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「いかがでしたか」で締めくくる不幸の手紙を誰かに渡さないために

「いかがでしたか? 」という文章で締めくくられる、不幸の手紙がある。僕はむかしそれを書いていて、そして今では書くのをやめた。

昨今、不幸の手紙を知らないひとというのもいるらしいので念のため解説しておく。不幸の手紙は、主にイタズラ目的で人から人へと渡される手紙のことだ。「この手紙と同じ手紙を何日以内に何人に渡さないと不幸になる」とか、不安を煽るようなことが書いてある。

なんだそれと思った人もいたろうが、これが案外流行った。一時は社会問題っぽくもなったのだ。今ではめっきり見なくなったとか、そんな話を聞く。

そんなことはない。
不幸の手紙は姿を変えて、今も人から人へと手渡されている。

それは、「トレンドブログ」と呼ばれるコンテンツ。特に「ニュース」を扱うものは、いまなお現役の不幸の手紙だ。

芸能人のスキャンダル、凄惨な交通事故。
それから、誰かを責め立てる報道。
ここ最近で言うと、流行り病に感染したひとを特定しよう、なんて記事もあるらしい。

おいおいマジかよ。
それだけはやっちゃいけないとおもうよ。

加害者の見る景色

世間で特定の事件や事故が話題になると、トレンドブログの記事が雨後のタケノコめいた動きでGoogleの検索結果を埋め尽くすことがある。内容はこんな感じだろう。

【ナントカ事件】犯人の顔写真特定! 名前や勤務先は?

たった、25文字。
だけど、僕みたいな「元・トレンドブログの中の人」はタイトルを見ただけでウワァ〜っとなる。

煮こごりよろしく煮詰められ、なんとなく冷えて固まった、負の感情のにおいがプンプンする。
心の中のスピードワゴンが、ゲロ以下の臭いを嗅ぎつけてわあわあ言っている。

トレンドブログのなかでもいちばんひどい部類に入るのが、「特定系」だと思う。
他人の人権を踏みにじったうえで、見た人の不安や怒りを増長させる機能しか持たない文章群だからだ。

僕は、特定系記事については完全否定派を貫いている。現役時代からそうだ。一番踏み込んだものでも、事故現場の特定くらいが関の山だった。だからといって自分の手がきれいだとは思わないが、それでもギリギリ一線を越えずに踏みとどまったと思っている。

実際、事件や事故を扱うのは2ヶ月程度でやめたし、ニュースで報じられた情報よりも踏み込んだことを、憶測で書いたりもしていない。

ていうかふつうに、そんなヤバイものをネット上に公開したら大変なことになることくらいはわかる。
相手がその気になりさえすれば「じゃ、次は法廷で」と言われてもおかしくはないと知っていた。

だから、やらなかった。

いまだにそんなことをしている人を見ると、なんて捨て身なんだと思ってびっくりしてしまう。そもそも人権侵害だし。ニュース番組で事件や事故を扱うとき、「容疑者」という言葉が使われる意味を、一度も調べたことがないのだろうか。

「やっちゃってる」ひとの大半は、そうした法律や守るべきルールを知らないか、知っていてなお見つからないことを祈っているのか。僕にはよくわからない。

容疑者段階のひとを犯人扱いするような特定記事や、報道機関がわざわざ伏せているような情報を特定しようとするコンテンツは、存在を許してはいけないとさえ思う。特にやばいものを見かけるたび、「ああこれ、一線を超えたひとが書いたんだ」と感じる。心臓のあたりに重いモヤがかかる。

ただ、同じ崖の上にいた存在として、淵まで歩いてしまったひとの気持ちを、誰よりも近い距離で想像することはできる。

勘違いしないでほしいのだが、僕は「コンテンツを見る側も悪いんですよ!」なんて被害者ヅラをしたいわけではない。

僕は加害者だ。

「ごみをつくる側」として、もちろん「書く方が悪い」と思っている。
書く・書かないを自分で選んで、そのうえで発信しているのだから。

ただ、ごみをつくる側の人間が見てきた景色、というものがある。
ここからしか見えないもの、というのも、実際のところ結構ある。
今回は単純にそれを伝えたくて、この記事を書くことにした。

雨後のタケノコ狩りをするひとびと

あなたに、一度だけ考えてほしいことがある。

ネット上のゴミである、トレンドブログ。
雨後のタケノコみたいにたくさん生えてくるのは、なぜだろうか。

まあ、とても簡単な話で、
喜んでタケノコを掘っていく人が、たくさんいるからだ。

トレンドブログを運営している人間というのは、タケノコ狩りを開催して収益を得ているようなものだ。季節に合わせて、人が歩きやすい道の目立つ場所にタケノコを植えておく。通りがかった人がタケノコを掘れば掘るほど、出口で精算したときにもらえるお金が増える。

もちろん、人が欲しいと思うタケノコの条件や、掘りやすい場所をよくよくわかっている。なんなら入り口でスコップやクワも売る。
タケノコ目当てに山に入ったお客が、何が欲しいかちゃんと調べているのだ。

