『笑いと傷で振り返る僕らと彼の思い出話』クレイジー・キッチン 感想
やる夫スレをご存じだろうか。
詳しくは名前を検索して概要を読んでもらいたいが、軽く説明するなら00年代末~10年代前半に盛り上がっていたアスキーアート(以下AA)紙芝居群の総称である。
それは趣味や業界の解説であったり、既存の物語にAAを配役したものであったり、当然オリジナルストーリーも多くその取っつきやすさから当時のアマチュアによる無料webコンテンツとしては中々人気を集めていたものだと思う。
そして昨今、かつてやる夫スレ作者だった人たちが立派なプロのクリエイターとなって活躍していることはスレ読者であれば周知の事実。去年アニメ化を果たしたゴブリンスレイヤーは中でも特に有名だろう。
そしてその流れだろうか、やる夫スレの中でも際立って人気を博していた作品をスレ発ラノベと称し書籍化して表世界へ放つ試みが行われている。
その四作品の中でも、特に切れ味ある笑いとイカれっぷりで高い評価を得た、恐らく全スレ中五本の指に入るだろう人気とクオリティを誇る荻原数馬先生のキッチンやらない-O書籍リメイク版クレイジー・キッチンを読破した。
舞台はとあるビジネス街に居を構える座席10程度の洋食屋『ひだるまキッチン』、その規模に反し自他共に認める洋食の天才である店長の腕前により客足の途絶えない繁盛店である
しかし店長は変態であり、ただ一人のウェイトレスは変人であり、やってくる客も常識人の皮をかぶったイカレばかり。今日も安くて美味い飯に惹かれた餓獣達の哄笑が店に、街にこだまする――
という内容のギャグ小説。
スレ当時からテンポの良さ、遠慮も躊躇もないギャグの切れ味は他と一線を画しており、以後やる夫スレにおけるやらない夫というキャラクターに与えた影響は計り知れないものがある。
で、そのスレを殆どそのまま小説という形態に移し、ガワをオリジナルに切り替えた試みはどうだったかというと……個人的には大成功と評したい。元々AAの配役に意味があったか疑問に感じる程のストロングスタイルだったので、寧ろ固有名とデザインを得た今の方がしっくりくるくらい。
小説で笑いを取るのは難しい……と自分の貧相な読書歴からは判断しているのだけど、それはライトノベルやそれに準じるジャンルでも、キャラクターが大事にされ、それを活かすためにストーリーや描写が格好良さや可愛らしさに偏重してしまう点が、笑わせようとする文章表現の上では足かせになり易いのだと思う。整合性の大事な一般文芸でも似たようなものだろう。
しかしこの作品は「まず笑いを取る」「キャラ付けや整合性は後からで十分」という豪腕振りで構成されている。どんなカワイイ面をしていようと作者のイカレたゲス描写から逃れることはできない。どうしてこうなった。
とまぁ内容の8割は飯ネタ下ネタで埋め尽くされている作品であるが、残りの2割で主人公のやらない夫――ではなく日野洋二の過去とそれに伴う傷痕がクローズアップされる。
まぁ昔付き合っていた女のことが忘れられないという大したことない話なのだけれど、曲がりなりにも強く生きている彼の弱々しい回想は、ガハハと笑いながらも内ではめそめそ泣いている藤田和日郎主人公イズムを感じるところ。
女は既に他人の女房で、そも別れて十数年。新たに付き合った女はいなくとも傷は塞がり痛みも幻痛。しかし料理に纏わる出会いがあり、料理に纏わるからこそ別れざるを得なかった過去を「そんなこともあった」と振り返られるようになったろう最終話の温かさと寂しさは、本当にギャグ小説か?と思うほどのしっとりした心地よさ。
失おうと失うまいと今の彼は洋食店の店長でしかなく、それこそが彼の揺るがぬ誇り。
ギャグ故に一貫して描かれる彼の変人偏屈ぶりが最後には一人の料理人の芯として捉えられる辺り、単なるギャグとして消費してしまうには惜しいと感じた十年前と今の自分の想いは同じだと思う。
さてこの作品、既にコミカライズが決定しておりスレ発の他作品の続刊が決定している辺りこちらもシリーズ化を期待していいんですかね?出来ればアニメ化までこぎつけて洋二役を安元洋貴さんに、カナさん役を植田佳奈さんに是非お願いしたい。
あと2巻の前に同作者繋がりということで全裸の王様の書籍化を!KADOKAWAさん!
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