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「ヒット祈願」企画は必要か? ~【櫻坂46】アーティスト要素の強化~

 坂道アイドルの番組では、シングルが発売される度に「ヒット祈願」企画が恒例となっている。
 過酷な内容に挑戦することで、ふだん表に出てこないメンバーの一面が観られることもあり、人気のある企画である。
 自分も、乃木坂46や日向坂46の冠番組で、メンバーの皆さんが難題に取り組み、達成されていくのを観て、胸が熱くなったことを思い出す。

 ヒット祈願以降、それまでとは異なる面が出たことによって、グループ内でさらに輝きを増したメンバーも数多く観てきた。
 ヒット祈願で激変したメンバーとして、あえて一例をあげるとすると、マカオバンジーをやり遂げた西野七瀬さんが上げられるだろう。「気づいたら片思い」で初センターとなった西野さんがマカオ・タワー(223m)からバンジージャンプをするという企画だったのだが、観ているこちらまで高所から来る恐怖でぞわぞわするくらい恐ろしい挑戦だった。
 西野さん自身も、後日・・・

今、見ても私、涙出そうになるんですよ。自分で見ても。怖かったですね。でもあれやってから180度、“サンって”変わったので、割とオススメかなとは思います。変わりたいって人にはオススメかもしれない。

と語っているくらい、人生最大の転換点であったようだ。彼女のその後の活躍は、もう話す必要もないだろう。

 メンバー全員が一丸となって、駅伝やドラゴンボート、ワンカットMV撮影、チアリーディングなどに挑戦してきた日向坂46のヒット祈願も、毎回話題となり、感動を呼んでいる。
 坂道グループ内でも、明るくてポップな楽曲を披露し、ハッピーオーラをふりまいている彼女たちが、忙しい合間をぬって、全力投球で課題に取り組む姿は、本当に力強く美しい。

 それと比較すると、欅坂けやきざか46時代には、過酷な課題を行う形のヒット祈願企画は、ほとんど実施されなかった。記憶が間違っていなければ、身体を張る形の課題は、8th『黒い羊』の時に行われた、極寒の滝行くらいだったように思う。
 この違いは、どこから来るのだろうか。
 外から知ることができる情報だけで判断しているので、実際とは異なる可能性が高いが、あえて言えば、各グループのコンセプトの違いから、この企画への取り組み方が異なっているように思う。

 『乃木坂46』=清楚、可憐
 『日向坂46』=明るい、元気いっぱい、ハッピー

 このように、世間に対して、ポジティブな印象を与えている2つのグループと比べて、欅坂46は、「大人や社会への反抗、ロックな生き様」という、どちらかと言うと、生きていくことが大変で、そのもがき苦しむ様子を見せることで共感を得てきたという印象がある。

 「ヒット祈願」という企画は、ふだんは見せないメンバーの一面を披露することで成り立つものであり、いわゆる「世間の印象とのギャップ」が一番の魅力となる。
 そのため、ふだんの生活ではなかなか経験できないような克服困難と思える課題が与えられることが多い。
 その視点で見ていくと、欅坂46が世間に対して披露している「苦しい状況でも、それに抗い、力強く全身全霊でパフォーマンスしている」という面に対して、どのような姿がギャップとなるのだろうか。
 必然的に、乃木坂や日向坂とは異なる「明るく楽しくハッピー」な企画でなければ、ギャップが生まれないことになる。これでは、いわゆるアイドル番組の「ヒット祈願」企画にはならないだろう。
 ここでも、今までのアイドルが経てきた「過酷なヒット祈願」という企画が、そのままの形では当てはまらない彼女たちの特異性がみえてくる。

 さて、櫻坂さくらざか46となってからは、どうだろう。
 1st『Nobody's fault』では「金峰山登山」、2nd『BAN』では「禅寺修行」という形で、ヒット祈願企画が行われた。次回の3rd『流れ弾』では「空中ブランコ」となるらしい。
 いわゆる王道アイドルが行ってきた「ヒット祈願」内容と同じ流れである。このことは、改名してから、グループコンセプトを変えてきていることと関係しているのかもしれない。

 以前にも書いたことだが、「バラエティー力が上がったことが、パフォーマンスから受ける印象の希薄さにつながっていないだろうか」という疑問について、未だにずっと考え続けている。

 この「ヒット祈願の内容が過酷なものに変化していること」が、「今までのアイドルが辿ってきた道を進むこと」につながるようであれば、その変化は、余り歓迎できるものではない。
 坂道グループの中にあって、アーティスト要素を強く前面に打ち出して、パフォーマンスやライブに全身全霊で打ち込む、ある意味ロックな姿を見せ続けることこそが、櫻坂46を広く世間に知らしめることにつながるのではないかと考えているからだ。
 これは、欅坂46時代が良かったというような単なる懐古趣味ではない。
 彼女たちの実力をもってすれば、より高いステージに到達できることを信じているからこそ、バラエティーよりパフォーマンスに時間を割いてほしいと願ってしまうのだ。
 楽曲を1人でも多くの方々に届けたいという彼女たちの願いは、パフォーマンスをすることで、最もよく成就できるはずである。
 そこに、「ヒット祈願」が介在する余地は残っていないように感じるのだが、いかがだろうか。

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