乗り鉄☆たびきっぷでめぐる 東海のローカル私鉄と第3セクター線 養老鉄道と樽見鉄道
岐阜県西濃地域の中心都市大垣市の大垣駅で交わるこの2線。揖斐~大垣~桑名を結ぶ養老鉄道と、大垣~樽見を結ぶのが樽見鉄道。大垣駅は鉄道旅行好きなら誰でも思い出があると思うけど、そこから18きっぷも使えないこの路線まで足を運ぶのは本当にモノ好きしかいないと思う。
養老鉄道 養老線
三重県桑名市揖斐川西岸、養老山地に沿って北上、養老町、西大垣駅、揖斐駅の57.5kmを結ぶ全線単線の路線。後述の通り早期に電化している。桑名と大垣を結ぶとは言っても特急等はないので長距離連絡は想定されていないので、基本的にはローカル利用のもの。路線名である養老とは、養老町のとであの居酒屋の名前の由来である養老の滝がある場所。
名古屋から大垣方面へは東海道線、桑名方面は関西本線の幹線が開通。1910年におなじみの軽便鉄道法制定により、元々大垣は揖斐川を使った水運の拠点でもあり、伊勢湾の工業港湾都市の四日市と日本海側を最短で結べるように計画され、1913年に北は池野、南は養老まで、1919年には揖斐~桑名の全線開通した。この後紆余曲折の歴史を歩む。まず1922年電化を目指し揖斐川で発電事業をしている揖斐川電気に合併され電化を達成。1929年には津や伊勢方面拠点に南北へ路線を拡大しつつある伊勢電気鉄道(のちの近鉄)に吸収され、四日市への延伸とともに伊勢方面へも直通されるようになった。
その後、伊勢電気鉄道から再度分離したものの、戦時中この周辺の私鉄は軒並み近鉄としてまとめられることになる。戦後、通勤需要の増加、観光路線として一定の需要を維持するも主要都市から離れた単線のローカル線は変わらず厳しい状況となる。結局、近鉄の経営再建のため、2007年に子会社化した養老鉄道株式会社へ分離されることとなる。現在は、養老鉄道が近鉄から譲渡された線路等の施設を保有し、運転や営業は沿線自治体の補助等を受ける養老鉄道管理機構が行うほぼ第三セクター形式の路線となっている。
ちなみに養老鉄道にゆかりのある揖斐川電気は、発電事業から派生して電気を大量に消費する窒素化学製品や石灰化学製品などの電気化学工業製品として台頭しイビデン株式会社となる。今では半導体IC基盤の世界トップメーカー、イビデンなくして世界中のPCが成り立たないレベルの企業となっている。大垣市の工業製品出荷額の3割を占める企業・事業群となっている。
樽見鉄道 樽見線
国鉄末期に廃線対象となった国鉄樽見線を引き継ぐ形で、本巣からセメント輸送をしていた住友大阪セメントや沿線自治体の出資により引き継がれた第三セクターの路線。大垣から樽見の34.5km、非電化単線のローカル線。
元々は鉄道建設公団が戦後に計画した大垣と金沢を結ぶ路線計画の先行開業した部分。1956年に大垣駅から谷汲口駅、1956年には美濃神海駅までが開通。としたのもすでにモータリゼーションのさなか、その先の工事は続けられていたものの金沢まで結ぶなんて異次元の夢で赤字が続いていた。早々の1981年に廃線・バス転換等の対象となる特定地方交通線に選定さることとなる。存続方式が議論され、1984年に樽見鉄道株式会社設立、移管された。
その後、沿線自治体の利用促進策によって一定の成果が得られたことで、工事が停まっていた樽見までの区間の延伸工事が再開され1989年、現在の大垣~樽見の区間が全通した。しかし2006年に住友大阪セメントのセメント輸送が無くなり、経営は一層厳しい状況が続いている。
典型的なローカル線で朝夕ラッシュ時間帯は大垣駅への通勤通学利用者向けに20分に1本まで増えるけど、昼間は2時間空くこともある。半分が本巣駅までの区間列車で、実際乗り鉄以外のほとんどが本巣駅・織部駅で降りて行きました。本巣も元も岐阜市内へのつながりが強い地域なので、なぜ大垣からこのルートを通ったのかも謎(セメント輸送の利便性はあるものの)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?