”健康第一”は誰かに言われてからでは遅い言葉
また何かしらで正式に書きたいことなのだが、今月初旬、とある病気が判明した。年が明けた2月あたりに入院・手術を予定している。今は経過を見つつ、今後の具体的な動きを関係各所と調整しているんだけど、年明けの診察でそのまま入院になったらゴメンなさい。とは言えど、未だに自覚症状無しである。
医師からそう言われた時は、「いや〜早めに見つかって良かったです!」と楽観的なマインドだった。
けれども、人に話していく内に「大丈夫?」「びっくりしたでしょ」なんて言われると、途端に張り詰めていたものが緩んだような気持ちになっていく。
私は、少し無理をしていたのかもしれない。明るい自分を振る舞おうとしていたようだ。
隠しておくのは精神安定的に良く無いので、オープンに伝えていると、その病気についていろんな知見が溜まってくる。
「実は、私もなってたんだ。半年前に手術してさ。」
「友達もなってたよ。早めで良かったやん。」
「入院候補先に勤めてる知人に諸々聞いてみるから少し待ってな。」
調べてみると、メジャーな病気だ。個人的に情報収集していたが、身近な意見というものは何より心強い。構えていた堅いガードが解けていくようだ。
経過観察中で直ぐさま悪化するということはないと思うものの、早く全快してまた元気に過ごしたいと思う。この忘・新年会シーズンにセーブしながら飲酒をするのは、なかなか至難の業なので。
身体と相談しながら人生を送るべきなんだなぁ、と師走の最初に痛感するのだ。如何せん、強い身体ではないもので。”健康第一”とは身を以て知る言葉なのか。“未来からの前借り、やめましょう。”と先日お世話になった、友人も在籍している会社が提唱するメッセージがやたらに響くのだった。
今回、誰かしらに病気のことを話していく中で気付いたことがあった。未来の自分が見えたような気がしたのだ。
私はきっと、自分が余命わずかな状態であっても、笑ってこう言ってしまうんだろうというビジョンだ。
「いや〜冗談に聞こえちゃうけど、余命わずかなんだって。参ったなぁ。でもまたお話が出来て良かったですよ。お会いしてくださってありがとうございました。」
そう言えるのが遠い未来であることを祈っている。
いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。