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【#読書の記憶から18】たくさんの好きを集めて×断捨離と対極のふたり

この、一見繋がりがなさそうなおふたり、「たくさん“モノ”を所有されている」という共通項でセレクトさせていただきました。

まずは「ほんまに(一見・多くの人にとって)しょーもないものが大量にコレクションされている」この方。

『マイ遺品セレクション』みうらじゅん

ndc:049(雑著)←雑著という分類がある驚き

世はやれ断捨離だとか終活だとか、ものを少しで無くしていく風潮にあるが、長年に渡りつけてしまった癖はそう易々と直らない。

お土産、街で見る何気ない風景、タダでもらえるパンフレットなど。
「なぜそれを集めようと思ったのか?」なんてツッコミは、愚問でしょうか。

そして、これだけの量と種類のモノを集め続けていれば、もはや一級史料の域だと思うのです。

分野は、郷土史・民俗学・社会文化史……と幅広く、日本人の歴史・文化・社会・習慣、その時代と変遷をあらわすような。

大げさすぎますか?笑
(しかし本当に、この企画で美術展『みうらじゅん マイ遺品展』を開催しておられます。)

それにさらに輪をかけて、みうらさんのネーミングセンスの妙。

「カスハガ」=観光地のお土産によくある、景勝地絵葉書セットの中でもハズレ(カス)の葉書。

「ムカエマ」=見るとムカムカする願い事が書かれた他人の絵馬。神様に頼むにしては失礼に値するような願い事、もれなく誤字多め。

「冷マ」=(主に水道修理の広告として)冷蔵庫に貼る広告マグネット。

以前、みうらさんが出演されたテレビ番組を偶然見かけましたが、温泉街でのロケで旅館に着くやいなや、ロビーの売店に直行して、限定のお土産物がないか物色されていました。笑

これからも自らの“好き“や“興味“を地で行く存在であり続けてほしいです。

もうひとりは「“たくさんのモノ“が、アイデアや作品が生まれる土壌となる」この方。


『アンチ整理術』森博嗣

ndc:914.6(評論、エッセイ、随筆)

私も整理や片付けといったものが苦手で、よく『○○な暮らし』『整理すれば○○になる!』といった書籍に助けを求めがちです。

森先生にも、また新たな視点から片付けに関する教示をいただけるのでは……?という淡い期待を込めて手に取りましたが、見事に裏切られました。
しかも読み始めて数ページ、「まえがき」から。

整理する時間があったら、研究や創作や工作を少しでも前進させたい、と思っていた。すなわち、これが、僕の「整理術」である。

なんと、『整理しない』とは!衝撃。
しかし、次のようにも話されています。

手がつけられない状態……そういう時は、とにかく何かしてみること。実行すること。

散らかっている人のほうが精力的にものを作り出しているのは確実。

なるほど。

僕の断捨離に対する考えは1つだ。不要だと断言できるものは捨てればいい。
そうでないものは持っているしかない。
その前に、自分の気持ちを断捨離してこう。

部屋よりも、精神こそ綺麗な方がよろしい、と僕は思う。


この本を読んだ時期というのがコロナ禍のはじめ、第1〜2波の緊張した生活の中だったのも印象的でした。

すごくシンプルに物事を見つめる姿勢。
深く観察し熟考して、ただただ目の前の事柄に真面目に取り組む事。

それが、当時まだ形すらない、しかし希望であったワクチンや治療薬開発への期待。
医療従事者の方々の、毎日続く、命と向き合う業務に重なって、『片付け』だけに収まらない世界の話に感じられたのでした。

手に取った本から、思いがけず“本質的なことに目を向け、探求するということ”を教わった気がします。

“本質とは何か“
“考えに考え抜くという行動“

どちらの本からも多分に影響を受けて、私の部屋はまだ片付きません。
このモノだらけの部屋が私(を構成するモノ)なんだから、それはそれでいいかと開き直る始末。

こんな唯一無二のおふたりのように、私も“らしさ”を追求していけたらと思うのでした。

次は……

「わたし」を構成するもの
その背景と繋がり

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