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Gift 08 〜 心の声と思考の判断をどうやって見分ければいいか?

◎ 失敗したくない思考は流行と人気と権威に抗えない

「それはあなたの本心か?」と聞かれて、答えに困った経験が私にもあります。目に見えず、形がないうえに、ぼんやりと現れて消える心と思考は、そもそも厳密に線引きできるものではないのかもしれません。

ただ、境目があいまいなグレーゾーンはあっても、じっくりと内観すれば両者の違いを見分けられると私は感じています。前話で書いたギターとガジェットの話のように、その場ではどちらかわからなくても、数日後か数か月後、もしくは数年後に、自分の行動が答えを教えてくれることもあります。

さらに「これは心か、それとも思考か?」と自問しながら暮らしていると、それぞれの決め方や、その後にもたらされる結果から、いくつかのわかりやすい傾向も見えてきます。

たとえば、家族で訪れた書店で、親が2人の兄妹に「好きな本を買っていい」と言ったとします。兄はすかさずコミック売り場に直行して、大好きな漫画の最新刊を手にします。ところが、それを見た親は怪訝な顔をして首をかしげました。

すでに、算数の参考書とまじめそうな絵本を抱えた妹は「お兄ちゃん、やっちゃったね」と言いたげな顔でこちらを眺めています。兄は渋々と漫画を棚に戻し、クラスで流行っている漢字ドリルに取り替えました。親は彼の肩をポンポンと叩きながら「これで、テストの点数が上がるかもね!」と喜んでいます。

前話でも探求した「誰が決めたか?」は、この見極めの大きなヒントになります。書店のエピソードでいえば、躊躇する間もなく兄をコミック売り場に走らせたのは「心」の声に間違いありません。

その後に、キラキラした宝物を退屈な勉強の本に変えさせたのは、

「妹はちゃんとしているのに、僕は遊んでばかりと思われたくない!」
「ここは親の意向に沿っておくほうが賢い選択だろう。このあと、大好きな回転寿司にも行くしな……」

といった「考え」であるはずです。

こうしてみると、思考は影響力のある人の意見や、世の中のトレンドにめっぽう弱いとわかります。私も、ブログやSNSで「これはイチオシ!」とすすめるものや、その反対に「これを知らないと時代に乗り遅れる!」と不安をあおるものに、ずいぶんと誘惑されてきました。

「何がほしいか?」を頭で考えるとき、私たちは真っ先に「これを手に入れると、どのような利や得があるか?」を予想します。けれども、未来がどうなるかを確実に知ることはできません。

しかも、先を読もうとすれば、どうしても失敗して後悔するかもしれない不安が頭をよぎります。あれこれと悩んでいるうちに、最後は自分の狭い見識よりも、流行や人気や権威に頼りたくなるのだと思います。

その証拠に、この流れで得たものはつい誰かに見せて自慢したくなります。他の人にほめられたり、うらやましがられたりするのを確認すれば「よかった。私の選択は間違っていなかった!」と安心できるのです。

一方の心は、理由や根拠をほとんど気にしません。

前話のギターにしても、当時の私はまだ、それがどのような楽器かも知りませんでした。もちろん、本当に弾けるようになるのか、演奏を楽しめるのかといった、手に入れたあとのことなど予想もつきません。親に「どうして、そんなものをほしがるのか?」と聞かれても「わからないけどほしいから」と答えていました。

◎ 得たあとにホコリをかぶるか? 人生の伴侶になるか?

心はいつでも、損得や利害を超えたところにある魅力や輝きを見ている感じがします。失敗を怖がる思考には、それらを直視する勇気がありません。

おもしろいことに、この違いは、

「心で欲するものは、手に入れたところから始まり、頭でほしいと考えたものは、手に入れた瞬間に終わる」

というわかりやすい形で私たちの行動に表れます。

これに関しては、深く掘り下げなくてもあなたの経験が「あるある!」と同意してくれるはずです。心の声が「これだ!」と命じた本は、ネットの書店から届いたその日に読み始めます。「これを読んでおくと役に立つかも」と頭で考えて買った本の多くは「積ん読」になります。

ギターが家にやってきたクリスマスの日から、私は一日も休まずに練習しました。あれから50年経ったいまも、音楽は私の人生の一部であり続けています。残念ながら、はるばる海を渡ってやってきたガジェットたちには、開封の儀もしてやれませんでした。

ほかにも、高い入学金を払った英会話スクールに行かなくなったり、ジョギング用に買い揃えたスポーツウェアを部屋着にしたりと、私はたくさんのものを享受する間もなく終わらせています。

少し時間を空けて、手に入れたものがホコリをかぶるか、かけがえのない伴侶になるかを見れば、両者の違いは疑う余地もないほど明らかになるということです。

さらに「未来の損得や利害を予測せずにはいられない」という特徴から、思考に潜むもうひとつの傾向も見えてきます。

かなりお腹をすかせた友人たちと焼き肉店に行くとします。スタッフがテーブルに来るやいなや「タン塩! ロース! カルビ! ハラミ! サンチュ! ビビンバ! ナムル! キムチ!」と、全員が食べたいものを熱く伝えます。この注文が少なめ、適量、多めのうち、どれになりがちかを想像してください。

