江戸時代 【旅の持ち物】
伊勢金比羅参宮日記に記されている「旅中心得」。その中の持ち物について解説していきます。江戸時代末期の伊勢金比羅詣りではどのようなものを持って行ったのでしょう?ひとつひとつ簡単に解説していきたいと思います。
黒ちりめん単羽織
「これは春夏共に必要になる。京都は3月朝から単を多用。」
* 「ちりめん」とは、縦糸にヨリのない糸、横糸には左右にヨリをかけながら織った生地で、見た目に細かくクシュクシュとした感じがしています。シワになりにくく伸縮性があります。
単衣羽織は、薄手の裏地のない羽織で、春から初夏に着る薄手のジャケットと言う感じでしょうか?
京都の3月の気温は、まだ最低気温が一桁。関東よりも朝晩は冷え込むことが多いようです。
もめん旅半天
「小紋格別に付かざるがよろし」
* 木綿を使った旅用のはんてん。はんてんと言ってもすぐにイメージする冬にコタツでミカンを食べるときに着る綿入りのものではなく、お祭りの時の法被(はっぴ)のような感じでしょうか?
前を合わせて帯を締める。その上に単羽織を羽織る。
ぶっさき羽織
「これはなくても事かかず」
* 帯刀したときに邪魔にならないように、背縫いの下半分を縫い合わせていない羽織。「なくても困らない」って書いてあります。
三尺(さんじゃく)
「ちりめんがよろしい」
* いわゆる三尺帯(さんじゃくおび)のことで、ハッピを着る時に使う男性用の短い帯です。伸縮性のあるちりめんがいいと書いてあります。
風ろしき
「二布二枚、小二枚ほど」
* 風呂敷です。大きいのと小さいのと二枚ずつ。江戸時代後期では、古来の「風呂で敷くもの」ではなく、現代のように、「包むもの」として使われていたようで、風呂敷の大きさは、一幅(34cm)から五幅の寸法があったようです。
両掛一荷(りょうがけいっか)
「両人一僕然るべく候、三人一僕にて荷重し。」
* 箱やつづらに衣服や調度品を入れて棒の両端につけて担ぐ。「二人分くらいを付き添いに背負わせるべきで、三人分を背負わせては荷が重すぎる。」とのこと。
胴巻き(どうまき)
* 金銭や大切なものを帯状の袋に入れて腹に巻きつける。
小巾着(こきんちゃく)
「ただしちりめんにてくくり、組みひも付き、首にかけ居る便なり」
* ちりめん生地で作り、組紐を付けて、首からぶら下げると便利。首から下げる小さな巾着袋。
太織もめん裏綿入り一枚
「わた厚き肩宜し」
* 太織(ふとおり、ふとり)は、厚みのある平織の絹織物。絹糸の中でも劣等品である節のある糸などの太い糸使って織る。その太織に木綿の裏をつけて中に綿が入っている。綿が多い方が良い。
ぢばん単にて木綿
* 「ぢばん」は「襦袢(じゅばん)」、和装の下着(上)のこと。下着は綿100%。
胴着(どうぎ)
「真綿入りにてやわらかいもの便なり」
* 下着(襦袢)の上、上着の下に着る綿入れ。ジャケットと下着の間に着る厚めのシャツのような役割。真綿の入った柔らかいものが良いようだ。
絹裏小袖
「一枚」
* 小袖の裏が絹のもの。
湯かた
「大もよう宜し」
* 浴衣は大きな模様のものがいい。
股引(ももひき)・脚絆(きゃはん)
「木綿小紋、脚絆はひらへにて山無きもの便なり」
* 股引は今で言う「スパッツ」「レギンス」、
脚絆は、くるぶしからふくらはぎを布なので巻く「ゲートル」「レギンス」と言ったもの。裾の部分で障害物に引っかからないように守ること、ふくらはぎを締め付けて長時間歩くことによるふくらはぎのむくみを防ぐ役割があったようです。
足袋
「わらじ掛け」
* ワラジを履くときにはワラジ用の足袋を履きます。それがわらじ掛け足袋。雪駄を履く時は雪駄用の足袋、地下足袋でもわらじは履けないようです。もちろん素足にワラジは痛くて履けません。
絹股引き
* シルクのレギンス。現代でも高級品。肌触りが良く、放湿性があるので蒸れにくい。冷えとり効果もある。薄くて伸縮性もある。私も欲しい。
矢立て
* 筆記用具ですね。筆と墨壺がセットになった携帯用筆記用具。墨壺(インク入れみたいなもの)の中には綿のようなものが入っており墨汁が染み込ませてあり、乾いてしまったら水を滴らせば再び使えるようになります。
日記
* 渋紙(和紙を貼り合わせて柿渋を塗った紙)装丁の横型綴本:縦9cm×横20cm:和紙2つ折りを73枚綴じたもの。
金命丸
* 金命丸というと、東北に本家「名薬 金命丸」があるが、それだろうか?群馬県桐生市の菱下山家も「金命丸」を家伝薬として販売していたという情報もある。薬効などもわかりません。
疵薬
* キズ薬。薬の種類はわかりませんが、今でも使われていて、江戸時代末期の名医・華岡青洲が創方した漢方の軟膏「紫雲膏」の可能性もなきにしもあらずです。
もぐさ