雨の後、つまり世間の注目を一気に集めるニュースが報じられた後には一気にタケノコが増える。
特定のニュースが多くの人の間で話題になると、それを見た人は一斉に、タケノコ(情報)をとりに山に登る。かきいれ時、というやつだ。タケノコを売って生きている側からすれば、ここで仕込まずにいつ仕込むのだ、という話になってくる。

求める人がいなければ、タケノコが生えることはない。

繰り返しになるが、元・タケノコ売りとしては、もちろん「売っている側が悪い」と思う。
とりわけ「特定系」のブログ記事は、法に触れるうえに人権侵害なので許されるべきではない。

しかし、そんな記事だって、読む人がいなければ書かれることはない。いくらゴミ記事とはいえ、書く側も死ぬほど暇を持て余しているわけではないからだ。ネタは真剣に選んでいる。慣れてくるとニュースの見出しを見ただけで、アクセスをとれるかそうでないかくらいは瞬時に判断できるようになる。アクセスをとれない記事は書かない。当たり前だ。

過去に似たような報道があったとき、人は何を見たいと思ったか。インターネット上で何を探して読み漁ったのか。タケノコ売りはそのへんをちゃんと調べている。だから「読まれる」と確信したものしか書かない。

タケノコが掘り荒らされた跡を見て、ここなら稼げると確信してから、いそいそとタケノコを植える。

べつにこんなことあなたは知らなくてもいいが、トレンドブログを毎日のように更新している人はヒマ人ではない(ヒマ人であってほしいという気持ちはわかるけどね)。

「片手間に稼げる」「コピペだけで高収入」なんて文字がチカチカ点滅しながらディスプレイを踊り狂うのを、あなたも見たことがあると思う。実際のところ、そんな甘い話はない。作業量は多いし、心は摩耗するし。

扱うネタが健全で人の役に立つまとめ記事ならともかく、そうではないゴミを生産する人間というのは、たいていメチャクチャ疲弊しながら、クソみたいな記事を量産している。少なくとも過去の僕はそうだった。

狙い通りにアクセスを集めたところで、「なんでこんな記事読みに来てるんだよ……やめてくれよ」と思っている。やめてくれよ、というのは「こんな記事に需要があるなんて、思わせないでくれよ」という意味だ。

自分が書いておきながらなんて言い草だと思うだろう。
書いた本人からすればそんなもんなんです。

ともかく、そんな作業を長く続けられる人間は少ない。よっぽどお金に困っているか、狙い通りにアクセスが増える快感にやみつきになっているか、または完全にお仕事と割り切って、人を雇って記事を量産しているか。

月に10万円以上トレンド記事で稼いでいる人というのは、たいていこの3種類のどれかに当てはまると、僕は思っている。

あなたの視線は足跡として、ネット上にずっと残る

さて、考えて欲しいのは、ネット上でなにかを「見る」ことについてだ。
もっといえば「検索する」こと。あなたはきっと、そんなことだれも気に留めていないと思うだろう。
でも足跡は、タケノコ売りのみなさんによって、理科の実験並みに注意ぶかく観察されている。

あなたが何を知りたいと思っていて、実際のところ何をどれくらい見たのか。たちの悪いことに、あなたの視線は足跡に変わって、ネット上に残り続ける。

トレンドブログという名のたけのこ畑を枯らしたいなら、まずはトレンドブログを見ないことだ。誰の足跡もなければ、少なくともそこに新たなタケノコは植えられない。

中身がない、ネット上のゴミとまで呼ばれるトレンドブログが今なお生き残っているのには理由がある。
多くの人が、人前では「あんなもんゴミだ」と馬鹿にしながら、夜になると人目を盗んで漁りにくるからだ。

私たちはそれをちゃんと見ている。
だから、需要がなくならないこともわかっている。

トレンドブログも不幸の手紙も、負の感情を増幅させる

僕がトレンドブログ、特に特定記事や炎上記事を批判するのは、それが「ひとの負の感情を増幅させている」と感じるからだ。

あなたが何かニュースを見たとして、容疑者や関係者に強い怒りを抱いたとする。勢いよくGoogleの検索画面を開き、事件名や容疑者の名前で検索。
そこであなたはトレンドブログの記事を読んだ。

断言するが、トレンドブログの記事を読んでも、
あなたの怒りは収まることはない。
むしろ増長する場合がほとんどだろう。

トレンドブログの記事には、個人がネット上で集められる範囲の情報しか含まれていない。ブログ運営者は報道のプロでもなければ独自取材も行わない。そんなに深い情報も、真新しい情報も、本来であればメイントピックとなるはずの「筆者の意見」や「分析」も、そこにはない。