私の経験では、食欲が底なしの若者か、人並み外れた体格のスポーツ選手でもない限り、間違いなく「多め」の量になると思います。実際に、後半戦を迎えた焼き肉店で、私は何度も「え? まだくるの?」を口にしています。

次の例についても、同じように結果を想像してください。

今度は、初めて海外を旅する人が、買ったばかりの大きなスーツケースに必要なものを入れています。すでに、旅行サイトや現地に詳しい友人の話を参考にして、完璧と思える「持ち物リスト」も作成しました。この荷物は少なめ、適量、多めのうち、どれになりがちでしょうか。

こちらも私の実体験から、かなり自信をもって「多め」になると断言できます。編集者として初めて米国に出張したとき、私も特大のスーツケースにありったけの荷物を詰め込みました。カップラーメンや梅干しなどの日本食を山ほど用意して、まったく手をつけずに持ち帰った記憶があります。

Gift 0607で見てきたとおり、第二の対策の報酬には「ほしいもの」と「安心」の2つがありました。じつは、このよくある2つのエピソードはそれぞれを象徴しています。空腹で食べる焼き肉は、まさにそのときの「ほしいもの」であり、スーツケースに入れたグッズたちは、初めて海外に行く人に「安心」をもたらします。

手に入れる理由がまるで異なるように見えるのに、なぜ、どちらも多めに見積もってしまうのでしょうか。

焼き肉の注文と旅行の荷造りをするとき、私たちは、

「どのくらい食べれば満腹になるか? 何をもって行けば現地で困らないか?」

を想像します。

すでに書いたとおり、この未来の予測にはかならず、失敗や後悔をするかもしれない不安がつきまといます。その結果、

「いや、これではまだ足りないんじゃないか?」

という懸念や心配が、私たちの読みを多めの方向にずらしてしまうのです。

こうして、食べきれないほどの量がテーブルに並び、移動するたびにヘトヘトになるほど重たいスーツケースができあがります。かつて、大量のガジェットが私の部屋を埋め尽くした理由も「まだ足りない」だったということです。

◎ 思考が決める「しあわせの条件」は際限なく増えていく

私たちは、愛を使わずに動く辛さに対処するために、すべての行動を「未来の報酬を得る手段」とみなすことにしました。いまや、どれだけ「ほしいもの」や「安心」を手に入れられるかが、しあわせの鍵を握っています。

しかも、この第二の対策を講じた時点で、形のない心とその源泉である愛は「最初からなかったもの」にされています。心が使えないとしたら、よりよい人生の条件にまで昇格した報酬を頭で考えるしかありません。

その思考にどのような傾向があるかを、2話にわたって探ってきました。ここまでに次の3つが判明しています。

① 失敗や後悔を恐れるあまり、自分の判断よりも流行や人気や権威を頼りがち。
② 手に入れた瞬間に興味を失いがち。
③「まだ足りない!」と懸念して、自分の適量より多めに見積もりがち。

これによって何が起こるかを、できるだけリアルに想像してみましょう。

まずは「ロールの苦痛を補って余りあるほどしあわせになるために、どんな報酬を手に入れればいいだろう?」と未来を予測します。すぐに、①の「この大事な選択で下手を打ちたくない!」という不安が湧き上がり、自分の判断よりも世の中の評価や評判を信じたくなります。

けれども、そのようにして得たものの多くは、現物を見た瞬間に②の「興味を失う」という期待とは大きく異なる感覚をもたらします。おそらく「本当にほしいもの」と、思考が気にする損得や利害とのあいだに微妙なズレがあるのでしょう。

こうして「手に入れたら安心し、たいして使ったり読んだり味わったりせずに、また次のほしいものを探す」が繰り返されます。この終わりのないループに、追い打ちをかけるようにして③の「これではまだ足りない!」の懸念が加わるとどうなるでしょう。

すでに、あなたも経験しているとおり「ほしいもの」であれ「安心」であれ、しあわせになるために得なければならない未来の報酬は、

「際限なく増えていく」

はずです。

私たちにとっては、そのほうがむしろ好都合という見方もあります。Gift 05で「愛を封印すれば、あらゆる行動から原因が失われる」と書きました。第二の対策で登場した未来の報酬は、そのぽっかり空いた穴に「これを手に入れるため!」という新たな理由を与えてくれます。

それだけの力があるものを尽きることなく思いつけるなら、私たちが動く目的や動機も永遠になくなりません。

けれども、私はここにこそ、前話の終わりに書いた「けっして見過ごせない問題」の種があると考えます。

その芽はツタのように伸びて私たちに絡みつき、自分と他の人とこの世界の見え方をより厳しい方向に変えていきます。同時に、微かに残っていた「愛が使える自分」を、これまでよりもさらに遠い彼方へと追いやってしまうのです。

しあわせに向かって心を探究する旅はまだまだ続きます。次は、

「際限なく増える報酬が、私たちをどう変えてしまうのか?」

の問いをたどっていきます。

(次章に続く……)

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