学歴とは価値なのか。ブルーカラーは負けなのか。
某SNSでの話題を元に、一度だけちょっと深く考察するだけの文章です。
今回は、
「アメリカで学費が高騰し大学のコスパが低下。ブルーカラーを選ぶ若者が増えている。人手不足・需要過多のためか」
というポストがあり、調べてみると、
(記事及びグラフは読売新聞オンライン様から拝借しました)
一時、Twitterが某SNSに変わるあたりで、多数の人員をイーロン仮面さんが解雇した、というニュースがあり、その影響もこの統計に反映されていたりすると思います。また、FacebookがMetaに変わるあたりでも確かにリストラが行われていました。
また、コロナ禍以後、人材不足のためにブルーカラー、とくに小売りや建設あたりで賃金が派手に上昇したことで、ホワイトカラーとの賃金格差が縮まり、場所によっては逆転した結果である、とも見えます。
また、昨今のAI事業が奏功し、人間としての頭脳が少しずついらなくなってきた、というむきもあるらしいです。怖いですね科学の進歩って。
で。
私はカネの話をよくしますが、正直成金趣味は嫌いですし、実を言うとカネの話も本質的には嫌いです。
なのにカネの話をするのは、プロフィールにも書いていますが、老後孤独死確定の独り身という状況から、カネくらいしか頼るものがないために仕方なくいろいろ調べたりしている結果、カネの話に詳しくなってしまったからです。嫌いと必要は同居するのです。
同じ理屈で、私は学問・学校の存在価値、科学知識を取り込むことの存在理由などについてもよく話をしますが、本質的なところで学歴偏重社会には異を唱える気満々ですし、高学歴を獲得していい就職先を探す、という行為はコスパ・タイパともに相当悪いのではないか、と思っています。
(※ただし、ある程度の企業さんは学歴フィルターがあることは間違いないので、こりゃーしかたないのかなーとも思ってます。採用するほうでそうフィルターを設けてしまっては、求職するほうはそれに追随するしかない)
そもそも、学歴偏重社会というと日本でもアメリカでも中国でも韓国でも、ヨーロッパでも、程度の差こそあれ、ワリと世界全部そうだったりするので、いまさら嘆いてもこの価値基準は変わらんのだろうな、とは思います。
ただ、それぞれの「学歴」の意味は、たとえば日本とアメリカだけ抜き出しても、その内情は大きく違うのです。
アメリカは基本、大学はカネさえあればワリと誰でも入れますが、むちゃくちゃ勉強しないといけないので、卒業するのが難しい、というのは有名な話です。日本だと理系がわりとそうですね。東京理科大とか有名です。
学歴、と問う場合には、少なくとも、「学問を修めたことで、どの程度の科学的知見が己の頭にストックされているか」で判断しないことには、学歴なんて問う意味自体ないということでは、と思います。
その上で、きちんと学歴を問う資格がある(大学でクソほど勉強させる)アメリカで、コスパの面から学歴偏重にNoをつきつけ、ブルーカラーを指向する若い人がいる、というのはこれ、私にとっては衝撃でした。
あーこれ、長い話になるな……どうしよう。
ちょっと、的を絞らないといけない。学歴偏重については別に多々言いたいことがあるので、それを書こうと思ったのですが、ちょっとこれははしょる必要がありそうです(書く前に精査しなさいよそういうことは)。
結論にいきなりいきますけれど、経済原則のど基礎で、需要と供給(ど基礎しか語らないのは、私がど基礎しか覚えてないからです)のバランスで価格が決定されるというものがある以上、供給量が増えれば価格は下がるし、需要が多ければ価格は上がる、のです。
IT人口が下がり、ブルーカラーが増えた、というのは、ITの仕事はAIの台頭でいよいよ減りそうだ(AIがプログラミング出来るようになりそう、ってことらしいですよ奥様!)ってことと、ブルーカラーがコロナ禍以後(補助金漬けで)ガクッと減ったことで賃金が爆上がりした、という、こんな背景があるらしいです。
もちろん、これは一時の現象でしかない場合があります。IT産業がまだ人を雇う価値があると判断する未来だってあるかも知れませんし、ブルーカラーの賃金上昇が一服すれば、つまり労働者が行き渡れば、またずるずると下がっていく可能性だってあるのです。経済現象は永続化する根拠を持たない、というのは確定で、現状をもとに将来の設計を行い未来予測を怠ると人生失敗しますよ。
ただ、明らかなことは一つ、あると思います。こう結論づけていいのでは、というような。
