久しぶりの、美女入門
小学生の頃、よく母が図書館から林真理子の本を借りてきて読んでいた。母が読み終わったその本を私もよく読んでいた。小学生でも読みやすい文体で、面白いなと思っていた。
そんな林真理子の美女入門に21歳になった今、再会した。私のバイト先はブックカフェなので、本を返却するボックスがある。そこに入っていた美女入門、最近出たばかりの最新の美女入門である。あ、久しぶりに見たな、読みたい!と思い、退勤後に時間外れのモーニング(バイトの特権)を注文して、あ、モーニングもう終わってるのに店内で食べるのアウトだな〜などと思いつつも、返却ボックスからいそいそと本を取り出して何年ぶりかも忘れたくらい久しぶりに美女入門に対面した。
久しぶりに読んだ真理子様はやっぱり面白い。ライトでブログみたいに読みやすくて、クスッとできる。他人の日常というのは面白いものだ。しかし、久しぶりに読んで一番びっくりしたのが、状況説明が全部理解できるということだ。小学生で読んだ時は、プラダだとかシャネルだとかはわかっても、モンクレールは知らなかった。そうしたハイブランドの名前が全部わかってしまうし、青山の骨董通り、青山にできた新しいホテル、だとかそうした地名に絡むところも、ああ、あそこね、と全部手にとるようにわかるようになった。それは、私が表参道を最寄りに持つ大学に通っているからだ(林真理子の娘もまた然り)。当然、遊んだりするのもその周辺が多いので詳しくなった。小学生の頃は全然ピンと来なかったそうした土地に関する知識もスラスラと今なら入ってくる。それから、歌舞伎を観劇したりだったり、恋愛に関する話だったり、美容施術だったり、ダイエットだったり、そうした全ての解像度が100倍くらい高くなっていた。当時は全部大人の話すぎてちんぷんかんぷんだったことが、今じゃあ全部わかっちゃうし、この大人がどれだけ豊かな生活を送っているのかも、手に取るようにわかる。
嬉しようで、こんなことが全部わかるようになってしまった自分、無駄に大人になっているような気もして悲しい。何も知らなかったあの頃も方が無邪気だったかもしれない。
高校生まで自分の家が貧乏か裕福かなんて考えることもなく生きてきた。でも、大学生になって、周りに自分の想像をはるかに超える裕福な暮らしをしている人たちを目の当たりにして、しかも、これを買うにはどのくらいお金がいるのか、なんかもわかるようになってしまった。ブランドものの服やバッグを目にするたびに、どうしても気になってしまってネットで調べてしまう自分の醜さにも嫌気がさしたし、そうやって秒単位ですぐ値段がわかってしまうネットという便利な凶器によって私の心は簡単に切り刻まれてしまう。そんなの気にしないで、楽しく生きればいいじゃんというかもしれない。私もそう思う。でも、なぜか見せつけられているかのように眩しくて、喉から手が出るくらい羨ましいの。いつの日か、こんな日々も懐かしくて、今じゃそんなことどうでもいいわ、と思えるくらい自分にとっての価値を見出せたら、また美女入門を読んでみようと思う。