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自分の幸せは自分で思い込む「努力」

私はいつも他人の芝生が青く見えていた。

実は、自分が出産するまでは、妊婦さんが宇宙人のように見えて気持ち悪く感じていた。出産前までは子供が嫌いだったことも理由のひとつだと思う。

そんな私が結婚、妊娠したものだから、どんどん大きくなるお腹がとにかく怖かった。(大きくならなければ困るのに)
初期と後期の辛い悪阻、胃への圧迫感で眠れない日々。お腹の重みで自分の思うように動けない。

産休に入るまで、リモートワークと出社を使い分けながらなんとか働いた。
駅からオフィスまでは、徒歩7分ほど。駅の階段を登り、そこからオフィスまでの真っ直ぐなアスファルトを、ふうふう言いながら歩いた。産休まであと何日、と数えながら。

お腹の中に自分の子がいるのに、体の不自由さ(冬だったのだが、黒いタイツを履くのも一苦労。歩くペースは亀並み)や胃への圧迫感から、毎日孤独を感じていた。この子を守れるのは私だけ、全て私の責任のように感じていた。
「二度と妊婦にはなりたくない。」
そう思っていた。

大きなお腹で独身の友達に会うと、細身の洋服や身軽な動きがとにかく羨ましかった。
かたや私は、ゆるやかな洋服に身を包み、後期悪阻もあったため外に出るのが怖くなっていた。

無事出産を終え、人間とは不思議なものでどんどん回復していく自分の体。母乳で育てていたため、すぐに元の体重に戻った。
「自分の体を取り戻した。」
そんな感覚だった。

育児中、大変なことはたくさんある。だけど、それ以上に子供の成長は愛おしく幸せなものだ。子供嫌いな私でさえ、子供はこんなに幸せを与えてくれるのかと思った。

ところが、しばらくすると、今度は妊婦さんが羨ましく見えるようになった。これから出産し、愛おしい子供の成長が見られるのかと。
妊娠中に会って妬ましく思った独身の友達の妊娠報告にも、おめでとうと言った心の奥に「羨ましい」と感じた自分に驚いた。どんどん大きくなるお腹、生まれて間もない子供を育てる幸せ...これから経験するなんてずるい、とさえ思った。

あぁ、そうか。私は常に他人が羨ましいんだ。

そう気付いたら、自分はなんて損をしているんだ!とやっと目が覚めた。
今いる自分の状況を楽しまなくてどうするんだ。1歳になった我が子のこれからの成長を楽しみたいし、今いる自分の環境を「幸せ」と自分が思わなくてどうするんだろうと。

努力せずとも感じられる「幸せ」はもちろんあるけれど、私のように常に他人を羨んでしまう場合、自分の「幸せ」を見失わないよう、努力する必要があるのだ。

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