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5発目:三日坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い

みなさん、こんにちは。
ロニー・コールマンになりたい、吉田裕太です。

ごめんなさい、前回サボりました

ごめんなさい。前回記事書くの完全に忘れてました。
いや、正しくはサボったってか、あー書かなきゃなぁとはなってたんすよね。
一応は毎週月曜23:59までの更新って決まってるんです。
ただね、心がね、動かんかったのですよね。ハートっす、ハート。
で、今書くのは違うな、もうちょっとバイブス上がってから書こうかなって。
そうしたら、日付が変わってました。
そうなっちゃったら、あーもうだめじゃん、来週ちゃんと書こ。てなって。

そういうことって筋トレでもありますよね!

「毎日●時〜ジム」ってスケジュール帳に書き込んでたのに、飲みに誘われてその日は行かなくって。
そうして次の日いけるはずなのに「いやー毎日って決めちゃったからなー、テンション下がるなー、来週からちゃんと計画的にやろっと」なんて言って。
そんなやつぁブクブクと太っていくのです。

三日ぐらいは続くんです。
でもそこからは続かない。
なぜか。
それは、筋トレが義務になってしまているからだ。

筋トレはスポーツである、趣味である

僕は主張する。
筋トレはトレーニングではない。
筋トレはスポーツだ。

サッカーやボクシングや野球やランニングと同じ、歴としたスポーツだ。
いかにして筋肉に負荷を与えるか。
いかにして筋肉を大きくするか。
いかにしてかっこいいカラダを作るか。
正しいフォームで、決められた筋肉に負荷を与え、筋肥大させる。
スポーツである。

※より重いダンベルを持ち上げる競技ではない。高重量でも、滅茶苦茶なフォームで、全身の反動で持ち上げても筋肥大は起こらない。軽くてもいいから、筋肉にしっかり刺激を与えるのだ。※

だから、決して、辛く厳しい地道でつまらないトレーニングではない。
筋トレはスポーツだ。
スポーツは趣味だ。
だから、筋トレを楽しもう。

"筋トレ"のために、筋トレをする

筋トレが何かの手段になると、それは途端に義務になる。
義務は自分を縛り付ける。苦しい。楽しくない。
だから、筋トレのために筋トレをする。

狭い意味での筋トレにおいては、正しいフォームで正しい重量を持ち上げる楽しさを見出す。だんだん扱える重量が増えてくる。強くなっていく自分。成長の感覚。身体中を巡る血流。脳内でアドレナリンが爆発する。筋組織から毛穴を通って快楽物質が分泌される。そして全身を包み込む多幸感。
我々は美味いものを食べたい。なぜか、美味いものを食べると幸せだからだ。
我々は筋肉を鍛える。なぜか、筋肉を鍛えると幸せだからだ。

広い意味においては、だんだんと大きくなっていく筋肉を愛でてみよう。毎日少しずつ広くなる肩幅、浮き出る胸筋、厚くなる広背筋。もちろん、すぐには成長しない。脚部の筋肥大は遅々たるものだ。鍛える意味を忘れてしまうほどだ。でも、ふとした時に思い出してみる。「俺の脚ってこんなに太かったっけ?」
これはもう、子育てだ。子供の成長を見て喜ばない親がどこにいる。
子育てに理由なんてない。子供にすくすく元気に育ってほしい。
筋肉も同じ、すくすく健康に育ってほしい。
大きくなったその姿を見るだけで、涙が出るほど幸せなんだ。

大丈夫、僕らにはマッスルメモリーがついてる

だから、無理にスケジュールに縛られる必要はない。
目標体重・体脂肪率に縛られる必要もない。
そりゃああったほうが効率的にカラダを作れる。
でもそれは二の次。まずは楽しむこと。

もしも、様々な事情でジムに行けなかったり、継続的なトレーニングが困難になった時。
大丈夫、僕らにはマッスルメモリーがついてる。
筋肉には、過去のトレーニングを記憶する機能が付いている。
もしも、長期間トレーニングをしなかってせいで、筋肉がしぼんでしまったとしても、再び同様のトレーニングをすれば元の体に戻ることができる。

期間は個人差があるが、2年間ブランクを2ヶ月のトレーニングで取り戻せたなんて話もある。

だから、もし休んでしまっても、また鍛え直せばいい。
そして、楽しめばいいんだ。楽しむことこそが成功への近道。
他人に強制されてする筋トレなんてナンセンス。
自分に強制されてする筋トレもナンセンス。
筋トレに理由なんかいらない。
ただただ、好きだから、筋トレをする。
それだけでいいと、僕は思う。

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