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Gift 09 〜 際限なく増える未来の報酬は私たちをどう変えるのか?

◎ あなたが発揮した愛は自分に返ってきて大きくなる

最初に「これをやりたい」という想いがあり、朝食を作る、掃除をする、資料をまとめる、数字を整える、文章を書く、旅に出る、映画を観るといった大きなロールができあがります。次にそれを形にしたり、表現したり、体験したりするために動き出します。

実際に手がけてみると「ここはこうしたい」という新たな想いが湧き上がり、ひとつの工程から「思い入れ」や「こだわり」と呼ばれる小さなロールが生まれます。そのたびに、創意や工夫や感性など、形のないものをいくつも発揮しながら、仕上がりを心の求める像に近づけていきます。もちろん、必要と思えば、先に進むよりもその場に長くとどまるほうを選びます。

こうして文章にすると、職人の流儀や意識の高い人の働き方について語っているように見えるかもしれません。けれども、Gift 02で命名した「ロール」には、人生で行うすべてが含まれています。仕事はもちろん、家事でも趣味でも遊びでも、ぼおっと休んでいるときでも、愛さえ使えれば、私たちは自然とこのように動いてしまうのです。

想いを抱くきっかけが誰かはあまり重要ではありません。自分発の「これがやりたい!」も、他の人から頼まれて感じる「それをやってあげたい!」も、私の中に芽生えた瞬間に、ひとつの愛から生まれる同じ想いになるからです。

また、ここには手段とみなされるものはありません。行く先々で渡されるロールプレイングゲームのクエストのように、先の「小さなロール」が次々と動く目的を作り出してくれます。それらを攻略するたびに「いまここ」で、やりがいや手応えや「役に立てた!」という喜びを感じられます。

同時に、いいものを生み出している自分自身と、それができる環境を用意してくれたこの世界と、場合によっては、その機会を与えてくれた他の人々に感謝しています。そして、この「ありがたい」という想いもまた愛に属しています。

つまり、ロールをとおして発揮した愛は、さまざまな形で自分に返ってきながら、どんどん大きくなっていくということです。

こうして、私たちの中に、

「動くたびに心が愛で満たされ、その満たされた心が別の想いを抱いてまた動きたくなる」

というしあわせな循環ができあがるのです。

前章までに探索してきたとおり、愛が使えなくなった私たちはこの方法を信じるのをやめました。その代わりに、仮想の未来に「ほしいもの」や「安心」の報酬を置き「それを得るためなら、ロールが辛くても仕方ない」と捉えることにしました。

ただし、愛を封印した私たちに心の声は聞こえません。しかたなく「何を手に入れればしあわせになれるか?」の選択を、いくつかの傾向から逃れられない思考に委ねます。前話では、その結果「未来の報酬は際限なく増えていく」という事実を見てきました。

これによって、私たちの何が変わり、どのような問題が起こるのでしょうか。

◎ 出がらしの茶葉を絞るように「時間」を捻出する

新しいモノや体験を買えば、それを使ったり味わったりする時間が必要になります。学歴や資格を得たいなら、さらに長い年月を費やして知識を学ばなければなりません。健康の管理や防災や老後の備えなど「安心」のためにやることにも手間ひまがかかります。

ところが、Gift 02で見てきたとおり、ほとんどの人は「起きてから寝るまでのあいだに、何もしていない時間はほとんどない」くらい、すでに多くのことを手がけています。もちろん、私も例外ではありません。そんな状況の中で、やりたいことや手に入れたいものがひとつ増えたらどうなるかを想像してみます。

まずは、一日の行動からそれほど無理なく省けるものを探すでしょう。ただし、未来に報酬を得る手段としてかなり有力な仕事を削るわけにはいきません。否が応でも、選択肢はその前後のロールに絞られます。私の場合なら、夕食のあとにとる1時間ほどの休憩や、寝る前に観るネットの動画や、イベント終わりに行く飲み会あたりが候補に挙がります。

どれも、かけがいのない楽しいひとときばかりで、できれば残しておきたいと思います。でも、そんな悠長なことは言っていられません。未来の報酬を得るために、ここは涙をんであきらめます。

こうして、何とかやりたいことを行う枠をひねり出した私に、思考は「その調子でやればまだ増やせるでしょう。あと3つか4つくらい、いや、がんばれば5つか6つはいけるんじゃない?」とさらなるやりくりを求めてきます。

「マジかよ!」と思いながらも、まるで出がらしの茶葉を絞るようにして、私はそれらを入れる「空き」を工面します。もう、先の休憩や動画や飲み会で迷っている余裕はありません。有無を言わせずまとめて廃止にするでしょう。「それだけは勘弁して!」と泣きつく自分を振り払って、寝る時間を短くすることも検討します。

それでも足りなければ、いよいよ禁断の「家族と過ごす時間」に踏み込まなくてはなりません。子どもが「遊ぼう!」とじゃれてきても、パートナーが買い物につき合ってほしいと頼んできても、猫がなでろと甘えてきても、心を鬼にして「そんな暇はない!」と突っぱねるのです。

こうなると、いったんは手を着けないと決めた仕事も、のんきに聖域に入れておくわけにはいきません。生活に差し支えなければ、残業をしない手もあります。自分の担当ではない業務にはできるだけ関わらないようにして、問題にならない程度に他の人からの依頼も断り続け、いわゆる割り込みが入らないよう鉄壁の「定時に帰る防御」を張り巡らせます。

やるべきことはまだまだあります。削らなかったロールを手がけるときも、ひたすら時短と効率を意識して、速読や倍速の視聴や生成AIの活用など、少しでも速くなりそうなやり方を見つけたら、ためらわずに取り入れていきます。

それでも手を着けられないものは「計画」の形にして空きができるまで貯めておきます。その待ち列がどれだけ長くなっても、私をしあわせにする「ほしいもの」や「安心」を捨てるわけにはいきません。

じつは、私はこの想像をかなり盛っておもしろおかしく書くつもりでした。でも、実際には、かつての自分がガチでやっていたことの詳しい描写になってしまいました。創作では超えられないほどの執念をもって、私も「際限なく増え続ける報酬」を、ひとつも取りこぼさずに手に入れようとしていたのです。

冒頭に書いた「愛が使える自分」のやり方と比べると、何もかもが様変わりしているとわかります。中でも、私たちの生き方に大きな影響を与えたのが、

「時間こそが、人生でもっとも価値あるものになった」

という変化ではないでしょうか。

(次章に続く……)

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