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鳥取文芸第44号への寄稿のこと

バタバタだった2022年が終わりつつあり、年末に向けて何がバタバタだったのか振り返りをしようのコーナー第2弾。
今回は、12月4日発刊の鳥取文芸第44号のこと。

手元に届いた鳥取文芸第44号。帯は鳥取市立桜ヶ丘中学校の生徒さんがデザインされています。

特集名は『鳥取の今を動かすときめきの50人』。その1人として編集部・推薦者側に選んでいただき、寄稿することが決まったのは、今年の3月末ごろのことでした。
正直なところ、未だに「どうして私が声かけられたのだろう???」と頭の中にクエスチョンマークが張り巡らされています。今回の50人の中で私が何かを成し遂げている人間かと言われると、全くそうではありません。『今を動かすときめき』とは、程遠く、踠きながらなんとか生き長らえているような身が伝えられることがあるのでしょうか。。。
断ることも考えましたが、私を推薦したという方々のお名前を拝見すると、見知った方々が半分以上。「この人とあの人が私のことを推してくださったのは、有難いことだ。挑戦だと思ってやってみよう。」と捉え、引き受けることにしました。

「どんなことを書けば良いのか、また、50人の顔ぶれとはどのようなものか」ということが気になり、実際に執筆に着手したのは、原稿を提出する1週間前だったように思い出します。掲載される50人のリスト一覧をもらい、「このメンツの中で自分は何を語り、伝えるべきか」と悩みます。

悩む理由はいくつかありました。
1つは、私が名乗っている肩書きや、やっている「しごと」が似ている方が何人かいらっしゃること。その中には、過去や現在と、私と一緒に仕事をしている方もおられます。もちろん互いの考えが異なっているのは分かっているのですが、同じような「しごと」を語るのは面白くないだろう、と思いました。
もう1つあげるとしたら、私、「蔵多優美」という人間が知られていないということです。私は2019年にUターンし、独立するまでは鳥取大学で約2年間仕事をしていました。なので、知っている人は知っている、という立ち位置なのだと思います。今回の50人とは、半分の25人と面識があるのですが、その方達が私のことをどれだけ知っているか、というのはそれぞれによります。そもそも、私自身の「しごと」を他者に伝えるのは難しくて、「デザイン領域でいろいろやってます」と伝える場面がほとんどなのです。なので、「蔵多優美」が知られていない中で、筆者である私は、50人の1人として何を書くべきか。

悩みながら、執筆した結果が今回掲載された文章『過程の中にある「余白」に着目し実行し続ける』です。

①自己紹介(鳥取出身の自分が「しごと」としているデザイン領域がどこなのかを経歴を含めて開示)
②自分が注力している「対話型鑑賞」の紹介とその可能性について(現在取り組んでいるアイアイ(公益財団法人小笠原敏晶記念財団 2021年度 調査・研究等への助成(現代美術分野))のことにも触れる)
③鳥取に戻ってきたからこそ見える自分と鳥取の可能性・展望(自分が考える「余白」に着目し実行し続けることについて)

私としては、上記のような構成で文章をまとめてみています。
そもそもの話なんですが、私は1度に伝える要素・情報量が多い人間で、文章を書くと長ったらしくなります(苦笑)。これまでもそうだったし今後もそれは変わらないことなのですが、今回の依頼は2,000字程度にまとめなければならないという条件がありました。
なので、①「蔵多優美」と「デザイン」の種類のこと、②「対話型鑑賞」のこと、③「余白」に着目し実行し続けること、の3つが伝われば良いかな、というような気持ちで組み立てています。

特に意識したのは、「対話型鑑賞」を話の中心に持ってきているということです。50人の1人として、他の執筆者と自分を差別化するため、自分が注力している、かつ、今後の鳥取県において抑えておくべき鳥取で巻き起こっている「対話型鑑賞」を読者の皆さんに知ってもらうことが、私が執筆する意味でもあるのかなと捉えて、意識的に枠を広く取っています。
それに付随するように自己紹介や自分と鳥取の可能性・展望を合わせて、『過程の中にある「余白」に着目し実行し続ける』という内容にまとめました。削った部分は多く、割愛した部分もたくさんあるので、読者の皆さんにどれだけ伝わっているかは分かりません。

