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晩冬の最上川 山形鉄道フラワー長井線

山形鉄道フラワー長井線は山形県南部の置賜地方を中心に、南陽市の赤湯駅と白鷹町の荒砥駅を結ぶ30.5kmの第三セクター路線。日本各地にある第三セクターの路線よろしく、国鉄末期に廃線対象になった路線を自治体の出資により存続となった。路線名の由来は国鉄長井線、JR長井線をを引き継ぎ、沿線はあやめ、桜、ダリア、紅花などの花の名所、名産地であることから。

長井市はあやめの名産地、固有種などもあるらしい。ということでラッピング。

赤湯駅では奥羽本線と接続し、山形新幹線で東京へも1本でつながっている。途中の今泉駅では米沢と坂町を結ぶJR米坂線と接続、そこから最上川に沿って長井市の中心駅長井駅、白鷹町の中心駅の荒砥駅へ至る。

山形新幹線で東京まで1本で行ける赤湯駅。とはいえフラワー長井線の利用者は数人でした。
南陽市はラーメンで推している。山形市が2023年世帯あたり中華麺消費量で日本一を誇っていることもあり、山形全域でラーメン文化が盛んな地域。
今泉駅。米坂線との接続駅。米坂線は2022年8月の豪雨災害で不通となり、2024年4月現在今泉駅~坂町駅の間は代行バスで運行されている。復旧めどはたてられていない。
荒砥駅。白鷹町の中心部から少し離れている。駅には観光案内所とちょっとした売店などもある。
山形鉄道の車両基地は荒砥駅にある。ちなみに本社は長井駅にある。

現在のフラワー長井線の走る地域では、最上川舟運で日本海の酒田とつながり、北前船で関西とつながっていて、その中心都市の1つが長井。時代は舟運から鉄道に変わっていく時代で、奥羽本線が福島方面から延伸され赤湯駅に到達したのが1900年、山形駅まで到達が1901年。奥羽本線と長井を結ぶ鉄道として1913年に長井軽便鉄道が整備、1914年には長井駅と赤湯駅の区間で開業。その後、1923年に荒砥駅までの全線が開業。その先も最上川舟運を引き継ぎ下流方面へ現在JR左沢線左沢駅へ接続する構想があったものの、地形を見ればわかる険しさと人口の希薄さで実現せず。2023年は100周年ということでイベントなども行われていた。

この最上川橋梁のこのトラスは「ダブルワーレントラス」という方式で、ともとは1887年に東海道本線の木曽川に架けられ、当時は日本で橋梁製造技術は無くイギリスから輸入したもので、後に東海道本線の高速・長編成対応で改修された際に長井線に再利用されたもの。明治中期の橋梁が現役として残されているのはとても珍しい。
最上川橋梁からの最上川
ちなみに3年前の夏の最上川。フラワー長井線は2回最上川を渡り、こちらは上流側の西大塚駅と梨郷駅の間。
白鷹町の紅花。江戸時代は米沢藩経済を支える作物として、京都や大坂へ売られていた。

現在は冒頭で触れた通り、第三セクターの山形鉄道株式会社によって運営されている。山形県と沿線の南陽市、川西町、長井市、白鷹町が約3分の2、3分の1を沿線の民間事業者の出資。2016年から支援拡充のため線路設備の保有と整備を完全に自治体が負担する上下分離方式の支援を導入しており、何とか経営の健全化を進めるべく取り組んでいるところ。

全線単線非電化、今泉駅では交換待ちがある。
白兎駅より。白兎という地名があり、この地名からう山形鉄道ではうさぎ駅長のもっちぃが勤務していた。
https://flower-liner.jp/caractor/
3月中旬、豪雪地帯の置賜地方も春の兆し。

沿線中心都市の長井市も南陽市も人口3万人以下、置賜地方中心都市の米沢市ですら人口8万人以下。長井市や白鷹町からだと距離がもさほど変わらない山形市へも幹線道路が厳しい状況。30年前の1994年は年間135万人くらいの利用者があったものの、2023年には42万人ほどと3分の1以下に減少しており、ローカル線の厳しさのまさにそのもの。利用者の77%が定期利用者で、内93%が通学定期、つまり全利用者の7割がが沿線の学生ということ、1日あたり約800人(往復とみれば400人)の沿線学生の足を守っている。

南陽市のご当地パン。コッペパンを開いて表面にチョコでコーティングされた激重パンです。

3年前の夏に「梨」から始まる駅を探して梨なのに梨郷(りんごう)駅へ行ったこともありますが、その時は今泉駅より先に行けていないので改めての制覇。梨郷駅そばにこれでいいんだよ食堂があって、初めて山形名物冷やしラーメンを食べましたが、ラーメンも美味しいのはともかく、付け合わせの漬物が美味しかったのを覚えています。


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