それは、すごく当たり前で雑な、ふわっとした結論なのですが……こういうことです。
「世の中には、いろいろな人が必要。
ホワイトカラーに属する人も、ブルーカラーに属する人も等しく必要。
どちらか一方だけを目指して就業人口比がいびつになれば、その社会は早晩崩壊する」
こういうことです。
ともするとブルーカラーをさげすむのは、我々もよくやる過ちです。
ただ、上記のようなアメリカの現象は日本においてもわりと近いことが起きていて、たとえば鳶職なんかはそのへんの会社員より高額を稼ぎ倒してます。そのかわり、もしなにかあったとき、という危険が伴う仕事ですので、その危険手当的な意味もあるでしょう。あるいは障害を負った場合の残りの人生の食い扶持を短期間で稼ぐ、という意味も。
ブルーカラーは低賃金である、という、味噌もクソもごった煮にしたような誤解もたんなる誤解で、ホワイトカラーばかり指向したためにホワイトカラーの賃金がいっこう上がらず、ブルーカラーの方が普通に高賃金となった例なんていまさら珍しくないですし(月の収入が十数万前後の道路工事作業員の方を、非正規以外では僕は見たことないです。僕の常識が狭いだけかも知れませんが)、あるいはホワイトカラーの安月給ゆえに回り回ってブルーカラーの収入にしわよせがいく(農業を見よ)という負の連鎖もまた、見られますな。
そういう意味で、「学歴」偏重は私は意味がない、と思うのです。
単にカネを稼ぎたいならブルーカラーという選択肢は全然ありですし、むしろ社会に必要なのは、人材として価値があるのは、ホワイトカラーよりブルーカラーの方たちでしょ。
学校でいっぱい勉強してもコード一つ修理できないでしょ。
経済学んで金融に携わって血反吐吐きながらファンドを儲けさせて、己の賃金は年収500~600万だったりするでしょ。
「勉強しなさい! いい大学に入って、いい企業に入るのです」
なんて子供のころよく社会では親がこんなことを言ったものですが。
そもそも、いい大学に入って高度な勉強をする理由……というか、そういう高度な勉強が必要なのは、
「起業してすごい会社をつくる経営者」
や、
「世の中を便利にするようなすごい研究をしてる研究者」
を目指す人に必要な声かけであって、
「いい企業に就職する」
ために高度な勉強しても、正直「宝の持ち腐れ」なのですよ。
ただね。学歴フィルターがあるからね。しょうがないのです。そういうフィルターをつくる企業がしょうもない。そういうしょうもない企業は潰れればよろし。
以前私はこのno+e……
で、こう述べたことがあります。
「人間社会は、社会をどのような人材で保持しているかと言えば、
『優秀な人間は社会制度の設計に携わり、その設計下のもと、働き蜂的なポジションにある普通の人がその管理、監理を担い、粗野だが力があるドンキーが馬車馬のように現場で働く』
となっている」
と。
そして、別の投稿で、
「この社会設計に携わる人間がいちばん高い金をかっさらっていく」
とも述べました。
なので、この社会設計に携わるような高い金をかっさらえる職業を、学歴によって手にできるならそりゃ誰だってそこを狙うというものでしょう。
ですが、優秀な人間なんてそういるわけでもなし、いたとしても設計に携わるような人間なんて実際少数しかいらないし、「がんばった全ての人が一等賞!」で動くほどこの資本主義は砂糖菓子で出来てはいないので、はじかれた人たちはなんらかの活計を模索しないといけないわけです。
逆に。
粗野で力のあるドンキーが減れば、社会は活力を失い、ある一定数を切ればそれこそ社会危機となります。
ブルーカラーをさげすむ風潮をどうにかしなければとは思いますが、人間のねちねちした優生思想を否定したところでいくらでも沸くものですし、ここに文句を言ってもしょうがない部分もあります。
言いたいことは。
人には等しく価値がある、ということです。
そして。
一方だけの華やかさを求め続けるならば、その影に隠れひたすらにその華やかな世界を支えている人たちが、ある日突然いなくなると、どんなに優秀な人たちがひしめいていようと、社会は崩れていく、というのは、日本人ならこの「失われた30年」を見てれば分かることだと思います。
なにかをないがしろにした結果が、これなのです。
それはきっと、「学歴」を偏重して、「科学的知見」を軽視した結果でありましょう。
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