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新しいの土地での繋がり

転勤先の暮らしを知り、馴染むために、以前は働かなければと思っていた。

私達夫婦には子供はおらず、我が子を通しての繋がりというものがない。それは何だか寂しくもあり、ちょっとほっとする事でもあった。

今回働かない期間が3年になろうとしているのだが、実は今までで一番地域に溶け込んでいる実感がある。これは私にとってとても大きな発見だった。

退職して半年間はほぼ寝たきりで一日を生き切ることに精一杯だったが、体調が落ちつくにつれて外を歩くようになった。
最初は10メートルさえ限界で引き返しながら。その日どころか一瞬先の体調さえ読めない状態で牛の歩みだったけれど、外の空気は気持ち良かった。自然に癒された。

そうして少しずつ散歩していると、道端や畑で人と出会う。昭和生まれ田舎育ちの私は、自分が生まれ育った地域がそうだったように挨拶せずにはいられない。
挨拶なしに通り過ぎることは心苦しくて仕方ないのだ。
それにあの頃、笑顔で和やかに賑やかに近所と繋がっていた感覚が好きだ。

反応は様々だがそれでもいい。親しみを込めて「こんにちは。」と会釈して歩いていた。

ここも田舎なので警戒されても仕方ないと思っていた。知らない人が家の前を歩いていると、よそから来た私でさえ「誰だろう」と観察している自分に気付くのだから(笑)。

そのうちに
「いつも歩いてるね~。」「この前あそこで会ったね。」と話し掛けてくれる人が出てきた。

一番嬉しかった言葉は、「あなたが挨拶してくれるからね~。話し掛けていいかなと思って。」

そう話してくれたおじいちゃんは、今も仲がいい一人だ。
仲がいいと言っても、この記事に書いたように

お互いの暮らしには干渉せず、付かず離れずのお付き合い。
だけど互いに存在を気に掛けていて、親しみを込めて交流出来る間柄が心地よい。

お互い年齢や肩書きも知らない。名前も知らない人も多い。詮索されないし、私も聞かない。
その人から感じるものだけで繋がる関係は初めてだ。

こうして気が付けば家の周りを広がるように人と繋がっていた。

働いていた時は昼間家に居なかったり、休日は遠くに出掛けたりで隣近所との繋がりはほぼ無かった。職場で働くそれぞれの人と点で繋がる感じ。それもバラバラな地域の人と。偶然家が近所なんてことは今まで無かった。
それが今は家を中心に、ポツポツと広がるように繋がっている

もちろん、働く間に色んな話をすることで濃い繋がりが出来たりする。
でも今回のように深すぎず心地良くじんわり広がる繋がりに、思いの外満たされている。気が向いた時に歩き、その時に会えた人と挨拶したり話したり。畑で野菜をいただいたり。

朗らかな笑顔を向けてくれること、遠くから手を振りあえる一瞬にどれだけ心が温まることか。家がそんな繋がりに包まていることが本当に有難い。あったかいお風呂に浸かっているような心地良さが、暮らしの根底に流れている。そんな安心感。

もしあのまま働き続けていられたら、今親しみを感じている人々とは繋がれなかった。点で繋がる楽しみしか知らなかった。

「働かなければ。」その思い込みの外には、心地良い世界が広がっていた。



( 写真は長崎県の小浜。現在の居住地ではありません。)

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