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窓の外の雨はとてもきれいだった

 トタンの上をころころと転がる雨は宝石のように綺麗で、私は国語の授業中ずっとそれを眺めていた。雨の日は、あの頃を思い出す。

 取引先に向かう電車の中でぼうっと外を眺める。社用携帯が着信を知らせるが、ここは電車内だから取らずともよい。仕事から解放されたい気持ちを抱えて、私は仕事に向かっている。

 高校生の頃、窓際の席になったことがあった。あれはまだエアコンをつけてはいけない時期で、窓を開けて少しでも涼しくしようとしていたのだろう。しとしとと降る雨を授業中に眺めていた時、トタンの屋根に丸いガラス玉のような水玉があった。

 教室は1階だったので、自転車置き場の屋根だったと記憶している。私は不真面目な生徒だったので、国語教師の声をBGMにして外を眺めていた。

 雨が降るたびに水玉は大きくなり、耐えられなくなったかのようにトタン屋根の溝をころころと流れていく。転がる姿がとても綺麗で、飽きることなくずっとそれを眺めていた。

 雨というのは、一度外に出れば厄介なものになる。靴は濡れ、服も濡れ、髪も膨らむ。濡れた傘を畳むのも億劫だし、忘れないように傘を持ち続けるのも手間だ。

 雨の日に車窓から窓を眺める時、昼の晴れ間より静かな気持ちになるのは景色の明度が下がるからかもしれない。鈍い色をした空、視界を遮る雨粒、憂鬱とした気持ち。心象風景として描写される雨も、悲しみを表すことが多い。

 電車に乗ってガタゴトと運ばれながら、結露で曇った窓の外を眺める。逃げ出してしまいたいのに「外は雨だからやめておこうかな」などと思ってしまう。天気ごときに判断を左右されるることにイライラして、スマートフォンの画面に視線を落とした。

 着信履歴を眺めてはため息が出る。逃げるほどの幸せもないなと思って、明かりを消した。目的地への到着を告げるアナウンスが鳴り響く。降りなきゃな、と思考を切り替えて傘を撫でた。

 雨の日は窓から外を眺めるだけにしていたい。願わくば、トタン屋根を流れるきれいな水玉をずっとずっと眺めていたい。学生の頃の私にとって雨は美しいものだったのに。

 感情に任せた逃避が許されるはずもなく、私は電車を降りて歩くのだ。雨に濡れたアスファルトにヒールの音を響かせて。傘を片手に社用携帯を耳に当てる。

「お世話になっています。お電話出れず申し訳ございません。いま、お時間よろしいですか?」

 道化のような声が、傘に響いた。

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