【疑問メモ】美学の方向性
日本人は"ある"状態から"ない"状態に移行することに美学を感じませんか?
もっと言うと"ない"状態そのものに対してなんか美学を感じません?
美学というか使いがちというか。
日本人は"損"をするのが嫌いという話を前の記事でしたのですが、それはある意味"損"に対して"注目"している気がします。
外国の方もそうでしょうか?
僕が見た外国人は"ある"状態から"ない"状態に移行した時、みんな
"気にしない"
つまり興味がなくなった、みたいな感じで対応してた気がします。皆です。
日本はそういう感じじゃない気がするですよね。
日本人は"ある"→"ない"により美学を感じてて、
外国人は"ない"→"ある"により美学を感じてる気がするんです。
これ僕だけでしょうか。
地政学とかいろいろなことも関連してるかも。
別に日本人が"ない"→"ある"に興味がないとは言わないですけどね。
阿波踊りだったか同じアホなら踊らにゃ"損損"みたいに言うし、失恋ソングがガンガン流行るし。
外国だと特にエド・シーランの"Shape Of You"だとポンッポンポンみたいな単音演奏があって、そっから音を積んでいくんですよね。ファレル・ウィリアムスの"Happy"とかもリズムをベースにして展開とかコーラスを積んでいってます。逆になってる洋楽の例が思いつかないので教えてください。
昔iPhoneだったかiPodだったか背面が鏡面仕上げになったとき、外国人は"鏡面"ってことに注目して、日本人は"傷一つない"ってことに注目してた気がするんですよね。僕だけでしょうか。
恥の文化みたいなものもそこから来てるのかなと思うんですが、これどうなんでしょう。いろんなものを作るときにちょっと考えてみたいと思います。
反応も待ってます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?