椿
近所の垣根の向こうに椿が見えた。
こんなにも咲いていたなんて、昨日まで気付かなかった。
椿を見ると祖母を思い出す。
椿が好きで、玄関の脇には椿の木があった。
幼い頃から好きだったのか、茶人だったから好きだったのか、そもそもどうして?と聞いたことはなかった。
両親の離婚で会うことがなくなり、私の知らない間に椿が落ちるようにこの世を去っていた。
話したいこと、聞いてみたいこと、今生きていたら一緒にしたかったことは山のようにあるが、
幸せな記憶ばかりを残して惜しまれるうちに去れることも "幸せ" なのかもしれない。最近ようやく、そう思えるようになってきた。
そんな祖母の好きだったものにはつい心が惹かれる。
この季節には椿、そして最近はお茶(茶道)の本。
しかし私は、祖母にお茶を習うことはなかった。
祖母に一度だけお手前を教わった記憶がある。
7歳くらいの頃だったと思う。
美しい道具が並んでいた。棗の艶をはっきり覚えている。
だけどその時私の興味は、それ以上でも以下でもなかった。
従兄弟達や友人と野山で遊ぶことに夢中だったのだ。
祖母もそれをわかっていたのだろう。
それ以降は教わることも、促されることもなかった。
祖母のそんなさっぱりとした所が私の幸せの根源だったように思う。
孫という距離感も幸いしたのかもしれないが、それ以前に祖母は何よりも自分の人生を楽しんでいた。
『 悩み? 私は好きに生きているからないわ。』
そう朗らかに語る笑顔。
嫌なことはしない。毎日自分の好きなことを楽しんでいた祖母は、私達が好きに遊ぶことも尊重してくれた。
祖父母も自分の好きなことに没頭し、私達も自由に遊ぶことに没頭した。
それぞれの世界と自由が共存していた。
祖母に怒られることはあっても、その言葉には温かさがあった。
ある時、祖父に怒られたくなくて「していない」と嘘をついた私を
(祖父には現場を見られたのでバレバレだった)
祖母は疑いの言葉を掛けることなくただ、なだめてくれた。
罪悪感にぎゅっとなりながら、結局本当の事を言い出せなかった私さえ否定することはなかった。
嘘はいけない。でも、嘘をついてしまうこと、逃げようとしてしまうこと、正直に言えなかったこと、そんな苦い経験をしている私を
ただ静かに見ていてくれたような気がする。
家が苦しい場でもあった私にとって、祖父母の家は全てを開放できる場所だったのだ。
自分の好きなように遊び、教わることは無かったお茶も今は素敵だなと感じる。
お茶と同じ様に、一度だけ稽古に連れて行ってもらったが習わなかったお花も、
祖母の日々の暮らし方がしっかり記憶に残っている。
当時は器や剣山でこっそり遊んだし、
私の記憶の中の床の間は
祖母の生けた花で彩られたままだ。
好きにさせてもらった経験がかえって、祖母の生き方、好きだったものへの興味や愛を生んでいる。
また明日、椿を見るのが楽しみだ。
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