになった。その代わりに、3人の女達が男島に行くことになった。この回を見ていた時のフェミニストのルームメイトの顔はプライスレスだった。選ばれた3人の男達も当然有頂天になっていたんだけど、彼らが女島に到着し女達に迎えられるまでだった。
「小屋はどこだ?」「小屋なんて無いわ」「食料は?」「全部食べちゃったわ」
それで結局3人の男達は犬のように働くことになった。彼らが最初の数週間のうちに試行錯誤して得たスキルを使って、小屋を建て、魚を捕った。女達にも食料探しをしてもらおうとしたが、女達は文句を言って日光浴を続けた。男島に送られた女達3人は喜びに満ちていた。食料もあるし、雨風をしのぐ小屋もある。男達からはチヤホヤしてもらえる。彼女達もまた日光浴を続けた。これこそが家父長制だ。元ルームメイトはフェミニストをやめたよ。

これらコピペはさすがに誇張されていると思うが現在配信中の「ザ・ネイキッド」でも似たような事態はたびたび起こっている。

文明社会における美徳とは、簡単に言えば社会を長期的に維持する為に構成員が行うべき自己犠牲の事であるが、短絡的かつ利己主義的でさらにそれを咎められることのない女性にとっては、美徳を行うインセンティブ自体が最初から存在しないのであって、文明社会とは女性の自由を奪う、目の上のたんこぶなのだ。(それがどれだけ快適であっても、維持には無関心)

繰り返しになるが、目の前のボールをみんなで追いかけ、裏切者は排除する。目の前にあるリソースをどれだけ手に入れられるかの”損得感情”だけで動き、得していると見做された者を徹底的に糾弾し叩く、そんな社会では社会的分業を行って拡大再生産を行う事は難しいだろう。どんなに努力をして成果を上げても、その分配に関して悪平等を強いられるのならば、努力するインセンティブがなくなるからだ。


プリンシパル=エージェント問題

ちょうど匿名用アカウントさんが海賊の話を引用しているので触れておこうと思うが、海賊は確かに命がけであった。しかし、海軍はもっと劣悪な環境で、ましてや商船の乗組員など現代のブラック労働がホワイトに見える状況だった。

海賊の経済学 ―見えざるフックの秘密 ピーター・T・リーソン https://www.amazon.co.jp/dp/475712242X/ref=cm_sw_r_tw_dp_2RJF0GW2K1BSVBZWJBHX

当時の海軍というのは人手が集まらないと、港町の酒場で酔っぱらいを拉致して無理やり船員にして何年も拘束した挙句にはるかかなたの海外に置いてけぼりにしたりもした(帰国費用を稼ぐために商船の船員になるか、海賊になるしかない)

そして商船というのは、荷主から運賃を取っていたり船を船主から借りている都合上、船員を安くすればするほど船長が儲かるシステムであった。よって船員の給料は可能な限り安くされ、劣悪な食事も食費として差し引かれ、何かあれば罰金や減給にされていき、給料がマイナスになることもざらであった。一般的な船員と、商船の船長では収入が数十倍も違う事になり、もちろん暴力なんて日常茶飯事である。(恨みをかっていた商船の船長は、海賊に襲撃された時に真っ先に処刑される)

それに比べて海賊は下っ端でも1回の襲撃で数年分の年収を稼ぐことが出来るし、海賊船の船長であっても下っ端との収入の差はせいぜい4~5倍程度で、それも酒や食料などの経費を含めてだ。

なぜ商船と海賊船でこれだけ構成員の扱いに差が出るのだろうか。それにはそれぞれのベネフィットが関係している。

商船の船長は、船員を出来るだけ安くこき使えば使うほど利益が出る。しかし、一般の船員からしたらどんなに頑張っても安くこき使われるので、出来るだけサボろうとする。すると当然船長と船員の取り分はかけ離れてしまう訳だ。経済学ではこの様に、雇用主と雇用者の利益がかけ離れてしまう事をプリンシパル=エージェント問題として扱っている。

一方の海賊船の場合は、船長も船員も目的は同じであり、リスクと利益を共有するので皆一丸となってよく働く事が出来るし、リスクの共有をしているからこそ、扱いに差を付け過ぎれば不満が生じるので、平等でわかりやすい誰でも従うべきルールというものが存在するのである。

この様な事は女性と社会についてもいえる。女性と文明社会は目的を異なっており、リスクと利益を共有しておらず、また性的魅力の差から生じる権力性によって、商船の船長の様に短絡的で利己主義的な振る舞いが許されるのである。

「男は階級を作り、女は身分を作る」

以上の二つを合わせると「社会に対して責任は負わないが、利益は平等」というのが女性の望む社会である事になる。人口の半分がこれではとても持続性のある社会の維持は難しいだろう。


「首から上にこそ性差がある」

匿名用アカウントさんのこのnoteでの最も大事な部分はこれだと思う。

フェミニズムの教義においては「首から上に性差はない」だが、現実はそうではない。人間の脳と各臓器や筋肉、骨などの細胞を情報伝達物質を使って相互作用を起こしている事が解っている、脳と肉体は不可分なのだ。

また、母性本能をつかさどる女性ホルモンのオキシトシンも、仲間と他者をより強く区別する働きがある事が解っている。オキシトシンの効果によって仲間内には優しくなり、赤の他人には冷たく働く、ましてや弱者男性には。

