【短編小説】走り去る
深夜1時。唸るエンジン。地を蹴る二輪。
それは疾走する黒い影。
夜闇に紛れた姿は見えず。残る足跡はテールランプのみ。
彼が来て、彼が去る。
これはただ、それだけのこと。
その人のことを、私は知らない。
どこからやって来て、どこに向かっているのかも、私には分からない。
3ヶ月前、雨が降る中横転した青いバイク。飛び散る破片。空回りするエンジン。動かない彼。
その顔はまるで眠る様に安らかで、新手の自殺なのかと思われる程だった。
ただ、助け起こそうとしただけの関係。死んでしまった以上、関係が続く事はなかった。
なのに、今もこうやって、彼は走っている。
一度、どうにか伝えてあげる事は出来ないかと思ったことがある。
「あなたはもう、死んでるのよ」
何度その言葉を叫ぼうと、唸るエンジンは留まるところを知らず、その轟音と共に同じ道を何度も走り去る。
暗いヘルメットのバイザー越しの、その顔は分からない。
バイクに跨る彼は、今もあの穏やかな顔をしているのだろうか?
私はベランダで煙草をふかしながら、走り去るテールランプを静かに眺める。