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「司馬さん」を語る

まずば「カバー写真」を拝借させて頂きました「shiroyukimin」さま、司馬遼太郎記念館の写真を探しておりました…お借りましす…この場にて、御礼申しげます、ありがとうございましたm(__)m

さて、舞台は「司馬遼太郎記念館」になります。

ここを運営する「司馬遼太郎記念財団」が、毎年、司馬遼太郎の命日である2月12日に、東京と大阪の持ち回りで「菜の花忌」というシンポジウムを開催しており…

その内容が、今回、文春文庫から1冊の本になりました。

こちらが、わたくしども「遼を語る会」という、司馬遼太郎作品に特化した読書会における…

今月、6月の「課題図書」となっております。

わたしは、目次から、会誌『遼』の「3号」(2002年10月20日発行)にも掲載されております、「第6回菜の花忌シンポジウム 21世紀を生きる君たちへ」を、自分の発表箇所に選びました。

このシンポジウムのパネラーは、以下のメンバーでした。Wkipedia(日本語版)にて、その3名のリンクを貼っておきます。

この3名の「名前」から受ける「わたし」にとっての「第一印象」としては、井上ひさしは「ひょっこりひょうたん島」、養老孟子は「バカの壁、安藤忠雄は「世界的建築家」でした。まともなのは「安藤忠雄」、ただ一人だけだ…と。

こうして、安藤忠雄に焦点を絞って、本シンポジウムを「深掘り」することに決めました。

※以下、敬称略
井上と養老のパネラーとしての発言は無視して、安藤の発言だけを取り出した資料を、まずは、読書会当日発表資料として作成しました。以下、PDFファイルとしてダウンロードできるようにしておきます。ご活用くださいませ。

そして、このシンポジウムは「21世紀を生きる君たちへ」という司馬遼太郎による文章をもとにしたものになります。

以下、本文より、重要と思われる箇所を、私個人の取捨択一となりますが、引用させて頂きます。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに水と空気、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことがなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
 さて自然という「不変のもの」を基準において、人間のことを考えてみたい。
 人間は、ーくり返すようだがー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
ー人間こそ、いちばん偉い存在だ。
という、思いあがった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。
 同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考え方である。
 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。おそらく、自然に対しいばいかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わってゆくにちがいない。
「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在にょって生かされている。」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えてきた。
 この考えは近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように、近ごろ、再び、人間たちはこのよき思想を取り戻しつつあるように思われる。
 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待である。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめて欲しいのである。
 そうなれば、21世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どおしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

『21世紀に生きる君たちへ』(司馬遼太郎著、1999年11月10日初版発行、朝日出版社)より引用

こういった、司馬遼太郎による地球環境保護への楽観論とも云うべき立場取りに、シンポジウムにおいて、安藤忠雄氏は、真向から意義を唱えます。
司馬さん…そんな悠長なこと、言ってる場合じゃないよ…と。

 私が学生の頃の地球の人口は30億だったんですが、それがいまは60億になり、21世紀の中ごろには100億になるといわれています。一方で中国では都市化が進み、森林が伐採され、砂漠化が進んでいる。10年もたてば、日本海側では自然の木がまったくなくなるだろうとまでいわれています。
 こういう状況なんですから、われわれは地球のなかでともに生きているというということを真剣に考えなくてはなりません。そして、日本の状況も変わりました。
 いままでは「国がなんとかしてくれるだろう」と思ってきた人も多いでしょうが、もう国も地域社会も企業もなにもやってくれないと考えたほうがいい。21世紀は責任ある個人を、自分たち一人ひとりが自ら育てていくしかないだろうと思っています。

『「司馬さん」を語る』74頁より引用

『21世紀に生きる君たちへ』における読後の感想としては、環境問題に対する認識が、1990年代に書かれたものとしては「甘すぎる」の一言に尽きます。1992年に「地球サミット」と呼ばれる、ブラジルのリオデジャネイロで開催された地球環境問題に関する国際会議もありましたし、その20年前には、1972年に「ストックホルム宣言」が出されていますが、司馬さんの書いた文章は、それより前には出ていない感じがします。

それに対しての安藤忠雄氏の、するどい「ツッコミ」が痛快すぎて、わたしは、彼の発言や、書いたものが、急に読みたくなって、地元図書館にて「まとめ借り」をしてきました。以下、そのラインナップです。

これを契機に、しばし、安藤忠雄の世界に浸ってみたいと思っています。

サポートして頂いた金額は、その全額を「障がい者」支援の活動に充当させて頂きます。活動やってます。 https://circlecolumba.mystrikingly.com/