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1992年の香港旅行から始まった冒険は、30年後キラキラとした思い出となった

帰宅していつもどおりポストを開ける。ダイレクトメールやチラシに混ざって白い封筒が入っていた。誰からだろう?と差出人を見ると急に懐かしさが込み上げてきた。20代の頃、広東語を一緒に学んでいた友人からの手紙だった。

かつてわたしは広東語を話せたし、香港映画も日本語の字幕がなくてもみることができたのだ。なぜ広東語を学ぶようになったのか?その理由は30年前にさかのぼる。

冒険のはじまり

1992年の夏、わたしは高校時代の友人と香港を旅した。初めて訪れた地。でも不思議なくらい懐かしく感じた場所。絶対にもう一度行きたい!と思った。彼女ともそう話して帰国したのだが、わたしのハマりっぷりは度をこえていた。帰国後すぐに広東語の通信講座に申し込んだのだ。

香港ではほとんどの場所で英語や日本語が通じたのだが、露天の老人とは言葉が交わせなかった。つぎに行くときには絶対に広東語をマスターしていきたい!そう強くおもったからだ。

通信講座で半年ほど学んだあとやっぱり対面で学びたい!と決心。1993年春頃より東京・新橋にある学校に通い始める。仕事の帰りに確か1時間ほど?の授業をはじめは週3回?最終的には週1回(このあたりの記憶はあいまい)通学した。結婚する直前の1998年の春までの約5年半、学んだことになる。

少しの入れ替わりはあったが、ほぼ同じ10人ほどの仲間と月日をともにしたと記憶している。

冒険をとおして

教室には香港の街や香港カルチャーが大好きなメンバーが集まった。男女の割合で言えば圧倒的に女性が多かった。職業もさまざま。年齢が近い人もいれば離れている人もいて。でも共通の思い(=香港が好き!!)でつながっていた。

わたしは他のメンバーに比べて断然、香港に対する知識が少なかった。でも香港映画が好きなメンバーと映画へ行ったり、香港スターの楽曲CDを借りたりして、だんだん好きなアーティストが増えてきた。

チョウ・ユンファ、トニー・レオン、ジェット・リー、アンディ・ラウ、フェイ・ウォン……。金城武のこともこの頃に知った。映画作品で好きなのは「恋する惑星」「さらば、わが愛」。いまでも思い出しては録画したものを引っ張り出してみている。

でもやっぱりいまでも、香港カルチャーが大好きな仲間の知識量には追いついていないとおもう。だって、みんなとってもマニアックなんだもの!(……心からの敬意をこめて!)

広東語を学びながらいつも、いつでも「香港に行きたい!」と思っていた。でも仕事の予定、友人との都合などタイミングが合わず、なかなか行くことができなかった。ついには「香港が渋谷や六本木あたりにあればいいのに!」とまで考えてしまう始末。

それでもなんとか初めての旅を含めて4度、香港を訪れることができた。最後に香港にいったのは新婚旅行。香港が中国に返還された翌年、1998年5月のことだった。

冒険の最大の思い出

教室で仲間と学んだなかで一番思い出に残っていることは、1995年の夏、総勢10名ほどで香港と中国・広州を旅したこと。5日間のこの旅行をみな「修学旅行」と呼んでいたと思う。一緒に言葉を学んだメンバーと巡る香港はひと味もふた味も違う!!広東語の先生のつながりで、現地の人と広東語で交流したり、香港で絶賛上演中の映画をみにいったり、中国では広州の伝統演劇である「粤劇(えつげき)」も鑑賞した。広州で食べたヘビの味も忘れられない。

この旅を主にコーディネートしてくれたのが、冒頭で「手紙をくれた」と書いた友人だ。当時、鉄道会社に勤めていた彼が関連の旅行会社に手配してくれたと記憶している(記憶が違っているかも……)。旅行が好きで筆まめな友人は「旅のしおり」のようなものまで作ってくれて。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

別の友人は写真が得意。常に一眼レフ(?)を持ち歩いてすてきな写真を残してくれた。久しぶりにアルバムを開いてみたが、写真はあの時の様子を鮮明に残してくれていた。きれいに撮ってくれてありがとう!!

冒険は思い出になった

結婚して、子どもが生まれて。わたしは日常を過ごしながらも、広東語で数をかぞえたり、たまに広東語で考え事をしていた。だからときどき、流ちょうに広東語を話している夢をみた。

しかしだんだんテレビからは香港映画が消え、テレビのニュースから広東語が聞こえてくることが少なくなった。

ここ最近わたしは、広東語が聞き取れなくなっていることに気がついた。そしてふと声に出して発音した時、舌がうまく回らないことにイラッとしてしまった。

2022年7月1日、香港の中国返還25周年の記念日。その前後、テレビから流れてくる香港の様子は以前とは変ってしまっているようにみえた。

あの頃の香港、そしてあんなに聞きとれて話すことができた広東語が遠くに消えてしまう!!

でも広東語を仲間と学んだ年月はキラキラとした思い出として胸にのこしておきたい!あの日々はわたしにとっては未知への冒険の旅のようだった。たった1度の香港旅行をきっかけにつながった不思議な縁。広東語を通じて知り合った仲間との出会いはわたしにとって最高に刺激的だった。心から感謝している。

あの時の仲間ともう一度会う機会はあるだろうか?もう一度広東語を話せるようになるだろうか?できるならもういちど香港を旅したい。そして現地の人と広東語で会話をしたい!

友人からの手紙

そんな思いを抱いた矢先に届いたのが友人からの手紙だった。このようなことも重なって懐かしさが込み上げてきたのだ。

友人とはしばらく会っていないが、手紙のやり取りは続いている。手紙には新しく出版するエッセイについて書かれてあった。わたしが知る限り、2012年以来10年ぶりの新刊になるのではとおもう。

最後に友人のエッセイをご紹介!

同封されたエッセイの紹介文を読んで「ああ、まだ大好きな香港に関わって過ごしているんだな……」と羨ましく感じてしまった。でも香港ばかりではなく、さまざまな国や地域への旅についても書かれているようだ。わたしは著書をとおして改めて、旅が大好きな友人の事をもっと知りたいと思っている。

友人への感謝と尊敬の意をこめて、最後に著書を宣伝して終わりにする。

友人の著書はこちら。
『旅のことばを読む』
小柳淳 著
出版社:書肆梓


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