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英語で話すということ

 私がアメリカに渡ったのは19歳の時。それが何年経った頃にやっと不自由なく英語を話せるようになったでしょうか。ベーシストなのでサイドマンなことが多かったので、観客の前でマイクを持って英語で話すということがほぼありませんでした。それができるようになったのはつい最近なような気がします。しかもいつもすごく緊張していました。Jazz Standardというジャズクラブであった子供用のショーではリーダーの気まぐれで私にマイクが回ってくることもありました。その度にドキドキ。子供はシビアだから私の変な英語通じなかったら…とよく心配していました。

 アメリカに渡る前は何年も英会話を習っていたので、自分は英語ができる!と思い込んでいました。だからバークリーに入学した時も語学学校へ行かずに、直接現地校へ突入していったのです。まず現地に着いて最初にびっくりしたのが、マクドナルドでの注文の時。とりあえず馴染みのある価格と味を求めてお店に入ったのはいいのですが、全然違う!店員さんの態度のでかさとあのぶっきらぼうな感じ、一発で怖じ気づいてしまった日本人小娘でした。思い切って注文をしてみたのにも「何?!」とブチ切れられるし。もう泣きそうで、結局くちゃくちゃの紙袋に乱雑に入ったハンバーガーを受け取った記憶があります。

 クラスに行っても、ハーモニーのクラスかなんかで先生の口の早さに唖然。「この問題は。。。クリコ!なんだと思う?」と当てられ、当てられたところまではわかったけど、質問の意味がわからない。一度なんて言ったのか聞き返してみるも、わからず。もう一度聞いてみたらこの場がしらけるだろう。チャンスはもう終わった。。。と何も答えられずに無言で頭が真っ白になっていた時、小学校の算数の時間に当てられてわからず無言で涙目で立ち尽くしていた頃とダブリました。

そう、日本で英会話の先生達はみんな私にわかりやすいようにゆっくり話してくれていたんだ!と、悟ったのです。自分は英語ができるだなんて過信していた大バカものでした。確かに今、日本の英会話番組を見ても実際にあんな喋り方をしている外国人どこにもいません。「マイネ〜ムイ〜ズ」なんて言いません。わかりやすく話してくれているのは親切ですが、私の場合、そのギャップに完全にやられました。

 それから数年が経ち、ようやく英語の生活にも慣れてきました。でもまだまだ流暢に喋れるわけでは全然ありませんでした。他の国から来た友達と仲良くなってお互いコミュニケーションをとるということも日常的にしてきて楽しくもなってきて英語も生活の一部になってきたのはその頃からだと思います。やっぱり使っていかないと覚えていかないものですね。

 ミュージシャン一本で生きてきた学生時代は音楽の専門用語と日常英会話くらいが必要だったけど、それが一転、結婚して子供ができると急にアメリカ社会との繋がりを感じました。私生活でもクレジット会社に電話とか、幼稚園に電話とか病院に電話とか色々な生活に必要な電話をして生きてきました。みんな容赦無くペラペラ話してくるので大変です。わからない時はわかったふりをしないで、もう一度言ってくれという勇気も備わってきました。特に仕事以外の電話でのやり取りは最近まで苦手でした。さっきまでペラペラ喋ってたか思うと、急に「日本人なのでもっとゆっくり話してもらえますか?」と言ってみたり、相手も?って感じだったとは思いますが、わかったふりして何か変なものを契約してしまっても嫌なのですものね。

 音楽仲間とはもう何不自由なく話せるようになったのですが、妊娠して病院通いになり、さらには手術をしなくてはいけないことになり、未知なるボキャブラリー達がたくさん出現してそれもまた自分を大きく成長させてくれたものになりました。授業でわかるわからない以前に今回は全身麻酔されて命をあの人たちに預けるのだから、ドクターが何を言っているのかを100%わかっていないといけないのです。色々同意書(死んでも訴えません的な)にサインもしないといけなくなるから、命がけ。そのお陰でかなり語学力というのか、度胸がついたと思います。

 そうなのです。英語を話すということの大事なことは、そこ。度胸なのです。長年アメリカにいて数年前にようやく気がつきました。ひょっとしたら私が言っていることは間違えてなかったのではないか?よく聞き返されていたので、私の英語がめちゃくちゃなのだ、とひるんで縮こまっていたけど、それはただ度胸がなくって声が小さかったから。もしかして声が小さすぎて聞こえなかったから、何度も聞き返されていたのかも!日本人は腹式呼吸で発声をせず、口先だけで発声をする文化だということをボーカルレッスンを取っていた時に学びました。口をしっかり開けずにモゴモゴと話すから更に英語も聞き取りにくいのかもしれませんね。

 あと、発音に長い間コンプレックスを持っていた私。どうしてもネイティブのように話せるようになれない。耳で覚えていることも多いから、その時仲よかった外国人のなまった発音を知らぬ間にコピーしてしまって、それに言い回しをテレビなどで学んだものを混ぜ込んで、日本人特有の訛りとミックスされ、『久里子英語』の完成です。同じように在米歴20年選手の大輔も強いアクセントがあるのですが、仲のいいアメリカ人の友人に「二人のその訛りは無くしてはいけない。その訛りは『君』だから素敵なものだから大切にしたほうがいい」と言ってくれて、なるほど。と思いました。確かに。生活していく分には伝われば事足りるし、個性を大事にするって素晴らしいことなのかも。彼のその言葉が私を大きく変えてくれました。自分らしく生きること。とても大事なとても素敵なことですね。

 今では英語を話すのがもっと大好きになり、チャンスさえあればペラペラ必要以上にくっちゃべっていますが、今度は日本語が変との指摘が。やはり日本の文化から遠のいていたのと、英語のリズムと日本語のリズムは違うので出るみたいですね。。。まあ、いっか。個性を大事に。私はこういうキャラで確立していきたいと思います。だってこうやって生きてきたんだもん。人と違って面白いんじゃないかなって。最近は日本語変〜て言われても胸を張って褒め言葉なんだ〜って受け止めています。

 

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