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准教授から民間の研究者になりました


この文章について

これは何のための文章かわかりません。表題は「アカデミアから民間」にしていたのですが,そんな実例はありすぎるので変えました。したがって,ただの自分アピールなんでしょう,きっと。

前の職場について

 僕はある研究所の准教授をやっていました。物理学者ですね。国立大学(法人)の先生と職制と待遇は同じですが,業務形態が少し違います。そこは,素粒子や原子核の実験ができる大きな施設で,粒子加速器という陽子や電子を照射できる巨大な装置の運用が業務内容に入ります。逆に,学部がないので授業の義務や大学運営に関する仕事(入試とか)はありません。

そこに就職した経緯や,その分野について

 僕は素粒子実験の分野で博士号をとりました。素粒子実験というのは,先述の加速器などで作られる粒子を標的に当てて,その衝突で散乱される粒子の方向やエネルギーを調べることで,未発見のより小さな粒子や構造を探索するという分野です。加速器と同様の分野に見えますが,実際には分業されていて「加速器を作って運転する側」と「標的に当たった粒子を観測する側」で,素粒子実験は後者にあたります。ですが,前者の加速器側のほうが面白そうに思えて,素粒子実験分野のポストには一切応募せずに,加速器分野の研究者として所謂ポスドクに採用されました。

助教時代

 素粒子実験と加速器は似ているところもあって,巨大な装置を使うということです(素粒子実験の検出器もそれなりの規模です。)こういう巨大な装置は,研究者が協力して開発設計から運用までを行います。したがって,パーマネント職員になる方法として,筆頭著者の論文以外にも「この装置の電子回路を設計したのは○○さんだ」とか「このデータ解析でリーダーシップをとっているのは○○さんだ」というのが大事で,実際,私もそういう風にしてパーマネント職員になりました。
 そんなわけで当時は,論文よりも担当している加速器の性能向上に貢献したほうが,関係者から喜ばれる(評価される)という気持ちがありました。そこで「加速器に使う電磁石の電源」という,やったこともないし,誰もやりたがらない仕事に手を挙げました。グループが担当していた加速器の性能向上に一番重要な装置だったからです。ただ,科学者ですから,発注業務や工程管理だけなら手は挙げません。電源の開発にはパワーエレクトロニクス(パワエレ)の知識が必要で,そのころ,HVは完全に普及し,EVも出始めたころで電動化技術というキーワードのキャリアパスが増えると思ったのです。しかも,震災で1年加速器が止まっていた時期で,パワエレの教科書に載っている回路を作ったりだとか,マイコンやFPGAを買って変な制御を入れたりだとか,専門家がいないので車輪の再発明をたくさんやりました(これがよかった!)。そんなこんなで無茶苦茶やっていたら,そのうち軌道に乗り始めて,メンバーも何人かつけてくれるようになりました。2016年には新型の電磁石電源の1号機を導入することができて,その結果で准教授になることもできました。

准教授になってから

 自分で「関係者に喜ばれて認められたい」という選択をしてほぼ想定通りだったにも関わらず,「研究者としても認められたい」と思うようになりました。特に恥じてはいませんが,自分が欲深い人間なんだと再確認しました。そこで,加速器物理で何か一つ実績を作ることを目指しました。「加速器中のたくさんの粒子の動きを計算するシミュレーションが遅い」ということに着目し,並列計算プログラミングと加速器物理を猛勉強してGPU上で動くシミュレーションコードを作りました。論文も出すことができたし,学会発表することで,加速器物理の理論をやっている学者と話ができるようになりました。何もかも上手くいっていたのですが,その時はすでに電磁石グループのリーダーでしたので、開発した電磁石電源のインストール作業および普段の電磁石の運用の責任がありました。例えば,「電源のブレーカーが落ちてビーム運転が止まった」とかで,昼夜休日問わず必ず連絡がきますし,原因究明の指揮とユーザーへの説明などをする必要があります。研究が楽しくなってきたために,大切な職務が面倒になりました。無責任そうに見えますが,そういう運用上の業務は他の研究者よりやってきたほうです。しかし,ここにきてとうとう「飽きて」しまいました。

転職活動

 それでも,続けられるだけの気力はあったと思います。適当にサボったり人に任せるのも上手いと思っていますから。ただ,「勉強量と度胸で新しい分野に挑戦していく」というのが僕の強みなので,「ブレーカーが落ちた原因究明」とか「インストール作業の工程管理」などは適任ではないと思い始めました。しかし,グループリーダーをやっている以上はその責任は放棄できません。思考の末,「どうせ猛勉強するのだから,やめて新しいことをやればいいじゃん」という結論に達しました。ただ,素人だけでやってきたパワエレやGPUプログラミングでアカデミアに入れてもらえるだけの実績はありません。一方,実際に電源もシミュレーターも作って使うところまでやっているので,民間なら採用してくれるかもしれないと思ったり,特にパワエレなどは産業に近いので民間のほうが面白いことやっているかもと思いました。そんな感じで,「パワエレ」と「GPU」で別々のメーカーの研究所の面接を受けました。

転職

 両方から内定をもらうことができて待遇も同程度でしたので迷いましたが,「パワエレ」の研究開発をとりました。GPUプログラミングに関してはAWSを使ってやっていたし,世の中的に副業が解禁される方向なので,団体に所属していなくてもいずれやれそうな気がしたからです。今の職場でやっている内容は,論文や特許を出すまではあまり言えませんが,EV関連の研究開発をやっています。例によってまた猛勉強してます。
 転職してよかったとか悪かったとかそういう概念はあまり持っておらず,その時したいことをこれからも選択しつづけていきたいと思います。

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