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出産育児の話を男性から遠ざけないために 〜「自分の中の加害性」に気づいた話〜

私は週に一度、卒業したゼミ(法政大学長岡研究室)のお手伝いをしている。そのゼミは経営学部でありながら、いわゆる経営学部的な活動はなかった。マーケティングも組織論も勉強しない。
考えるのは「新しい未来の常識」だ。

新しい働き方ってなんだろう。
新しい教育ってなんだろう。
新しい家族ってなんだろう。

そんなふうにあらゆる未来の可能性を模索している。詳しくはこちらのHPを見てほしい。



さて、そんな長岡ゼミでは定期的に学外で「カフェゼミ」を行なっている。カフェゼミはどこの大学生でも、社会人でも、主婦でも、誰でも参加可能だ。そこでは様々なテーマでゲストをお招きし、ゲストの話をきっかけにして、テーマについて参加者も一緒に考える場となっている。過去には公共空間としての公園、日本における難民、創造性を喚起するワークプレイスのデザインなど多様なテーマを扱ってきた。

今月のカフェゼミは「新しい働き方」がテーマだった。ゲストは、産後の女性を対象に活動するNPO法人マドレボニータ理事長の吉岡マコさん。そして、新しいワークスタイルを実践しているパネラー3人だった。そのパネラーの1人として私は登壇する予定だった。

↑当日の様子。


カフェゼミの前日。
カフェゼミのこともあり、私は出産後のキャリアについて考えていた。その日はパートナーの家に泊まっていたこともあり、ふと彼にこんなことを聞いてみたくなった。

「私はもし離婚したら子どもは自分が引き取るって無意識に思っていて。だから、1人で子育てするかもということを常に考えているんだけど、あなたは?」

その質問に彼は
「たまに(一人で子育てするかもと)考えることはあるよ。だって交通事故とかあるかもしれないし。」と返してきた。

その言葉に、私は二つの意味で驚いた。
一つは男性でもそんなふうに考えることがあるのかという事実への驚き。女性の方が体のこともあり、考えるきっかけがあり、当事者意識が芽生えやすいのではと私は思っている。だからこそ、男性である彼も考えることがあるということに、単純に驚いた。

そして、もう一つは自分の潜在意識だ。
この質問をしたとき、私は「一人で子育てするなんて考えたことがない」という答えがくると思っていたのだ。いや、むしろその答えを期待していたのかもしれない。

どこかで「男性は女性よりも、出産育児に対して当事者意識が低いよね」と言いたいと思っていたのかもしれない。自分の中の当事者意識をもってして、社会の中での生きづらさを彼にぶつけたかったのかもしれない。


マイノリティ意識や社会の中での生きづらさは、時としてそれを持たない人に対して攻撃を向けさせる。

女性は出産育児でキャリアを諦めざるを得ない状況になることがあるのに。
女性は出産育児で産後うつになることもあるのに。
保育園の問題も語っているのは女性が多い。

そんなモヤモヤが、マジョリティである男性として生きている彼に攻撃をしようとしていた。正直、そんな自分が怖かった。

彼は私の活動や考えに好意的だ。
半同棲なので、出産や子育て、家事だってきっと分担できると判断している。ここまで、協力的で、かつ理解がある。歩み寄ろうともしてくれている。

でも、そんな「協力者」「当事者」になるであろう彼を、私はどこかで「マジョリティの男性」としてラベリングして突き放そうとしていた。

この加害性はきっと、どんな分野のどんなことでも起きることだ。
障害者、高齢者、出産後の女性、非正規雇用...

協力者が現れたとき、話を聞いてくれるからと不満ばかり話すのは、協力者になろうとしてくれた人たちを遠ざけることになるかもしれない。もちろん、たくさん不満はあるし、生きづらさへの怒りだってあるだろう。

そんなとき、どんな対話ができたら攻撃しないで済むのだろう。
怒りをただぶつけるのでは「面倒だから関わらない」となってしまうだろう。
現状や自分の気持ちを大切にしながら、伝えて一緒に考える。
とても難しいことだけど、そんな活動が社会をゆるやかに変えるためには必要だと思った。


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