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雨の季節の喜びと憂鬱について

 関西が梅雨入りしたというニュースを見て、ため息をつく。すでに空は曇天で、雨粒が頭のてっぺんを打っている。

 今年も、雨の季節がやってきた。

 私は雨のことを、比較的好きなほうだと思う。好きなところをあげろと言われれば、たくさん思いつく。

 雨の匂い、湿った空気に抱き込まれるようなような感覚、傘を打つ雨音、薄くけぶった雨越しの景色、晴れ間に見える一瞬のきらめき。傘をさす人々を眺めて歩くのだって好きだし、車窓からみる雨に歪んだ景色だって好きだ。

 梅雨の時期、私は少し嬉しくなる。一方で、外を歩けば濡れるということに、少し陰鬱な気持ちになる。

 社内で内勤をしていると、おしゃべりな先輩が声をかけてきた。彼は雨が苦手らしく、今から外勤なのが辛くて仕方がないという。確かに窓の外はどんよりと暗く、ガラスに雨粒が叩きつけられていた。

 パソコンを片付けて外勤しようとすると、先ほど帰社したばかりの後輩が「雨、結構降ってるんで気をつけてくださいね」と顔を少し歪めて教えてくれた。彼のスラックスの裾は、確かに濡れていた。

 雨の日のコミュニケーションは、どこか湿っぽく鬱屈としている。低気圧のせいで気分が下がるからなのか、雨粒が私たちの身体を濡らすからか。雨というのが、悲しみや憂鬱の心象風景として表されるのは、こういうところからきているのかもしれない。

 外勤してみれば、すれ違う人が皆、手に傘を持っている。傘を見ていると、その人の性格がわかる気がする。気がするだけで、それが正解かどうかなんて知る術はないのだが、そうやって観察しては想像を膨らませる。

 ビニール傘を持っている人、色鮮やかな長傘を持っている人、しっかりとした骨組みの折り畳み傘の人。自転車に乗っている人は雨合羽を着ている。 

 色褪せた傘に「ああ、この人はこの傘を愛用しているんだな」と勝手に思う。ビニール傘を好む人は物に頓着がない人だと思っている。もちろん、そんな人ばかりではないのだろうが。

 つるりと滑る側溝の蓋の上をそろりと歩いて、濡れた傘を畳んでリュックサックの横に刺した。仕事の日は、基本的に折り畳み傘を使っている。客先に訪問する時、長傘は置き場に困るし、忘れることも多いからだ。コンビニで買った無骨な傘を見て「私もものに頓着ない人間なのかも」と自嘲した。

 つまるところ、雨の日はどこか憂鬱だ。それでも、雨は美しいし、私は雨の日も大好きだ。

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