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エッセイを書くと気張ったものはないけれど

 日記と名のつくものは、かれこれ小学生の頃から書いていた。学校でのことや日々の出来事、中学生になってからのブラックな内容まで色んなノートに書き散らし、数年後に見返してみては当時のことに思いを馳せていたように思う。
 このように書くと、まるで青春の苦悩を高尚に書いたように聞こえるが、全く正反対の内容になっている。そう、まさに文字通り書き殴ったような日記で、そうそれは黒歴史、ブラックオブ黒歴史なのである。
 思いを馳せていたというよりは悶絶していた。今でもうっかり実家に残してきていないかどうか、これを書きながら焦りを感じている。
 親や姉妹に見られていたら、もう私は正面向かって会話できないかもしれない。もうだめだ。恥ずかしさで心が砕けそう。

それらのノート類は既に捨ててしまった(黒歴史すぎて)けれども、あの時に日記というものがなければ私の考えとか当時感じていた事などは、今も自分の中に溜め込んでいたに違いない。
 そうなっていた場合には、私の気持ちは地獄の炎と化し、炎は周りのブラック歴史を巻き込み、さらに大きく昇華しどこかの星を一つ爆発させていたかもしれない。私は地球を救ったのだ。めでたしめでたし。

地球を救った私だが、新たに書くことにした。しかも今度はインターネッツを使って。
 なぜだ?答えは単純だ。文章を長く書くことができなくなったからである。
チャットで書くような短い文章はよく書くが、1000文字を超えるような文章を書きたいと思ったときに全く言葉が出てこない。これは今の私としては致命的な欠点だと考えている。それほどまでに書けない。書けないのは今のお仕事的に致命的である(と、思っている。人によるが少なくとも私はそう思っている)
 人に何かを伝えたいとか、思いの丈を聞いてほしいというものではない。100%自分のためである。
 色々悩んだ挙句、「エッセイを書けばなんとか長い文章も書けるようになるのでは?」と自分の脳みその掲示により、自分のために書くことにした。ネタ?そんな美味しいものはない。これから考える。タイミング?書きたいときに書くしかない。

願わくば数十年経った後にこの内容を見て悶絶せず、ワイングラスを掌で揺らしながら「こんなこともあったわウフフ」など思たらいいと思う。
そうでなければひっそりとこの内容もどこかに消えてしまうだろう。と思いながら書いている。

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