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欲を手放した人は必要な物を手に入れるという考え方

無くしたものを一所懸命捜しても見つけられないのに、捜すのを諦めて別のことをしていると出てくる。

何かを得ようと必死になるが失敗するのに、諦めて無欲になった時、気がつくとそれは手に入る。

名声や地位のための努力をやめて、目前の仕事を誠実に処理しているうちに、それらの両方を結果的に手にする。

これらは一般的には無欲の勝利と呼ばれる。

欲は誰もが持っているもので、行動の原動力になる反面、強すぎると失敗の原因になる。

自分や相手が何かしらの利益をもたらしたことに対して、何らかの返礼のことを「見返り」と言い、見返りは大なり小なりモチベーションに繋がる。

だが見返りを求めて行動をするようになると行動の基準が「自分の得になるのか、損になるのか」にすり替わり、損得勘定が働くようになる。

損得勘定で動くようになると人は簡単に悪につけ込まれるようになる。
倫理観に欠ける行為も損得を考えるようになり、悪いことと分かりながらも自分が得するのであれば、周りが嫌な思いをすることになっても自分に得な方を選んでしまい、あっという間に悪に取り込まれる。

日本には昔から、『悪とそれを成敗する正義の味方』という典型的なフォーマットがあり、昭和の番組や漫画はこのフォーマットに当てはめられたものが人気を博した。

一方、「見返りを求めない人」は、損得勘定では動かない。自分が得をすることよりも、自分の信念や他人の幸せのために行動する。

打算的に動くのであれば自分にとって損になることを避け、得になることだけをすればよい。だが、この考え方は持続性が無い。損得勘定で行動している人に人はついていかない。

「情けは人の為ならず」と先人はよく言ったものだ。
現代用語では「情けをかけるとその人の為にならない」という意味で理解している人も少なくないそうだが、本来の意味は「他人に情けをかけておけば、巡り巡っていずれ自分に良い報いが返ってくる」という意味で、見返りを求めず常に人には親切に接するべきだという教訓を含んでいる。


凶弾に倒れた某総理を知る人は皆口を揃えて、「彼は損得勘定で動く人ではない」と言い、その日本ではあまり広く知られていない功績は世界各国から称賛されている。それ故に氏を支持する人は後を絶たない。

欲を抑えて見返りを求めず人に与える時、より大きなものが手に入る。

綺麗ごとかもしれないがこれが自分の行動指針であり、先人に教わったことだ。

今だけ、金だけ、自分だけの思想に染まってはいけない。

自分を良く見せようとする背伸びをやめた時、人はあなたを信頼し始める。
地位を利用した威嚇をやめた時、部下達は素直に従うようになっていく。

有頂天の時には成長はないが、打ちのめされたと感じた時、成長が始まる。

人間、誰しも欲望を手放すことは難しいが、欲を薄くすることはできる。

「欲を手放したる者は、必要なものを手にする」
(老子の教え)

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