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秋田北部の鉱山と廃線巡り 大館・小坂・鹿角


大館

JR乗りつぶしの旅で一瞬通り過ぎた大館駅。駅前広場を廃線跡が横切っている上に、駅舎に一目惚れしてしまい再訪せねばと思っていました。よくよく調べてみると大館のある秋田県北部は日本有数の鉱業地帯だっとのこと。

明治期に藤田財閥(のち同和鉱業、DOWAホールディングス)により近代的な鉱山開発がすすめられ、大館駅と隣の小坂町と小坂鉱山を結ぶ小坂線が1908年に、大館北部の花岡鉱山を結ぶ花岡線が1915年に開業、大館駅は貨物ターミナルとなり鉱山から産出される銅や鉛などの鉱物を日本中へ出荷していた。

元々小坂線と花岡線は日本各地の鉄道路線よろしく物を運ぶことに重きが置かれていて旅客列車は合間を縫って細々と運行されていた。その後、自動車の普及、新興国の大規模鉱山開発による日本の鉱業の衰退により、1985年に花岡線が廃線、1994年には小坂線の旅客営業が終了、2008年までに貨物運行も廃止された。

未来に残したい国鉄駅舎10選(適当)の筆頭だったのに、壊されててショック。没個性駅舎になってしまう。
1年前の姿。残念です。
大館駅前の旧貨物ターミナル用地は観光交流施設の秋田犬の里が開業している。秋田犬にも触れあえるみたい。
大館は秋田犬の故郷繋がりで、ハチ公前にあった東急5000系通称青がえる電車が譲渡された。
これが小坂線・花岡線のターミナル駅跡。
花岡線の線路跡。
JR線の跨線橋。
花岡線途中駅の松峯駅。
終点だった花岡駅手前。うっすら線路跡がわかる。
花岡鉱山にある同和鉱業の事業所。
銅山の宿命で禿げ上がった鉱山跡地

小坂線廃線跡と小坂レールパーク

小坂線はほぼすべての区間で線路が残った状態で放置されている。途中小雪沢駅近辺は、線路の上を足漕ぎで走れるレールバイクコースとして利用されている。

大館市街地から真東に進む


小坂駅跡は小さな鉄道博物館の小坂鉄道レールパークとして公開されている。廃線直前まで貨物を運んでいた機関車が展示されているほか、ブルートレインに宿泊もできるよう。

DD131・DD132・DD133型、急こう配の小坂線で重い鉱物を運べるよう3連結して運行していた。
宿泊できるブルートレイン、メンテ中でした。
1994年廃線時まで走っていたキハ2100系

小坂鉱山

小坂では江戸時代以降小坂鉱山から産出される黒鉱から銀を製錬していたが、明治になると明治政府がドイツ人鉱業技術者のクルト・ネットーを招聘し、藤田財閥に払下げられ小坂鉱山は近代化を進めていく。1905年には秋田県で初めて電気利用が始まり、1907年には金・銀・銅で日本一の産出量を達成、その後も日本一の銅の生産拠点となっていた。現代では小坂鉱山は閉山したものの、都市鉱山と呼ばれる電化製品からの有用鉱物のリサイクル製錬事業へ転換している。

市中心部に移設・再建された小坂鉱山事務所。オリエンタルな要素を取り入れた明治建築として重要文化財に登録されている。
螺旋階段がオシャ
小坂駅の隣駅の旧古館駅
小坂鉱山の山神でもある山神社。
境内から見下ろす小坂製錬の事業所。
反対側は旧鉱山側。
事業所内を県道が横切っているのがいい。

鹿角市 尾去沢鉱山

1300年前には金を産出していたとの伝記もあり、奈良の大仏、平泉の金色堂などに使われたともいわれている。江戸時代には南部藩が経営、明治に三菱財閥によって開発がすすめられ、前述の小坂鉱山と同じように銅を中心に、金・銀や鉛などを産出していた。新興国での大規模な鉱山開発による価格下落により採算が悪化し、1978年に閉山され、こちらは観光地化している。

各地の鉱山を観光してきたけど、この尾去沢鉱山で解放されている坑道はかなりの規模で、展示もわかりやすい。

人形です。
鉱脈に沿って掘削するのでこのような数十mの高さの空間ができる。
鉱山は古今東西、洋の東西を問わず非人間的な重労働がつきものだったからこそ、信仰という儀式が必要になる。
鉱山は中央の権力が及ばない場所だったため西日本から隠れキリシタンが移り身を潜めていた歴史がある。
硝酸アンモニウムを使ったANFO爆薬。
精錬施設跡地。

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