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家族の絆とDVのこと

イジメ、体罰、虐待。若年者の人権の問題について考察します。イジメに関しては、学校組織の在り方、教育制度に関して、これを改変していけば、かなり改善するでしょう。

問題は虐待です。家族の在り方にどうかかわるか。殺人事件の半数近くは親族間です。家族というのはこの社会で、最も頼れる存在であると同時に、最も危険な存在でもあります。

DVでも、虐待でもそうですが、加害者側に立つ人の言い分はやたら、「親子、家族の絆」なるものを強調してきます。これはつまるところ、「逃げるな、耐えろ、我慢しろ」でしかありません。

この社会で家の中、というのは最も安全な場所であると同時に、最も危険な場所になりかねない、それでいて、DVでも虐待でも警察は民事不介入を理由に簡単には対応してくれません。

警察官も数が限られます。警官の過労死があることを私は理解しています。であれば、たとえ、民事不介入の部分に関して、法を改変しても、警官の数が限られるいじょう、家庭の問題に逐一、警官が入ることは現実的ではありません。なにより、被害と加害の関係がそもそも発生しないような取り組みこそ肝要でしょう。

学校組織の在り方を変えることが、イジメが起きにくい環境をつくることになる、と同様に、家庭、家族の在り方もまた、虐待やDVが起きにくい環境にしてくことが求められるでしょう。

閉鎖的な環境で権力の勾配がある、この条件において虐待が起きやすいことを思えば、家庭を密室化しないこと、常に第三者の関与があること、が求められます。

併せて、家族の組み合わせ、親子、夫婦、兄弟、その他、同居者。血縁や戸籍に関係なく、次々と入れ替えていく。そのうえで、同居者、家族に攻撃性を向ける、端的にはDVや虐待をしてしまう者にはメンターがつきながら、生活する相手と場所を変えていくべきなのでしょう。

学校でのイジメを思うとき、私はクラスの絆はあえて、つくるべきではない、と考えています。クラスの結束は、同時に、スクールカーストを生みます。コミュニケーション能力とだいたい比例して、人望によるヒエラルキーが形成されます。

ヒエラルキーの上位の子は例えば、転校する際、クラス総出で送別会、班ごとに寸劇をやり、最後はプレゼントを皆で渡す。階層が中位の子は送別会はあっても、簡単な挨拶だけ、下位の子は送別会そのものが行われない。こうした小さな社会のなかで下位の子はイジメの対象になりやすい傾向があります。

大学ではあまり、イジメをきかないのは高校以前と違い、生徒が集団で行動する機会がほとんどない、授業ごとに教室が違う、誰がどこに座るかも決まっていない。こうした組織の運用のため、クラスの集団意識が希薄なままであり、クラスの絆も生じにくい代わりに、イジメも起きにくいのです。

DVや虐待に関して考察を続けます。DV・虐待の特徴として、結婚したとたん、子供ができたとたん、家を建てたとたん、発現する傾向があります。

虐待というのは密室のなかで起きやすいわけですが、この密室というのは必ずしも物理的な密室だけでなく、結婚、出産、新築など夫婦となった男女が社会的に関係を解消しにくくなる場合も同様の効果があるでしょう。

相手は自分から逃げにくくなる、そうした条件が整うと、加虐性を発現してしまう。このため、家族に関しても、私は唱えます「家族の絆」はいらないと。

近年は法律婚よりも事実婚が増えているそうですが、それも従来型の結婚、夫婦の在り方への違和感を持つ人が増えている、ということなのでしょう。そして、私はこの傾向で構わないと考えます。

事実婚のメリットとして、女性でキャリアを重ねる場合、結婚することで苗字が変わる、そのための各種手続きが大変だから、ということも理由として挙げられるようです。

デメリットとしては、「生まれた子供が非嫡出子扱いになる」「法律上、相続の権利がない」「保険において、配偶者特別控除がない」こうした問題はこれから法改正を重ねていくことで、改善していかねばなりません。

家族の絆を希薄化する、これは年来、私が志向してきた育児の社会化、集団化と同一線上にあります。結婚した男女のおよそ3割が離婚することを思えば、また、地縁や血縁による人々の共同体意識が都市化と工業化を経て、ほぼ消失したことを思えば、法的な結婚によらない、共同体づくりを模索すべきなのでしょう。

共同体づくり、その役割は戦後日本においては、特定のイデオロギーや宗教が担ってきた面がありますが、その役割は歴史上、必要とされた段階は過ぎたでしょう。

結婚しても、子供をつくっても、最後は孤独死する人がいます。孤独死する人を調べると、実際には既婚者で、子供もいる人がかなりいるそうですが、人生の最後は誰からも看取られることなく亡くなってしまうのは、所帯を持つこと、が必ずしも、その人の終活を保証するものではなくなっている、ということなのでしょう。

家族の絆を希薄化する、同時に、育児は集団化する、また、家庭を密室化しない、常に第三者の関与がある、こうした仕組みががDVや虐待を生じさせない、あるいは高齢化したときに孤独死をつくらない社会を形成することにつながると考えています。

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