あなたが何かのニュースを見て「不安」「怒り」または「義憤」のようなものにかられて、何かについて調べ上げてやろうと思ったとき。

負の感情に囚われたときほど、
スマホに伸ばした手を下ろすべきだ。
指を止めて、じっくり考えるべきだ。

スマホで検索するのは、ある種の逃避だ。
なにから逃げているかって、
自分の怒りや恐怖や義憤から逃げているんですよ。

タケノコを掘ってしまうあなたに、加害者側から伝えたいこと

たぶん、怒るのはよくないとか、大人たるもの冷静でなくてはいけないとか、言われ続けてきたんだと思うんです。でも、見なかったことにした負の感情ってのは厄介で、歪な形になって外に染み出してきます。

よくわからないけど、怒った。
怖い。こんなこと許してはおけない。
そういう気持ちを、なんとなく見なかったことにするのはやめませんか。

大人ぶって、冷静なふりして、怒ってませんよみたいな顔をして。無視したことでなんとなく丸め込んだ気になって、実のところぜんぜんうまく対処できてないんです。

だから自分以外の誰かの意見を見て安心したくなる。
気づけばインターネットの海をぱしゃぱしゃ泳ぎまわったすえ、疲れ果てて遭難ってなことになるんです。

自分ではなく他人の意見を、他人の制裁を、他人の責任による断罪を求めているから、そんなゴミを漁って安心してしまうんじゃないですか?

しかも、自分は最高に安全な場所にいるわけです。
自分ではない他人の意見なら、どんなふうに使っても、あなたは怒られません。

だって、書いた人が悪いんだもん。

でもそれって、包丁で誰かを怪我させたときに、包丁を売ってくれたお店を訴えるようなもんじゃないでしょうか。たしかに売ったのはお店ですが、それを選んでお金を払い、振り回して満足したのはあなたです。

まずはあなたから、不幸の手紙を回すのをやめてみませんか。
ニュースを見たときカッとなったら、
不安で悲しくなったら、スマホに手を伸ばすのをやめましょう。

最初はきついと思いますが、なぜ自分がカッときたのか、怖かったのか辛かったのか、なにがそんなに嫌だったのか。

noteでもTwitterでも、こわければ紙のノートでもいいです。べつに人に見せる必要はないし、信頼できる人には何か思うところを話してもいいかもしれません。

自分がどう思ったのか、ていねいに書いて、まずは心の中からそれを外に出しましょう。わからないならわからないでいいんです。
いまはわからない、というのも、ちゃんとしたひとつの答えです。

いちばん良くないのは、なんとなく、なかったことにすることです。

じぶんの気持ちを一旦外に出して、見てみる。
それから、どうしたいかを考える。

結果的に、「私は不倫の話題はきらいだ」とか「子供が事件に巻き込まれると悲しくなる」とか、いろいろわかることがあるかもしれません。

自分が「なにを嫌だと思っているか」がわかると、すこし楽になります。嫌だとわかったら避けていいんですよ。あ、なんか嫌な話題だな、チャンネル変えよって出来るようになるのが目標です。すべてのひとや物事と仲良くするなんてムリです。僕も嫌いなものはたくさんあります。

最終的に、ニュースを見るのをやめたって良いんじゃないですか。べつに、ニュースを毎日見ないと死ぬ不治の病って訳でもないんだし。

僕は、テレビってべつに見る必要無いと思ってます。実際、10年近く見てないです。毎日なにかに煽られて心を揺らされるくらいなら、僕はべつに世間知らずで良いです。

ともかく、あなたに必要なのはじぶんの感情と向き合うことであって、他人のナイフで誰かを傷つけて喜ぶことではありません。

あなたが不幸の手紙を止めれば、そこで連鎖は止まります。タケノコを掘る人もいなくなり、タケノコ屋さんは廃業するかもしれません。

でも、それでいいんです。

大切なのは、あなたが自分のこころと頭で考えることです。綺麗事に聞こえるかもしれませんね。でも、他人の考えや意見でしか目の前のことを判断できなくなったとき、人生の主導権はだんだんあなたの手から離れていきます。音もなく、そーっと。

正直なところ僕だって、トレンドブログを書いていたときも「どこぞの動物園で、ライオンの赤ちゃんが元気に育ってます!」みたいなニュースの記事だけがバズるような世界だったらいいのになぁ……と思ってましたよ。

他人の不倫やら、よくわからんひとのスキャンダルなんかより、明るいニュースで世の中が満たされたらいいなぁ〜って。僕なんかは、そう思うんですけど。どうでしょうか。

だから僕は、いままで大変だったことを解決する新技術とか、人と人がもっとわかりあえるためのシステムを考えましたとか、バーガーキングが新しく隣町にできましたとか、そういうニュースばかりを見るようにしています。

わざわざ、そこに足跡をつけて。
このタケノコ、掘りに来る人いますよ〜って思いながら。地味だし、馬鹿にされるかもしれないけど、いまの僕はそれが大切だと思っています。

どうせなら、おいしいタケノコ掘りましょうよ。一緒に。

いつも応援ありがとうございます! サポートいただいたぶんは主に僕の摂取する水分になります。