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容疑者Xに宛てた、とても個人的な手紙

 恋愛映画が、苦手だ。

 恋愛をメイントピックに据えた映画も、言ってしまえば小説も、基本的には楽しめない。愛だの恋だのやかましい。

 最後はただの悪口になったが、そういうたぐいの作品が苦手だった。今もそうだ。恋愛エンターテイメント作品ぽいものは、しかめっ面して遠ざけてしまう。

 だからこの映画のことも、露骨に避けてた。

 「容疑者Xの献身」(2008)

 たまたま低気圧が襲来していて暗い気分だったので、もっと暗い気分になりたくて観た。それが正解だったのか不正解だったのかはもはやどうでもいいことだが、とにかくこの作品について、勝手な話をさせてほしい。

 

頼むから「愛」を推さないでくれ

 劇場で観なかった理由は、簡単に推察できる。売り方が、めちゃくちゃ「愛」推しだったから。

 「この謎を、愛そう」とか。無償で究極の哀しい愛とか。愛さなくていいから遠くで見守ってて、ってフレーズと共にバーンと出てくる、感動のラストに日本大号泣!な煽り文句とか。

 はっきり覚えていないけど、食わず嫌いをしてたのは恐らくそれが原因だ。それなのに、うっかり映画を見てしまった。何度か地上波で放送されていたので、実家にいた頃にチラッと見たのだろう。おそらく高校生か、それぐらいの時に。

 石神の、声が良かった。電話でボソボソと話す、石神の声がとにかくよかった。この声だけでも聞いてほしい。公衆電話で淡々と話す、石神の声がとにかく良い。

 愛だの恋だの言う割に映画全体の色調が淡かったのも目を引いた理由だった。何度聞いても石神の声が心地良くてしかたなくて、なんとなく最後まで見たくなった。最後まで見て、そんで、当時の僕には意味がわからなかった。

 トリックの方は湯川がとても良い声でわかりやすく説明してくれたのでギリギリ理解できた。ただ、石神の行動理由、そして彼女の心理がまるで理解できなかった。あまりにも非合理的すぎる。どういうことなんだ。ぜんぜんわかんないぞ。トリックと違って、こっちは誰も説明してくれないし。

 物事の道理はほとんどすべて、しようと思えば説明できて、適切な努力をすれば理解できると考えていた浅はかな若造は困惑した。

 学校の図書室に突撃し、小説も読んだ。僕の脳みそは文字情報なら割とすんなり理解してくれるので、原作が小説なのはありがたかった。なんどもなんども繰り返し読んだ。石神がどれだけすごいことをやってのけたのか、前より少しだけわかった気がした。でも肝心の「愛」についてはまだよくわかっていなかった。
 最後の最後で僕は、石神と同じリアクションをしていた。「何いってるんだ」とつぶやいた。そんなことして何になるのか全然わからなかった。

 いまならわかる。少しくらいなら。
 だから、石神哲哉へ手紙を書きたくなった。
 エゴと思い込みの詰まった、身勝手な手紙を。

 個人的な考えで、僕は、役者さんのことを「役名」で呼ぶことが最大の賛辞のひとつだと思っている。だからこれからも石神で通すが、一度だけ言う。いまどの邦画を見ても堤さんのことを目で追うようになったのはこの作品がきっかけだ。

 ここからは、僕が好き勝手に作品の感想を語る時間になる。
ネタバレはなるべく避けるが、勘のいい人はピンとくるかもしれないから、勘のいい自覚がおありの皆さんはいますぐ映画を見てほしい。そうでない皆さんも、Amazonプライムで軽率に鑑賞して心に鉛をぶちこまれてほしい。

今更言うが、タイトルが良すぎる

 僕はこの作品が好きだ。

 『容疑者Xの献身』という題名ひとつとっても、めちゃくちゃに好きだと言い張れる。「X」は彼の自称だと感じたので、軽い気持ちで数学におけるXの定義をググった。

方程式の最も典型的な形は未知数 (unknown) と呼ばれる項を含んだ等式である。方程式における未知数はしばしば x などの特定の慣習的な文字によって表され、「様々に値を変える数である」という観点から変数 (variable) と呼ばれたり、あるいは「特定の値を持つわけではない」という観点から不定元 (indeterminate, indeterminant) と呼ばれることもある。


Wikipedea 「方程式(日本語版:2020年5月19日閲覧)


 Xは、方程式に組み込まれる未知数だ。方程式を解いていけば、Xに何を定義すべきかが求められる。彼は自分を未知数にして、問題を構築した。それはつまり、替えの利く変数のように自分を扱っていたのかもしれないと思う。Xは、式が解かれさえしなければ、誰にも定義できない未知数のままだ。彼はXで居続けることを望んでさえいたのかもしれない。