要するにフェミニズムとは、なんら科学的歴史的な事実に基づいた思想ではなく、短絡的かつ利己的な発想から生まれた”アンチ文明社会”の掛け声に過ぎないのだ。

だったらもう、巨人の家なんかぶち壊してしまえばいい。高いところに棚があるのがいけないのだから。彼女らはそう考える。つまりはそれがフェミニズムだ。

匿名用アカウントさんの巨人の家への例えは非常に的を得ている。フェミニストは巨人の家に住んでいる事に文句を言っているのに過ぎない。巨人の家が安全で快適である事に見て見ぬふりをしながら・・・

事実として女性と男性の首から上の違いを受け入れなくては、女性との付き合い方に混乱をきたすし、現代において非モテ男性が増えている事の要因の一つに「首から上に性差はない」という事実と異なる教育がはびこっている事もあるだろう。

男女の違いについては拙note「非モテと暴力性の話」を読んでいただければ幸いです。

https://note.com/kurinohayashi74/n/nf7106d379838


女の悪徳は保存される

ユリウス・カエサルが言ったとされる「どんなに悪いとされる事も、それがはじめられたそもそもの動機は善意である。」というのは本当だと思う。

とすれば「短期的」「利己的」「責任回避的」な女性の持つ性質はいかにして発生したのだろうか。おそらくここを突き詰めれば別のnoteが書けてしまうだろうから端的に「個体の生存に有利」であったからに他ならない。

ある群れがなんらかの要因(飢餓・疫病・戦争など)で全滅したとしても、「短期的」「利己的」「責任回避的」にふるまう事で生き延びる事が出来た可能性は高くなる。

男がいくら生き残っても個体数が増える事は無いが、女が多数生き残れば群れの数を増やすことは比較的容易である。また、女性に多少の欠点があったとて性的魅力には抗えないのが男というもので、悪徳は是正されることなく今日まで生き残ってきた。

これら悪徳が是正されるとしたら、やはり男児を産んで社会にコミットメントが生じた時、そして姑にしばかれた時だろう。

男児を産むことを通して、やっと彼女らの狭い視界に社会の断片が映るようになるのだ。

男児の母親となって初めて、目的とリスクと利益を文明社会と共有するというのは全く同意見である。

映画『ハウス・オブ・グッチ』で描かれているグッチ創業者グッチオ・グッチの孫、マウリツィオ・グッチの妻、パトリツィアはまさしく典型的な悪女だろう。もし、彼女が後継ぎとなる男児を産んでいれば展開はかなり異なったものになったように思われる(その能力を息子に注ぎ込むので善悪は別として)

結局、彼女は最後まで(現在でも)「短期的」「利己的」「責任回避的」にふるまい続け、刑務所に服役する事になるのだが、果たして一大ブランド企業を私物化し巨万の富を浪費した所で”幸福”であったのだろうか。


”女を幸せにする”アンチフェミニズムのススメ

”巨人の家”を嫌がってわがままばかり言って、結局自分自身をコントロールできずに不幸になっていく女性は枚挙にいとまがない。

しかも、自分自身の自業自得によるそれらを反省し改善することも、現代社会では難しい。なぜならここまで見てきたように文明社会は女の敵であるからだ。敵からの進言など、たとえどんなに利益があってもおいそれと受け入れられるものではないだろう。

また「短期的」「利己的」「責任回避的」な女性特有の傾向が、自分自身の反省をすることを妨げているし、さらに言えばフェミニズムは反省しない事を推奨している。まさしく「地獄への道は善意で舗装されている」としか言いようがない。幸福とは”足るを知る者は富む”という言葉の通り、現実とすり合わせ、現状への肯定に他ならないのだ。しかしフェミニズムは「足らぬ足らぬは、男社会が悪い」とでも言うかの如く、女性が不満を感じ不幸になるように推進している。(すもも師匠のアンケートにもよく表れている)

自由で豊かなほど生きづらい

フェミニズムがいかに女性を不幸に、生きづらくさせているかがはっきりと示された格好だと思う。

もちろん、現代社会においてアンチフェミニズムを大っぴらにやる事は難しいだろう、Dark市長が「男性の収入を増やすべきだ」といっただけで大騒ぎになったことは記憶に新しい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0b01ae8e3e4a566061f17c6e0af5240d3b5bdfca

フェミニズムは勝利した。「男は階級を作り、女は身分を作る」という理想を達成したのである。

匿名用アカウントさんも以下の様に言っている。

 結局、私から言えることに大きな違いはない。
 せめて今は個々人で、できることをやっていこう。
 それだけだ。

それに対する自分の答えはこうだ。

「男は努力しろ、女は弁えろ」

自分(男)は出来るだけの努力をする事は当然として、女のわがまま(フェミニズム)を叩く”慈悲的アンチフェミ”となる事。少なくとも身近な親族や非モテに悩み努力しようとする男には『方法論的女性蔑視』や『恋愛工学』を通じたアンチフェミニズムを叩き込むつもりだ。それは社会を動かせないだろうが、少なくとも身近な人々にとってはとても有意義な事である。

なぜならば『方法論的女性蔑視』を踏まえた行動の方が、女性の満足度や幸福感が明確に高いからだ。

女性を幸せにする為に ”家父長制Ver3.0” を始めようではないか。

男なら死ねい


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