* お灸に使うもの。ヨモギの葉っぱの裏にある白い細かい繊毛を精製したものです。旅の間、何度もお灸をしています。
まくらぶとん
* おそらく旅籠にある木製の枕の上に置く小さな布団ではないかと想像します。
小蒲団
「友禅織切にて2布真綿入り」
この蒲団の穴は背負う時に少しのものなら入るので良い。 また夜分金子胴巻きのまま入って、それを敷いてその上に 寝られるので用心出来る。
道中記
* プライベートの日記と、帰宅後に公開するお金の収支に関する書類と道中記があると思われます。
帳面(ちょうめん)
「国所姓名記すべし」
* 「浪花講定宿帳」のことかと思われます。
当時は旅が盛んになり旅籠の需要も上がったが、安心して宿泊できる旅籠は少なかった。飯盛女という旅籠お抱えの遊女がいたり、一人旅を断る旅籠もあったといいます。そんな事情を憂えた当時の旅館組合が「浪花組(講)」を作り、全国主要街道の優良旅館を決めて旅籠の店先に看板を飾れるようにしました。また、「浪花講定宿帳」を発行して宿場ごとに加盟店の旅籠名を掲載し、それは道中記を兼ねた帳面であったとのことです。
紫金錠(しきんじょう)
* 漢方薬のジャコウ、ハッカ、龍脳(樟脳に似た香り)を練って箱型に切り金銀箔をつけた錠剤。気付け薬、船酔い、酒酔いに効く。
万能膏(まんのうこう)
* 「興津の町の名物清見寺の万能膏」のことでしょうか?東海道五十三次の名物にもなったもの。効能は根太腫物、たんるい、ヒョウ疸、火傷、ひびわれなど。原料は松脂、湯の花、烏賊の甲、菜種油、当薬(センブリ)。
まめの薬
* どんな薬だったのか何も記述がなくわかりません。貼るタイプのものなのか、塗るタイプのものなのか?
小傘のさし傘
「1本」
* 頭に被るのは「笠」なので、これは小さな手で持つ和傘でしょう。
袖合羽(そでがっぱ)類又よろひ相油
「馬に乗る際には丙、丸相油よろしといえども歩行体見苦」
* マントのような合羽ではなく、袖(そで)のついた雨よけのための合羽。「丙、丸相油よろしといえども」が意味がわかりません。
すげ笠
「殿中宜し。ただし顔は木綿ぎれにて包み置くべし。ひもはしかと〆るもの宜し」
* 菅(すげ)「カヤツリグサ科の草」で作られた浅い円錐形の笠。雨、雪、日差しを避けるために頭にかぶる。顔も隠せる。
「殿中」とは、江戸末期に流行った男性用の編み笠。一文字笠。
印形(いんぎょう)
「宿までも白紙に2、3度押し置くべし。印を紛失してしまうと、島屋等の儀に困るなり」
* 「印形」は、印章、はんこ、のこと。
「島屋」とは、大阪表島屋佐衛門のこと。道中のお金はあらかじめ大阪の島屋佐衛門に送り届けてあり、印形を合わせることで引き渡してもらえる。道中はなるべく現金を持たないようにするため。上州から大阪まで現金を運ぶことなく手形を飛脚で運ぶシステムのようです。
添書(てんしょ)
「ただし辱(かたじけな)く候人への書状」
* 恐れ多い人に会うための紹介状。
手形(てがた)
「御関所」
*関所を通るための通行手形。
順庵が持っていた通行手形の文面は以下の通り。
箱根手形其文
酒井志摩守医師剃髪 栗原元泉の申者
并小者壱人用事有之従上州伊勢崎勢州
迄罷越候
其御関所無相違御通江成可被下候
為後日證文仍如件
嘉永三亥戌年正月二八日
酒井志摩守家来
中村鉄次郎
磁石
* 現在使われているものとほぼ同型の方位計と思われます。
上記は荒増の分である。なお心得ること。とかく物少なき方が宜しい。
栗原 順庵
以上が栗原順庵の持ち物です。思いの外少ない印象です。着替えも必要最小限。当然、おやつなどもない。
自分に置き換えてみると、もう少し電化製品が入るでしょうか。電気シェーバー、スマホ、モバイルバッテリー、腕時計など。今は、スマホにたくさんの機能がついているので持ち物がかなり減ったように思います。
書いていて思うのは、どれも軽くてかさばらない。現代は便利なように見えて実のところは不便になっているような気もします。昔の方が良かったとまでは言いませんが、この時代のモノも、もっと見直してみるべきだと思いました。
山を歩くときでも、帽子よりも「殿中」の方が軽いし蒸れなくて最高な気がします。ウエアも、上は木綿のぢばん、胴着、旅半天、下は股引と脚絆と草鞋掛け。とても軽快で歩きやすそうです。
一日に30km以上を歩いているようですので、お灸をしながらの強行軍だったことでしょう。1万歩で7kmくらいですから、1日に4万3000歩以上。これを42歳で歩いてしまうのですから大したものです。
少しは何かの参考になりましたでしょうか?
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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