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皐月に考えてた歳の重ね方

五月病になる暇もなく(3,4日、メンタル上下が激しい瞬間はあったけれど)5月はピュンと過ぎていた。

そんな5月のテーマとなっていたのは、"歳の重ね方"と言えるだろう。


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ある日、私は10年来の付き合いとなった恩師と初めてサシ飲みをした。
その日は、彼の30代最後の日。時計の針がてっぺんを回ると40歳になるというタイミングだった。

「そんな日に、奥さんでもお子さんでもなく、クラタで良いんですか。」
「良いんや。『悔いのない30代だった』よ、面白かった。」

その言葉に迷いはなく、そうやってスッパリ言える軽快さに、相変わらず憧れの念を抱く。京都に出張に来てくださるタイミングは、そう多くない。
私達は、かつての日中のスタッフルームと同じように、オフレコの話をたくさんして、お腹がよじれるほどゲラゲラ笑った。お互いの声は擦れて、どこか場末のスナックのようだった。

彼と改めてサシ飲みをすることで、私は8年前にかけられた「オレンジ」の呪いを完全に解いて自分の中で咀嚼出来た。その様に思う。
私も『悔いのない30代だった』と言い切りたい未来でありたい。


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ある日、私は休日の15時ぐらいから、喫茶店でビールを飲んでいた。
一緒に飲んでいたのは、私よりも4-6歳年上のお兄さんとお姉さん。

彼らを最初に知ったのは、学生時代のことだ。それこそ7,8年前か。
関西で若く活躍している彼らは当時からの憧れであった。
知り合った頃は、恐れ多くて緊張していたのを覚えている。ようやく砕けて飲めるようになったのは、ここ数年のことだ。
これも歳を重ねたから出来ることなんだろう。過去の私に「君はこんな関わり方も出来るようになるんだよ」と教えてあげたい。生ビールのおかわりが進んでしまう。休日の昼から飲むお酒は、なんと気持ちが良いものだろう。

3人でさっきまでに打ち合わせていた内容やゲームの話をしていたのだが、会話を止めてまで妙に気になって仕方ないものがあった。喫茶店にいるおばさま達だ。

京都・岡崎の喫茶店にいたのだけれど、その日は京都合唱祭というイベントが行われていたらしく、50-70歳あたりのおばさま達が続々と店に入ってきていた。
きらびやかな衣装に身を包んだ彼女達は、ビールを飲む我々以上に、元気で姦しく、豪快にご飯を食べたり、お茶をする。話は弾み、iPhoneを使った自撮りスキルは我々より遥かに上。可愛く写る術を身につけていらっしゃるし、指示の仕方が細かい。

「いや〜あんな歳の取り方したいよね。私も合唱団入れるようなお婆さんでありたいわ。」
「こんな根暗属性だけど、イケるならあぁなってたいですよね。」
「女性は、あぁいう風になる未来も予測出来るけど、男性はこんな風に集まるのかな?あんな歳になっても集まって飲める爺さんでいたいなぁ。」

女は何歳になっても女なのだ、という事実を目の当たりにして、歳の重ね方を肴に酒を進める我々なのであった。


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ある日、私は高校の同級生達と10年ぶりにゆっくり時間を共にしていた。
幼馴染から「昔から変わらない」と言われて"「時」を重ねること"について考えた時のお話は、こんな感じだ。


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ある日、私は地元から出てきた父と近隣に住む弟を呼び出して、3人で会食していた。父の本の初稿が出来たので、チェックをするためだ。

美味しい物食べながら、
「フォント大き過ぎない?1-2pt落として欲しい」
「この紙だと捲りにくいから、もう数kg落とした紙に変更した方が良いね」
なんて制作話を進める。食べ終わったお皿を片隅に置き、初稿に対して赤入れをする私と紙について議論をする父と弟。