 それでも彼は、最後に方程式を解かれた。
 最も望まぬ方法で、徹底的に暴かれた。

 しかも、この話のタイトルは「献身」だ。愛情でも告白でもない。だからこそ、僕の心臓は鉛を詰められたように重くなる。愛情は与え合うものだと、そう定義されることが多い。しかし彼のは「献身」だ。
 原作を読めばわかるが、彼はとてもまっとうに人間だ。嫉妬もするし、動揺もするし、期待もすれば、ぐらつきもする。そんな普通の人間に、「献身」なんかやられたら、まっとうな人間はたまったものではない。この話でいちばん悲しい目にあったのは、彼に身をささげられた人間なのではないかとすら思う。

 それでも僕は、これを悲劇と呼びたくはない。
 悲劇ではなく、献身なのだ。
 自分をXと定義した男の、献身の物語なのだ。

とにかく音がいいんだ、音が。

 タイトルについて思う存分語ったので、次は音について語らせてほしい。
 この映画、とにかくめちゃくちゃ音がいい。石神が自分の部屋で目覚めて、ぼーっとしている数秒だけで、彼がこの上なく幸せであることがわかる。なんのセリフも説明もなく、ああいいなと思う音が構築されている。意味が分からないくらいすごい。

 音がいいのには理由がある。
 石神を引き留めたのが音だからだ。

 彼女たちが初めて、石神の家を訪ねたときに鳴らしたチャイム。
 原作では淡々と、こう記されている。

 運命のチャイムだった。

 だから、この作品では音が非常に丁寧に扱われている。電話で話すときの声、壁の向こうから漏れる音。そしてもうひとつやばいのが、音と同じくらいに、音ではない部分がちゃんと描写されているということだ。石神という男が、式を構築する場合を除いて非常に口下手なのも良い。だからこそ、口にしない言葉、声に出さない気持ちさえもが大切に描かれている。

 繰り返しになるが、僕は石神の声がめちゃくちゃに好きだ。
 あんなにやさしい声を他に知らない。

 はじめて電話で話す場面でふいに名前を呼ばれ、「あ……あっ、はい」と口ごもる彼の声が、作中通して一番好きだ。映画でいうと開始27分後くらいに出てくるので、ひとまずそれを聞いてほしい。話はそれからだ。


愛を安売りされるのが苦手だ

 ここまで書いてようやく気付いたことがある。
 僕の内面は、石神と多少似通った性質をもっている。
 あくまで性質の話なので、怒らずに聞いてほしいのだが。

 つまり「愛」を描きますよという物語に触れるとき、石神レベルの愛でないと、そしてそれを非常に丁寧に扱ってもらえないと、僕は悲しくなるらしい。自分で書いていてもなんて面倒くさい男なんだと悲しくなってくる。
 ただ冷静になって考えると、僕はいま、一本の映画に対して3,000字くらいの手紙を書いている。この時点で、好きなものに対する姿勢が尋常のそれとは少しズレていることが痛いほどわかってしまう。

 ものごとに対して石神のような慈しみ方をする人間というのは、程度の差はあれ少なからず存在すると思う。もしたまたま目に触れた作品が、石神的人間が他の人間にからかわれて悲しい顔をする、というものであれば、心の中でバチボコに叩いた上で生涯そこには触れないと思う。たぶん、僕の中の石神的部分がズタズタに傷つくからだ。僕が世にいう「恋愛作品」を露骨に避けるのは、このあたりに理由がありそうだ。

 わかった。
 僕は愛とか恋が苦手なんじゃない。
 愛とか恋を、消費されるのが嫌いなんだ。

 色とりどりの箱に入れられてスナック菓子よろしく大安売りされているのをみると、びっくりしてしまう。目に映ると思わず、避けて通ってしまう。自分の中にあるものが、周りのそれと違って見える。だからだんだん隠すようになった。
 これが一般的に重いとか怖いとか言われるたぐいの情念であることは、よくよく理解しているつもりだ。だからこそ、石神のような人間に出会ってしまうと、もうだめだ。一気にあふれ出て止まらなくなってしまう。だから夜中に黙々とこんな文章を書いている。

 この件で幸運だと思うことがあるとすれば、石神的人間というのは案外少ないということだ。おかげで僕は、滅多なことでは自分のダムを決壊させることなく暮らしていくことができる。だけどまあ、たまにはこんな風に決壊するので。人生ってやべーなと思う次第である。

 ここまで読んでくれたあなたは、きっと石神的愛情をうちに抱えていると思います。この作品はあなたのダムを決壊させるに足る、非常に良質な映画であることを告げて、長い手紙をおしまいにしたいと思います。

 あなたの心にどんな鉛がぶち込まれるのか、それを楽しみにしています。

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