日記 流れ星を見た。学びの面白さ。

 2021年11月24日。私が人生で初めて流れ星を見た日。部活の帰り道、最近は星が綺麗だからぼーっと空を眺めてしまう。その日もそうやって空を見たら赤い星が空を斜めに流れていった。一瞬の出来事であまりに幻想的で放心した。そして、え、これって流れ星よね??え、え、えーーーー、と興奮。人生で初めて見たからこれが流れ星の正解なのかわからない、幻覚かしら、、なんて気までしてくる。だけどきっとこれが流れ星なんだろうと納得した。   
 その時間はもうほとんど人も歩いてなかったけど道路を挟んで反対側の歩道には帰りがけのJKたちが私の向かう方向とは逆側に歩いていっている。私がこんな神秘的な光景を目にした瞬間、彼女たちは楽しそうに談笑して何事も知らず歩いている。あんたたち、そんなどうでもいい会話のためにこんなすごい光景見逃しちゃったの?!?!、と一瞬思ったけど、そういうものなのだ。ぼくがラーメンたべてるときに世界のどこかで新たな命が生まれ亡くなり、戦争しているように彼女たちが他愛のない会話をしている間に一つの星が命を終えたのである。その対比になんだか面白さを感じた。日常と非日常は常に混在しているのだ。そして私は今ひとつの星が命を終える瞬間を息を呑んで見届けたのである。きっと多くの人は今この瞬間ひとつの命が終わったことも知らずに普通に生きている。それが普通で、日常というもので世界は刻々と変わらず進んでいる。でも、その瞬間をちゃんと見届ける人は必ずどこかにいる。少なくともこの私が証人だ、という特別な気持ちになった。
 流れ星に願いをなんて言い始めたのはどこのどいつだ、なんて私は思った。ものすごいスピードで夜空をかけていく流れ星のエネルギー、すぐに消えていってしまう儚さ、生命が終わる瞬間ってこんなに美しいものなんだと私は思った。それを見守ることに意味がある。そんな時に願い事だなんて他のことに頭を使ってしまうなんてできるわけない。私たちはあの強烈な魅力にひれ伏しただ圧倒されることしか許されないのだ。

 話は変わる。この前家族と時の流れについての話になった。母は、もう12月だなんて一年が一瞬すぎる、と本当にそう思っているのだろうなあという口ぶりで言った。歳をとると一年が早く感じるという。父は、なにせ多くがもう見たことやったことの繰り返しばかりだからなあ、と言った。赤ちゃんは何もかもが初めてだもんね。
 その時私はふとバイト先のショッピングモールで見た光景を思い出した。子供づれの親子がエスカレーターに乗ろうとしている。子供は親に手を取られ、親はせーのと声をかけてタイミングよく子供がエスカレーターに乗れるようにアシストしている。その光景を見て私は当たり前なことに気がついた。そうか、子供はエスカレーターの乗り方ひとつさえも親に教わってきたのだ、ということを。人生は全ては学びと練習の連続だ。子供にとってエスカレーターに乗ることはちょっぴり怖い挑戦なのだ。そうやって小さな挑戦をひとつひとつ乗り越えて成功していって今では何も考えずにタイミングを掴んでエスカレーターに乗れるのである。そんな当たり前なことを忘れていた。そして何よりその時に思ったのが、親ってすごいってことだ。こんな小さなことを何から何まで子供に教えているのである。人間は全て教育者なのだ。その時私はちょっとだけいつか自分が親になる自信を無くした。
 でも父は言う。子供が生まれたことが人生で一番面白かったって。その瞬間なぜか涙腺がちょっと緩んだ。こうやって文字に起こしている今も思い出してまた涙腺が緩んだ。

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