父と私は芸術の道を通ってきたが、弟はそうではない。書物が好きで触れ合う機会が異常に多い歴史専攻の一般人だ。けれども、彼が持つ感性は、姉ながらに信頼している部分があるので、弟を巻き込んでどんどん意見を言い合う。

母も含めて、地元で4人で暮らしていた時、こんな光景はまずなかった。
もちろん子たる我々の年齢が幼いのもあったけれど、密にコミュニケーションをする家族ではなかったのだ。

家族旅行は両手で数えられるくらいしか行ったことがない。
「この前、ディズニーランドに行った。」「USJに行った。」「海外に行った。」「他の都道府県に行ってきた。」と周りがワイワイ言う中、我々は忙しく家族のための時間が取りにくい両親に物も言わず、本と漫画、ゲーム、アニメ、空想の世界に行くしかなかったのだ。

それが今では、現地集合してヤイヤイといつでも楽しめる。私も弟も父譲りでフットワークが軽いので。私達家族は、それぞれが独立して、フランクでお互いを認めあえる今の関係がちょうど良いのかもしれない。

そんな関係性と歳の重ね方をしていて良かったな〜なんて改めて思いつつ、良いものを食べたと母に報告すると不機嫌になられるのであった。


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ある日、私は亡くなった恩師のことを思い出した。
昔書いた内容加筆を加えて認めた。その後もふと思い出す。

そこでようやく気づいたことは、私は彼の死を上手く咀嚼出来ていないということ。考えないようにすることと自分の中で咀嚼して消化することは、まるで違う。私は、全くもって消化していない。惜しい人を亡くした感情だけが宙ぶらりんと漂っている。

12年も前にお会いした亡霊に未だに囚われていることを天国の彼もまた良しとしないだろう。

歳を重ねていくと、いろんなものに鈍感になり、また見て見ぬ振りをしてしまう。1つずつ終わらせていくこと、消化していくこと、基礎に戻ることが大事な行為に思えて仕方ないのだ。


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ある日、私は久しぶりに馴染みの店にいた。
可愛らしい女子達が3人いて、「皆、24歳だよ。」とオーナーが言う。
「クラ、何か先輩としてアドバイスしてあげなよ。」

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そうだな、そうだな。24歳か。4年前か。
振り返ってみると、たくさんのことが起こり過ぎていて、一言でどうとは言い表せない。
しんどかったことも楽しかったこともそれなりにあった。冷静になってみると、しんどいことの方が多かったかも。でも、それでもね。楽しい方が勝ってるよ。
知らない世界をたくさん知れたし、初めて見たものがたくさんあった。
その度に「わ〜!まだ何も知らない!!世界って面白い!」ってどんどん自分の世界が広がっていってさ。
私にとって、確実に人生の分岐点と言える年齢だったかも。
だから、私から言えることは「自分の中で『新しい!』『知らなかった!』ってものにどんどん会ってみなよ」ってことかな。
各地のオススメの美術館・イベント情報ならアテンドしてあげるよ。

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そんな軽い話を熱心に聞いていた1人が「クラタさんは、良い歳の取り方をしてますね!今度、行きたいとこまとめるんで、オススメの場所教えてください!」と目を輝かせながら言う。
私は照れくさいような、ばつが悪いような気がして、その子が作るジントニックを1つオーダーした。


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ある日、私は、友人とやりとりしていた。

「そりゃ、パラレルワールドは欲しいし、幾つもの世界を渡り歩きたいけどさ。でも、今歩んでるのが、我々の人生なので。間違ったとしても悔いはなきように。"もしも"は、"もしも"でしかないから。今、選びとってるのが自分だから。思うがままに進めば良いよ。」

これは友人を通した、自分自身に向けてのメッセージである。

空を撮るのが好きなんだけど、青からオレンジ・黄色に移りゆくグラデーションが昔から変わらず一番好きだ。
それは山陰で見た日本海側の夕景が私の心と記憶の根底にあるからかもしれない。

いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。