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「不猟少年/飛行少女」  平成初期

 2019年(令和元年)5月2日、令和の空気を吸い込みながら、これを窓辺で書いている。

 平成は昭和同様、大変ボリューミーな時代であったが故に、「昭和」のように年代を表す意、以外のニュアンスを含めたスラングとして使用するにはまだ早いと思っている。「昭和のおっさん」と言えば詳しく説明しなくても大概は共通のイメージを皆で分かち合うものだ。要するに「オーサカのおばちゃん」と言えば単に大阪に生息する中高年女性を意味しているだけではなく、「あ~オーサカのおばちゃんねぇ……」と苦笑いせざるを得ない意味合いを含んでいるのだ。

 平成の◯◯と言う具合に、平成という名に共通の意味合いをイメージできるだろうか? 平成のおっさん? 平成のおばちゃん? 平成の遊園地? なんか違う。なんか変だ。逆に新しめの名詞にくっつけてやるとややイメージ可能だ。平成のカフェ、平成のギャル、平成の草食男子。ということは、おっさんやおばちゃんや遊園地という言葉がなくなる可能性を感じる。平成のパパ、平成の大人女子、平成のレジャーランド……。気がつけばこの3点、つなげるとなんとも猥褻で、昭和的娯楽を逆イメージさせる偶然性を秘めていた。(平成のパパは昭和のおっさんだし……)

 で、なぜ平成にはまだ意味合いを持たせることが出来ないだなんて長い長い前置きをするのかと言うと、平成のすべての時代を生き抜いてきたこの私、はじまりと終わりでは「平成」が持つ言葉のイメージがぜんぜん違うからだ。それは自分が年を重ねたのと、時代も年を重ねたからなんだろうけど、平成という時代が我が人生の青春そのものであり、はじまりと終わりでは住む世界がぜんぜん違っているから「平成のイメージはこうだよ」とは言えないのである。

 私が平成を迎えたのは、地元札幌、中学3年生の冬、高校受験直前の塾(北大学力増進会)の中でのことだったように記憶している。そこに集まっているのは他力本願な親たちが「うちの子も塾に入れさえすれば、あとは(ほっとけば)何とか(先生に)やる気を出させてもらい、(せめて)塾にいる間は(強制的に)勉強させられるから(自分は勉強嫌いだったけれどうちの子は)進学校に進学できるかも知れない(できないと困る)」という甘い考えをもった甘い親の元で育つ、甘い悪ガキたちだった。あまりに勉強せず塾内のどの教室よりも点数が悪いため、潰れかけたクラスと言われていた。ほとんどは同じ中学の男子生徒と女子生徒がじゃれ合うために通っていたようなものだ。自販機で買ったコンドームを水風船にして投げ合ったり、停めてある女子の自転車のサドルに生理用ナプキンを貼り付けたりする昭和の中学生のいたずら遊びだ。ただ遊ぶためだけに通っていた。勉強は一時間もした記憶がない。隣の友人とメモで会話したり前の席の男子や塾講師の似顔絵を書いたりして退屈な時間をできるだけ笑って過ごしていた。

 私の履歴書の学歴の中学卒業以降はこうだ。

 平成元年 4月 北海道札幌◯◯高等学校普通科入学 となっているはずだ。

 私は昭和48年生まれ。あの当時、子供はひどく多く、中学も高校も一学年10クラスあった。ひとつ年上のマツコ・デラックスがテレビで、自分の世代はいかに人数が多く、いかに教室や学校から子供たちがあふれ、いかに粗末に扱われていたか当時の様子を語っていたが、それはあながち間違いや大袈裟な嘘ではない。千葉がそうなら地方都市札幌も第二次ベビーブームの子供たちであふれ返っていた。

 そう。私にとって平成は高校生活の始まりと共にスタートした。

 高校1年のとき、中学では不良しか着ることが出来ないDCブランドを晴れてみんなで背負うことが出来た。背部にブランド名やロゴが描かれているだけのパーカーをこぞって背負った。DCなのにある意味、デザイン性よりもブランド名だけで選ばれ、歩く広告塔のようにDCブランドを身につけていた。

