見出し画像

乗り鉄☆たびきっぷでめぐる 東海のローカル私鉄と第3セクター線 愛知環状鉄道・城北線

豊橋鉄道乗車後、豊橋駅から東海道本線で岡崎へ。岡崎は愛知県第3の都市、三河地方の中心都市。徳川家康の出身地で、八丁味噌の産地であり、トヨタグループの企業城下町。

画像2

愛知環状鉄道線

愛知環状鉄道線は、東海道本線の岡崎駅から豊田、瀬戸を通り中央本線の高蔵寺駅まで南北に走る45.3kmの愛知県や沿線の豊田市などが主要出資している第三セクター路線。完全な環にはなってないけど、愛知県(名古屋)の衛星都市同士を環状に結んでいる。一言でいうと名古屋以外の愛知を体感できる路線と言えるかも。

画像4

画像3

路線としての歴史は新しく、全線開通したのは1988年。国鉄の岡多線と瀬戸線という二つの路線計画がベースになっている。元々の国鉄の名古屋付近は東海道本線、中央本線、関西本線を通る貨物列車が多数運行されいるなかで名古屋駅を経由しないと3路線を連絡できない状況、旅客列車も多数乗り入れる名古屋駅はパンク状態。そんな中で日本有数の自動車工業、窯業(焼き物、砂や粘土の産地)経由して、名古屋駅を迂回するバイパス路線が計画され、それが岡多線と瀬戸線計画となる。1970年に岡崎から途中の北野桝塚駅間の貨物営業で先行開業、1976年に岡崎~新豊田間で旅客営業が開始された。ただ豊田も岡崎(中心部)も名古屋方面へは名鉄が直通していて、中途半端な岡多線の利用者は全く増えず本数も1時間に1本もない状況で早々にお荷物扱いを受ける状況。新豊田から北への延伸工事が続けれれるも、国鉄の経営は年々悪化し解体が決定されると、岡多線は赤字ローカル線として成績的に廃線対象並み。そのため国鉄としては手放さざるを得ず、当初計画の新豊田~高蔵寺までの延伸完了後に自治体の出資する第三セクター化で存続させることとなった。1987年JR東海の岡多線として暫定運営、そして翌1988年に新豊田~高蔵寺への開通と同時に愛知環状鉄道として引き継がれることとなる。

全線開通したことにより利便性が向上。工場群への通勤輸送、沿線の名古屋のベッドダウン化、大学の誘致、2005年の愛・地球博の開催などもあり沿線の開発とともに利用者は増加、本数も国鉄時代の10倍以上に増発されており、第3セクター路線としては異例の高営業成績となっている。結局貨物線は廃止になったけれども、後述の城北線とともに元々ポテンシャルのある地域でちゃんと路線を通して経営すれば利用者がちゃんと付くという公共交通の基本を無視した国鉄と鉄道公団(大雑把に言うと大幹線以外の路線の建設を国鉄に代わって行う国営組織)と雑な民営化(JR東海)による弊害の典型例ともいえる事例。ちなみに岡崎と多治見を結ぶ計画から岡多線と名前が付けられたけど、結局瀬戸から多治見への計画は消滅していて、瀬戸市から高蔵寺は国鉄瀬戸線として計画された部分。

新しい路線のため踏切は無く、複線として計画されていたため一部複線化部分を除きスペースが残されている状況。現在の車両は愛環2000系、JR東海の313系をベースなのでかなり似てる。

画像8

画像7

画像9

ちょうど岡崎市の大門駅という駅のそばに宿泊してました。ローカル感と高架というミスマッチ。

画像6

画像5

朝の矢作川と東三河の山。

画像10

途中の新豊田駅は名鉄の豊田市駅と300mくらい離れて並行に並んでいてぺデストリアンデッキでつながっている名実ともに豊田市の中心駅。ちなみにJRの通らない都市としては日本最大の市が豊田市。

画像13

画像14

そして新豊田から南へ2駅の三河豊田駅は世界のトヨタ自動車の本社工場の目の前。朝は名鉄からの乗り換え需要を拾うために、新豊田~三河豊田間の「あさシャトル」というユニークな便が設定されているし、この区間は複線化されている。

画像1

画像11

画像12

八草駅は愛・地球博記念公園へのアクセス路線として建設された東部丘陵線(リニモ)との乗換駅。ここから地下鉄東山線の終点の藤が丘のあたりは名古屋有数の人気ベッドタウンの長久手市エリア。東海唯一のIKEAも長久手にある。

画像15

瀬戸市は名前の通り瀬戸物の産地。日本を代表する陶器の町。瀬戸が他の陶器の町と一線を画しているのは、日常使いの器を極めたこと。戦国時代以降歴代天下人の拠点だったことから一大産地となった。工芸的な方向に舵を切らざるを得なかったほかの焼物の産地と異なり、お隣の美濃(多治見とか)とともに現代でも100均で売るようなお茶碗を製造し続ける現代工業にまで続いている。名鉄瀬戸線をクロス。

画像16

高蔵寺では中央線へ乗り換え。快速停車駅、東農地区まで行かない普通(各駅停車)も多くが高蔵寺で名古屋へ折り返している。

画像17

画像18

東海交通事業城北線

東海交通事業城北線は、中央本線の勝川と東海道本線の枇杷島の11.2kmを16分で結ぶ、名古屋市北部を環状する路線。

画像25

もともとは前述の愛知環状鉄道線と同じく瀬戸から稲沢(東海道本線の駅でJR東海最大規模の車両基地と貨物ターミナルがある)を結ぶ瀬戸線として計画された路線。中央本線と東海道本線間を名古屋駅を経由せずに貨物列車を通せるようなう回路として建設されたが、国鉄末期に財政が悪化し途中で工事はストップ。国鉄解体後、JR東海の子会社の株式会社東海交通事業として運行すべく工事を進め何とか全線開通したのは1993年。

すでに高架化していた名鉄線、名神高速道路や幹線道路をまたぐためにさらに高いところで全線高架、元々たくさんの貨物列車を通す計画から高速化のためロングレールと過剰設備で建設されている。一方で需要は見込みないことから徹底的な低コスト化されており、電化工事は行わず非電化複線、1両編成が朝夕除いて1時間に1本という超ローカル線。

画像26

勝川駅はもともとJR線と同じホームで乗り換えられるよう計画されて、写真の通りスペース確保しているのに、工事は中断していて500mも歩かないと乗り換えられない。

画像23

画像19

画像20

右手に見えてるのが中央本線。はるかかなた。

画像22

画像21

名鉄犬山線との乗り換えができる(はずの)小田井駅も500mくらい離れている。名鉄犬山線をクロス。

画像31

さらに反対側の東海道本線との乗り換え駅の枇杷島も名古屋の隣の駅とはいえ各駅停車しか止まらないので利用者は少ない。しかも運賃が高いということで利用者は増えない。儲からないのでJR東海も金をかけない悪循環。

画像27

唯一の強みはジェットコースター感があるのと景色がいいこと。名古屋市街地が一望できる。

画像28

画像29

画像30

同じ思想で出発した愛知環状鉄道線とは違い、完全なる失敗路線としか言えない。新幹線でぼろ儲けしているJR東海からすれば屁でもないけど、リニアも抱えてるし、テコ入れは数十年ないだろうなという絶望感が軽油で走ってる。

画像31





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?