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「やさしい日本語」の使い方 〜誰がどう伝えてどう受け取るのか 英語や機械翻訳ではダメな理由〜

先日の台風の際に話題になった「やさしい日本語」。

この平易なひらがなで書かれた日本語でニュースを発信したNHKに対して
・意味がない、わからない、わかりづらい
・機械翻訳で良い
・バカにしている

といた辛辣なコメントがついていました。
一方で、「やさしい日本語」を知っている人からの擁護も数多くあり
これを機に認知度が広まったとも取れます。

もともと1995年の阪神・淡路大震災を機に弘前大学を中心に研究がなされてきた「やさしい日本語」ですが、1995年と現在とではさまざな条件が変わってきている点も踏まえて、「やさしい日本語」について考えてみたいと思います。

「やさしい日本語」は阪神大震災を機に生まれた日本にいる外国人に必要な情報を伝えるための言語

「やさしい日本語」は1995年の阪神・淡路大震災を機に研究が始まりました。阪神大震災は外国人居住者も多い神戸近郊の被害が大きかったのですが、当時は外国人に日本の災害情報を伝える手段が乏しく、現地は混乱状態だったと思われます。そこで、弘前大学の社会言語研究室が中心となり、外国人に情報を伝えるための手段として「やさしい日本語」の研究が進められました。ガイドラインによると、「やさしい日本語」の定義は以下の通りです。

「やさしい日本語」とは、災害が起きたときに「やさしい日本語」を使った音声で、日本語に不慣れな外国人を安全な場所へ誘導する日本語のことです。また避難先では、避難生活で必要になる情報を「やさしい日本語」で書かれた掲示物で伝えることも目的にしています。行政やボランティア団体による外国語支援が始まるまでの、概ね 72 時間の情報伝達を目的とした災害時用の外国人被災者のための日本語です。(「やさしい日本語」作成のためのガイドラインより)

「やさしい日本語」作成の主なルールは以下のようになっています。

・難しい言葉を避け、簡単な言葉を使用する(日本語能力試験出題基準3、4級程度)
・文章を短くする
・外来語や擬音語、擬態をの使用は避ける
・分かち書きをする(文節で余白を空ける)

もっと詳しく知りたい方は、は弘前大学社会言語研究室の「やさしい日本作成のためのガイドライン」を参照してください。

英語では似たようなアイディアとしてPlain Englishというものもありますが、こちらは政府の公式発表等の際には読者が簡単に理解できる方法(単語や文法)で記述しましょうというものです。

【情報の受信側を考える】日本で英語はリンガフランカ(共通言語)ではない

「英語で情報を発信すればいい」という意見もありますが、英語で情報を発信したところで日本にいる外国人のうちどれくらいの人たちが情報を受け取ることができるのでしょうか。

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まず、訪日外国人数を見てみましょう。日本政府観光局発表の統計(2018年)によると、訪日外国人は韓国と中国からの旅行客が半分を占め、その次が台湾、そして次が英語を日常的に使うのは香港人(約220万人)で、英語を日常的に使わない国から来た人たちが大多数を占めています。

日本で災害が起きて、外国人が多数いる場で英語で情報を流したとしても、情報を受け取ることのできる人は案外少ないのです(数だけで言えば、中国語で情報を発信する方がよっぽど効果があります)。

ちなみに、訪日外国人の方は少なくとも数日で自分の国に帰りますし、台風のようにあらかじめ災害が起こりそうだということがわかっていれば旅程を変更するといった手段をとることもできます。ですので、災害時、一時的な支援は必要ですが、長期的な支援はあまり必要とはされていません。

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それでは、日本に住んでいる、働いている外国人はどうでしょうか。厚労省が発表した2018年度の外国人雇用状況をみると、日本で働いている外国人で一番多いのが中国人(40万人ほど)、ついで韓国人、フィリピン人、ベトナム人、ネパール人、インドネシア人、ブラジル人、ペルー人と続きます。この中で英語を日常的に話すのはフィリピン人(約16万人、11%)のみです。

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文化庁の「平成29年度国内の日本語教育の概要」から約20万人いる日本国内の日本語学習者の出身地を見てみると、アジア地域が大半を占めます。また、上位を占める国々と労働者数上位の国と同じような顔ぶれで、英語を日常的に使う国はフィリピンくらいです。

国立国語研究所が行った定住外国人を対象とする全国調査の分析では、母語以外でわかる言語はなんですか?という質問に70.8%が日本語と答え、英語と答えた人は36.8%だったというデータもあります。

日本に旅行に来ている外国人がみんな英語がわかるというわけではありませんし、日本に暮らしている外国人が英語もしくは日本語が完全に理解できるというわけではないのです。

【情報の発信側を考える】情報発信者が簡単に多くの外国人に情報を伝えるために「やさしい日本語」

今回はNHKが「やさしい日本語」で情報を発信したことで「NHKなら英語(もしくは他の外国語)ができるスタッフがいるはずだ!」というコメントも見受けられました。

確かに、NHKのスタッフの方で英語ができる方はいらっしゃるでしょう。ただ、上記の通り、英語だけでの情報発信では不十分です。NHKには英語に加えて、中国語、韓国語、ベトナム語、ネパール語、タガログ語、ポルトガル語、インドネシア語ができるスタッフが十分に常駐しているのでしょうか(私は仕事の関係上、その答えが確実にNOであることは知っています笑)。