「他の執筆者と比べて説明書のような文章だな(苦笑)」「大先輩であるアート領域の赤井さんとデザイン領域の小谷さんの間に私の文章が挟まれるなんて恐縮です…」と手元に届いた鳥取文芸第44号を読んで思いました。もしかしたら場違いな文章を掲載したのかもな、とも思い、少しショゲています。大勢に刺さるような文章を自分に書くのは容易いことではないなと。
ただ、先述したように、①「蔵多優美」と「デザイン」の種類のこと、②「対話型鑑賞」のこと、③「余白」に着目し実行し続けること、の3つが伝われば良いかな、と思っています。50人の1人として、読者の誰かの何かに引っ掛かりがあれば、執筆した身としては幸いです。

改めて、鳥取文芸第44号を読んでみると、面識のある25人と面識のない(お名前のみを知る方もいる)24人のそれぞれ考えや「しごと」が知れて面白く、「この人と改めてお話ししたいな」「あの人とお会いしてお話ししてみたいな」と思わせる内容ばかりでした。地域活動やまちづくり、アート・デザイン・教育などと幅広い領域の執筆者50人それぞれの文章は、とても読み応えがあり、鳥取市内だけでなく、鳥取県内や全国の方にも読んでいただきたい1冊となっています。
鳥取市内の書店を中心に、県内だと執筆者の1人でもあるモリテツヤさんの汽水空港でも販売されていますので、そちらでも是非。


最後に。私自身が『鳥取の今を動かすときめきの50人』の1人であるか、と問われると、今回、有り難いことに名を連ねさせていただきましたが、別にそうだとは思ってません。もっと私より、ときめいてガンガンと活躍されている同世代や先輩方がたくさんおられます。
「じゃあ私はどうなの」と改めて問われると、昔も今も鳥取の中で見つける「余白」を通して遊んでいるだけなのです。「余白」はときめきの素かもしれません。ある種の原石かなと。そこに着目して実行し続けている、ということをこれまでの人生の中でずっとやってるだけなのだと思っています。
話が少し逸れますが、ここ数ヶ月の間に友人・知人から私のことを評価する言葉をいくつかいただきました。

「純粋な鳥取生まれ・育ちなのに、1人で東京にいる人みたいな動きしてるよね。プロデュースやディレクションできる人は多いわけじゃないから貴重だと思うよ。」
「クラちゃんの手相みると、2人分以上のエネルギー量を持ってる人だから、多拠点とか、1つに固執しない働きや生活の仕方をしていく方が楽な人なんだと思う。」
「回しきれていない部分があるから、細かいところを抑えて欲しかった。」
「自分のことを卑下し過ぎ。勢いで動き過ぎ。冷静になって、相談して。」

良い言葉も悪い言葉も両方含めて、私という人間です。完璧には程遠い欠陥だらけ。30代に入って、ようやく人に頼れるようになりましたが、頼り方が上手くなくて失敗ばかり。ただ、それでも新しい景色が見たくて、開拓して何かを作り続けています。それがずっと続くので、常に改善しながらやっていきたい。前進も後退もあるけど、固執し過ぎず、柔軟に、相手の言葉や気持ちを受け取って、それに対して自分の言葉や気持ちを伝えて。力を合わせたり、決裂することもあるけど、いろんなことを含めて人生なのだと思っています。その中で見つける「余白」が私にとってはキラキラするものであることが多いです。その「余白」をもっと磨いたり掘り起こしていきたいから私は、立ち止まっても這いつくばっても、前向くことは忘れずにやっていくんだと思います。

ということで、50人の中の1人として、先陣きって、noteに考えをまとめてみました。これも私の考える「余白」です。「余白」に対しての考えは、それぞれによって違うと思うので、この文章を読んでる皆さんなりの「余白」に着目し実行し続けてください。そうしたら、殺伐としたこの世の中でも、少しでも息がしやすくなるように私は思っていますし、そう願っています。

いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。