 中学生のときから「オリーブ少女」だった私にしてみれば、なんともナンセンスな選択ではあるが、周りの女子と同じものを背負い、周りの女子に羨ましがられたり褒め合ったりするだけでも価値を感じた。ベースとなる好みのテイストはパリジェンヌ。安い物の中からお洒落で安く見えないものをパリジェンヌ目線で見つけてくるのが私の得意技であるにも関わらず、量産的で高く見えないけれど高いものにはまった。あれはあれで楽しかったし、高校生の身分でデザイナー色の強い店内の洋服は買えず、店頭に並んでいるブランド名だけプリントした今で言えばノベルティーみたいなTシャツなどを身につけることでパルコだって堂々と歩ける気がした。

 せっかくのアート系ファッション雑誌「オリーブ」もトレンディドラマを追随するかのごとく、次第に「an・an」路線になって行く。お洒落と並行して愉しんでいた秘密のオタク活動「刑事(デカ)ドラマ」もトレンディドラマ化して「あぶ刑事」方向へ。あぶ刑事も好きだけど、やっぱ刑事ドラマの醍醐味は「不器用な」オキニのデカが手負いの状態になりながら必死に守り戦うみたいなベタベタな正義感だ。器用でかっこいいデカやトークがスタイリッシュなデカではイケないコトカイ? はい、イケまセン死にましぇんなのである。

 恐らくそういうところからして、昭和から平成にチェンジすることへの猛烈な反発が私の中ではあったのだなぁ……と、今になって思うのだ。

 ダバダバダバダバ ダ ダーダ ダバダバ 

 ダ ダーダ ダバダ ダバダ ダバダ ダバダダバダダー♪

       ちょっと違うかも知れないけど、これはなに?

          フリッパーズ・ギター    正解~

 猛烈にお洒落になって行く世の中。渋谷ってどんなとこなの?

 でも小学生のときから漫画やアニメや実写で空に描く私だけの脳内映画作品の舞台は必ずと言っていいほど行ったことのない東京ばかり。自分で考えたオリジナル映画やドラマなどの続きを考える二次創作映画。これらのストーリーを追うように映像を空想で描き進める楽しみ。感動的なアングルとカメラ回しの芸術性。うまいセリフ回し。それらの主人公を自分一人で演じて感極まり、号泣する。自分だけの秘め事が仏様(とくに死んだひいじいちゃん)に見られたら恥ずかしいので、布団の中に隠れ、顔を肌掛けで隠しながら空想にふけった。

 帰宅部で構わなかった。友達に誘われない日があってもそれで良い。いじめなんて受けてない。鬱でもない。とにかく早く家に帰って布団に潜り、昨日の夜まで進めたストーリーの続きを思い描いて愉しみたい。長編ドラマを途中で停止させ、仕方なく学校へ行き、慌てて帰宅し、ドラマの続きを見るかのような待ち遠しさだった。

 え? 話の方向がずれた?

 まあ、いい。とにかくこの想像癖をエネルギーに生きていると言っても過言ではない人なのだ、このあたくし。想像癖である。妄想癖とは違う。物語のストーリーを思い描くのが好きなんだ、だったら早く作品に取りかかれ。

 空想だけで良い。空想だけでご飯茶碗何杯もイケる。

 しかも、自分が思い描く主人公の99%は男である。

 男を演じたい。自分の中にある「男になってみたい願望」が布団の中で顔を出す。パジャマは必ず開襟シャツの上着にした。(胸元がフリーな開襟に男の色気を感じるから)パンツは父親のパンツをこっそり盗んで衣装のように身につけてから布団の中に入った。父親がたむしでないことを願いながら生で履いた。(女子パンツのゴム感が男になり切れないので脱いだ)たまに靴下をパンツの中に入れ、股間の突起部あたりに置いて満足した。

 そんなこんなの神田明神で、私の平成初期はほとんど寝て(と言うか、布団の中で過ごして)終わったのである。嗚呼、613(むいみ)。 イメージとしての平成は掴めぬまま、今夜もハッテンせず。45歳になっても未だ布団の中にスクリーンを求めつつ、就寝するのであった。

                          平成中期へと続く



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