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ビジョンが重要と言われる所以

哲学者の今道友信は、ビジョンを「理想」として次の様に語っている。

「理想とは理念の様に念じなければ心に出てこないものとは違い、具体的姿として想像できる。理想像が示されれば、それは人に勇気を与え、その理想像に向かって動こうとした人にはビジョンが与えられる。ビジョンは理想を目標形態にしたものだからだ」

ディズニーは次の三つの理想を掲げている。
 第一はディズニーランドは常に未完成なこと。
 第二に非日常的であること。
 第三に常に毎日が初演であること。

また、ビジョンを「夢」としてとらえる向きもある。
1963年8月の公民権運動の一つであるワシントン大行進のキング牧師の演説はこうだ。

「私には夢がある。いつの日か、かつて奴隷であった者達の子供と、
奴隷主であった子供が、兄弟として同じテーブルに向かう時が来るという夢が・・・」

そして、10万人を前に行った歴史に残る演説をこう締めくくる

「そして私達が自由の鐘を鳴らす時、全ての人種、全ての宗教の人々が互いに手に手を取って歌う日が近づくだろう」

 当時のアメリカは、人種差別が今からは想像もできないほど酷く、異人種間の結婚すら許されないほどだった。当時のキング牧師のスピーチで指示したビジョンは、人種差別の撤廃を求める公民権運動に参加している同志達に人種差別の無い平等な世界という夢を抱かせた。

ただ、ビジョンはあまり荒唐無稽でも遠い先を見据えすぎると人々は共感できない。

僕が新たなプロジェクトの立ち上げや目標達成に向けて動くときチームのメンバーに示していたのは「ロマン」だった。
ワクワクする、夢とロマンを掻き立てられるようなビジョンをメンバーに共有することでモチベートしてきた。

ビジョンに対する考え方は十人十色だ。

しかし、ビジョン対する考え方に違いがあっても共通して言えることは、ビジョンが明確でその姿が見えていれば見えているだけ、人々は苦境を乗り越えることができるということだ。
痛みにも耐えられる。

ビジョンと事業目標は違う。
売上げ高やシェアなどの、定量的数値に人は心を動かされない。

今、日本はビジョンを失っている。

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