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KEYAKIイズムとは ~欅坂46からの系譜②~

第2回 運命の1日

欅坂けやきざか46とTAKAHIRO氏との出会いは、全くの偶然がもたらした出来事に見えて、実は必然であったのかもしれない。
アメリカから帰国して、色々なジャンルに挑戦したいと考えていた彼のところに、新しく結成されたアイドルグループのデビュー曲を振り付けて欲しいというオファーが舞い込んできた。
何色にも染まっていないアイドルグループに、彼自身が色をつけていくのだ。これほど、クリエイティブな体験は無いだろう。しかしながら、その当時、沢山のオファーがあったことから、スケジュールはいっぱいの状態であったという。
それにも関わらず、MV撮影のタイミングだけ、ぽっかりとスケジュールが空いていた。
しかも、MV撮影の場所が借りられるのも、その日だけ。
まさに、全てが「その日」にタイミングを合わせるかのように調っていたのだ。

この奇跡のような出来事については、TAKAHIRO氏もラジオやTVで、何度も話をしている。神の采配とも言えるこのタイミングに、本当に驚いたのだろう。その当時のことを語るTAKAHIRO氏の言葉と興奮に、こちらまで熱くなったのを思い出す。
TAKAHIRO氏の著書『ゼロは最強』(光文社)でも、その出会いについて、以下のように述べている。

彼女たちとの仕事はまさにゼロからのスタートだった。
まったくのゼロからグループの駆け出しに携われる機会なんてそうはないだろうし、グループ初めの世界観作りに参加させていただけることへワクワクを感じた。同事に、強い責任感を覚えた。

TAKAHIRO著『ゼロは最強』(光文社)

そして、運営から、どんなオファーを受けたかについても書かれている。
まだデモテープの状態であった『サイレントマジョリティー』を聞かされ、

 ■彼女たちは意思のある子なのだ。
  その意思の強さを見せたい。
 ■彼女たちの一糸乱れぬ動きを見せたい。
 ■この子たちは自分で切り拓いていく
  グループになると思います。

TAKAHIRO著『ゼロは最強』(光文社)

以上のような3つのテーマを受け、「何か新しいものを切り拓こうとしている。ここから道が開くんだ!」と強く感じたらしい。
そして、「自分が渡せるものは全て渡すぞ!」という気持ちで取り組むことを決意したようだ。

心血を注いで打ち込み、マドンナやマイケルジャクソンに認められるレベルにまで到達した世界的ダンサー=TAKAHIRO氏が、ダンスの真髄を余すところなく教えているのであるから、その後の欅坂46の活躍は、この時から約束されていたようなものである。
TAKAHIRO氏が、ダンス経験者も少なく、歌や楽器すらも余り経験してこなかったメンバーが多いグループを相手に、基礎から、根気強く指導をしていったことは有名な話である。
ニューシングルのリリースごとに、新しいダンスに挑戦し、4thシングル『不協和音』の頃には、世間にも唯一無二のアイドルグループとして認知されるようになっていた。 (次回につづく) 

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