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無用の用

荘子の教えに「人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり」(人皆知有用之用。而莫知無用之用也)というものがある。

これは荘子が世間の人々が有用性だけを追い求める一面的な価値観を嘆き、「無用の用」について説いたものだ。

「無用の用」とは“一見すると全く役に立たない”、若しくは“用をなさないように見える”ものが、本当は重要な役割を果たしているという主張である。

例えば橋は本来、人が歩く幅一尺(約30㎝)があれば十分だが、浅い小川にかかる小さな橋は別として深い谷間等にかかる橋は足幅の何倍もの幅が無ければ、落ちそうな気がして、危なくて安心して渡れない。
歩くために必要は無いが安心を生み出すこの余分の幅を無用の用」という。

いつの世も人々は効率性・合理性を追求し、「無用の用」を切り捨て、目に見えない結果や成果に取り組む人を「無駄」と嘲笑う傾向がある。

数年前に「寿司屋の修行なんて無駄だ、寿司を握る技術は3か月で身に着けることができる」という理論が物議を醸し、この意見に賛同する若者や経営者が後を絶たなかった。

だが、大きな仕事や、良い仕事をするには、単なる専門知識や能力だけでなく、人間の幅がものを言う。
日頃から基礎を鍛錬することによって自信と実力を養い、ここぞというときにその力を遺憾なく発揮するためには、心の修練を行っておく必要がある。

この、心の修練は即効性は無いし、目には見えない「無用の用」を積み上げる業だ。

「無用の用」に重きを置くことは崇高な考え方で余裕が無いとできない考え方なのかもしれない。
なので、自分や周りが「有用の用」ばかりを求め始めたらそれは余裕が無くなっているサインだと考えたほうが良い。

朝、職場で出会った同僚に一言「おはよう」ということは合理性だけを考えれば不要だが、挨拶から生まれる会話、関係性は決して無用なものではない。
職場や同僚から挨拶がなくなったらその人に余裕が無い危サインだ。

世の中は「無用の用」で溢れている。
無駄と物事を切り捨てる前に無用の用が潜んで無いか一度考えてみると物事の幅が広がる。

仕事だけでなく、人間の幅を広くすることが人の魅力を増す。  

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