また、災害時に情報発信が必要とされるのは公共放送だけではないのです。地域の放送、掲示板、避難所において、様々な、そして重要な情報が発信されます。「水があります」「毛布があります」「電車が止まっています」「バスが◯時に来ます」。そのような地域の情報を発信する人たちは地域の自治体の方々です。彼らの中に英語やその他外国語が堪能な人が入れば幸運ですが、多くの方は日本語を母国語としている人たちで、他にやることもたくさんある中、英語もしくは他の外国語で情報を伝えることは困難であると想像できます。事前準備として外国語の指差し会話帳やエマージェンシーカードを準備している自治体もあると思いますが、現場で必要とされる情報は多岐に渡ります。

そんな時に、「やさしい日本語」について知っていたら。

・難しい言葉を避け、簡単な言葉を使用する
・文章を短くする
・外来語や擬音語、擬態をの使用は避ける
・分かち書きをする(文節で余白を空ける)

というルールを思い出すことができれば、いろんな国の人たちがいる状況においても最低限の情報を、最低限の労力で伝えることができるのではないでしょうか。

【情報の伝え方を考える】阪神・淡路大震災の時はインターネットの普及率は低く、機械翻訳はまだ研究途上

「自動翻訳すればいい」という意見もありましたが、これは「やさしい日本語」の時代背景や自動翻訳(機械翻訳)について勉強するとそれはそれで難しい、ということがわかります。

「やさしい日本語」の研究のきっかけとなった阪神・淡路大震災が起きた1995年当時、私は小学校低学年でしたが、家にパソコンがある家庭はまだ少なかったと記憶しています。Windows95が販売された年で、カラフルスケルトンなiMacの販売開始が1998年。今や日常生活に欠かすことのできないGoogleの設立も1998年です。

機械翻訳に関して言えば、研究自体は1950年代から始まってはいたものの、1990年代の機械翻訳はまだまだ単語の置き換えでしかなく、現代のようなAIや自然言語処理を用いた機械翻訳が登場するのはだいぶ先の話です。

「やさしい日本語」はそのような環境で、日本語のわからない外国人に対して日本語のみで話す日本人がどのように情報を伝えるかという問題に対してのアプローチだったのです。

そして、災害時を考えると、現代人の命の綱であるインターネットが寸断される状況も十分に考えられます。インターネット環境がなければ現代の機械翻訳、音声翻訳も役には立たないでしょう。

時代が変わり、インターネット環境や機械学習が格段に進化した環境であるからこそ「機械翻訳でいーじゃん」と気軽に言えるのですが、そんな機械翻訳も様々な条件が揃っているからこそ快適に使用できるのであり、災害時においてはその「様々な条件」が揃わなくなることも考慮した上で、目の前の困っている日本語のわからない人に対してどのように情報を伝えるのかを考えなければなりません。その時に「やさしい日本語」のアイディア(考え方)はとても役に立つのではないかと思います。

【情報の伝え方を考える(余談)】機械翻訳しやすい日本語というのもまた別言語

私が「やさしい日本語」について知ったのは自身の修論のテーマである「英語に翻訳しやすい日本語」について調べていた時です。ほんと、みなさん簡単に「自動翻訳(機械翻訳)すればいーじゃん」と仰りますが、ディープラーニングやAIの技術が発展しつつある今でも、日本語で書いた自然な文章を機械翻訳で英語または外国語に翻訳するというのは簡単なことではありません。

原言語を対象言語に翻訳するためには、両言語の単語だけではなく、文化背景や状況も加味しなければならないことが多いのです。機械翻訳だけでコミュニケーションを取ろうとすると、その文化背景や状況による影響を極力排除してPlain(平易)で取違のない表現を選ぶ必要があります。

例えば、Google翻訳(日本語→英語)に「こんにちは、トム。」と入力すると「Hello, Tom」と英語でも違和感のない表現が返ってきますが、「お世話になっております、田中様。」という自然な日本語を入力しても、返ってくる英語は「Mr. Tanaka who is indebted to you.(お世話になっている田中さん。)」と意味が変わってしまいます。これは英語圏に「お世話になっております」に当たる挨拶表現が存在しないため、「お世話になる」に対して「indebted(恩義がある)」という英語を当て、直訳してしまうためです。

機械翻訳も「癖(ルール)」を掴めばかなり有効に利用することができますが、機械翻訳の癖に基づいて書いた「英語に翻訳しやすい日本語」はどこかぎこちなく、日本語単体として読むと不自然に感じることもあります。

ただ、日本語のわからない外国人を目の前にしてコミュニケーションを取りたい、取る必要があるといった状況においては、日本人が不自然だと感じる「翻訳しやすい日本語」を分かっていると、機械翻訳や音声翻訳を利用したコミュニケーションがスムーズになります。

ちなみに、「やさしい日本語」と「翻訳しやすい日本語」はまた違うものになってくるので、気が向いたら翻訳しやすい日本語のルールについても触れたいと思います(長くなるので本記事では割愛)。

【まとめ】発信側と受信側の状況によって情報の伝え方は様々

今回話題になった「やさしい日本語」に違和感を覚えられた方は、「やさしい日本語」の受信対象ではない方です。ただ、「やさしい日本語」の方が情報を受け取り易い人が日本国内にはということ、また、情報の伝え方は一様ではない、という認識がもっと広まっていくことを願います。

日本語の母語話者でない人がNHKのニュースの日本語をスラスラと理解できるようになるまで3年以上かかるとして、日本語母語話者の私たちが「やさしい日本語」を習得するための時間は、ほんの数時間ですむのですから(数時間あれば基礎はできるようになりますよ!)。

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