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壊れたい、それは嘘。

 Twitterに弱音を書いては消すのを繰り返している。吐き出せないなら、どうせならnoteにしてしまおうと思って投稿画面を開いてみた。

 最近、身体的な不調がずっと続いている。約半月、調子の良かった日などない。どこかしらが痛く、息ぐるしい。お昼ご飯を食べる気にならない日もある。だからって仕事は休めないし、起きては仕事に行くのを繰り返している。

 このままではいつか死ぬかも。そんなことを思ったところで、仮病とか精神的に弱いとか言われるのは嫌だし、人がいるところでは元気なふりをする。たまには「最近息苦しいんだよね〜!ストレスかなぁ」と茶化しながら。

 茶化してほしいと思う。一方で、茶化さないでほしいとも思う。表に出している数倍はしんどい。比喩とかではなく、たまに息ができないほどに胸が痛んで立てなくなることもある。出来るだけ知ってる人がいない場所でうずくまり、回復を待つ。

 人事異動があってから、仕事が劇的に忙しくなった。後輩の世話、先輩からの圧力、与えられた業務に手がまわらない。さらには、上司の不機嫌にも付き合わねばならないとなると、私の余裕は削れていく。知っている、これは死に至らなくとも死ぬ一歩手前だと。

 休めば良くなる?ほんとうに?

 鬱で仕事を休んでいた同期を知っている。辞めていった先輩も。彼らが会社でどんな評価をされていたか、私はずっと見てきた。「精神が弱い人間に役職をつけるなんて」「ああ、あの人何もできなかったもんね笑」そう言って笑う人の顔が歪んで見えた。

 知っているのだろうか?精神が疲労すると仕事のクオリティが下がっていくことを。簡単なことすら覚えられず、手につかないことも。

 私はまだ大丈夫。ちゃんとできている。それだけを信じて、ひた走っている。立っている。

 これは絶対に真似しないで欲しいのだけど、私は立って歩ける限り仕事に行くと決めている。それは別に、仕事が好きとかではなく他人に迷惑をかけることに申し訳なさを感じるからだ。もちろん、私がいなくたって仕事は回る。社員1人が休んだくらいで潰れてしまうような組織は間違ったいると思う。

 わかってるよ、わかってる。でもね、理解と感情は別物だ。

 休めば休むだけ他人に負担がかかる。自分に降りかかってくる。ならば、どうにか動く足で立って、なんでもないふりして笑うしかないじゃないか。

 どうしても立てなくて仕事を休んだあの日以降、私はにこやかに笑って仕事をしている。体調を崩すたびに思う。病気だと思われて邪険に扱われるくらいなら、いっそ壊れてしまった方がましなんじゃないかって。ただ、私が壊れたところで誰も何も思わないから、そんな無駄なことはしないけれど。

 ただ、死ねば全てが終わるのにと考えることはやめられない。いつか死を選ぶときは、嫌いな人間を道連れにすると決めている。私1人で死んでやるのはもったいないから。そういう発言をすれば「そんなこと言ってる限り自殺なんてしないよ」と言われる。確かに、と納得して笑う。

 でもきっと、死ぬときはそんなこと考えられないくらい気が狂っているのだろう。痛みすら恐れないほどに、壊れてしまったその日には。

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