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「僕のジレンマ」は卒業曲ではない? ~【櫻坂46】グループ愛を貫いた彼女らしい選択~

今日の「レコメン」でも、理佐さんのセンター曲「僕のジレンマ」がフルサイズで流された。
昨日の「こち星」で初解禁されてから、繰り返し、「五月雨よ」と「僕のジレンマ」を聴いているのだが、やはり何回聴き直しても、「僕のジレンマ」の主人公は「旅立ちを止め、残ること」を選択をしている。
通常、理佐さん位のキャリアがあれば、秋元さんから卒業曲が与えられることが多いため、今回の楽曲もそのつもりで聴いていた。
しかし、歌詞を読めば読むほど、何か違和感ばかりが膨らんでしまう。
昨日は、そんな卒業曲らしからぬ歌詞について書いてみたのだが、この謎がずっと頭から離れることはなかった。

ファンの間では、「僕が僕でいるために僕じゃなくなる」という歌詞をみて、「欅坂46から櫻坂46へと改名した時期のこと」を表しているのではないかという意見もあった。
確かに、そのように読んでいくと納得できる部分もある。
それでも、何かしっくりこないものが残る。

この謎は、これからのインタビューなどで楽曲の意味が語られることで、判明していくのだろう。とりあえず、新しい情報が来るまで、一時棚上げにしておこうと考えていた。

それでも、しつこく「僕のジレンマ」を聴いていた時、ふと「この曲は、いわゆる卒業曲ではないのかもしれない」という考えが浮かんできた。

櫻坂46は、まだ2年目の若いグループである。
今回のシングルを含めても、まだ4枚しかリリースしていない。
アルバムもなく、オリジナル曲がかなり少ないという現状の中、理佐さんに当て書きされた卒業曲を残してしまうとどうなるだろうか。
ただでさえ少ないレパートリーの中に、余り披露されることがない楽曲が残されることになる。
それを櫻坂46から卒業するメンバーが、代々センターを務めて、旅立つというパターンを作るのもよいかもしれないのだが、それはそれで、今までの先輩たちがそうしてもらったように、自分に当て書きされた楽曲で卒業したいというメンバーも出てくるだろう。
どちらにしても、扱いが非常に難しい楽曲が出来てしまうことだけは確かだろう。
今の櫻坂46には、そのような余裕はない。
年間でリリースされるシングルが抑えられている中で、ただの1曲も無駄にできないのだ。

そう思いながら、歌詞を読み直してみると、ジレンマに陥っている主人公の気持ちに寄り添った、非常に優しいものとなっていることに気がつく。
卒業を控えた理佐さんがセンターをするということで、勝手に卒業曲と考えていたのだが、その思い込みを捨てて、素直に楽曲を聴いていくと、「たくさん悩んで、ジタバタしていいんだよ」という、実に櫻坂46らしい応援曲となっているのだ。
このメッセージは、「五月雨よ」にも通じるものと言えるだろう。
「五月雨よ」の主人公も、恋に思い悩み、一歩を踏み出せずにいるからだ。

理佐さんがセンターを務め、全員が参加しているということで、当然、理佐さんと原田さんの卒業を意識した楽曲であることは確かだが、いわゆる「卒業曲」ではないのだろう。
このことは、生駒さんが卒業する時に「シンクロニシティ」のセンターを辞退して、あえて裏センターについたエピソードに似たものを感じる。
生駒さんがセンターを辞退した理由として、彼女の発言を要約すると次のようなものとなる。

・長く歌い継がれる曲にして欲しかった。
・自分は6回もセンターをしているので、もう十分である。
・「卒業シングルでセンターを務める」という流れを変えたい。

日刊スポーツ「生駒里奈「卒業シングル」でセンター打診断っていた」より

今回の理佐さんは、センターになること自体は断っていないが、楽曲については、「長く歌い継がれるものとなることを望んでいる」のは間違いないだろう。

non・no専属モデルとして活躍している時も、常に「グループに貢献できる自分」であることを最優先に考えてきた。
それは、今、「カーテンズ」で奮闘している菅井さんも同じだろう。
彼女たちが、いつもグループのことを考えながら、個人の仕事に取り組んできていることは、その発言や打ち込む姿勢を見てもわかる。

どちらにしても、「僕のジレンマ」で、凜とした美しいセンター像を見せながら、何事もなかったかのように旅立っていく「後ろ姿」に、ファンやメンバーがシビれることだけは確かである。

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