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メメント・モリと生の物語

岡山市北区天神町のシナジー73では、能勢慶子さんの企画による「ときどきメメント・モリ」が開催されています(2022. 7.8~7.25)。16名のアーティストによる作品は、死を想うことにより、生の輝きが照り返されているものでした。

我が家のベランダには、滋賀の実家から持ってきた山椒の木が育っていました。我が家は15階建てマンションの高層階なのですが、そんな高所へアゲハチョウがやってきて産卵したようです(蝶のおどろくべき飛翔能力です)。アゲハチョウの幼虫の青虫が孵って、山椒の葉をもりもり食べて育っていました。

山椒の葉を食べて育つ青虫。アゲハチョウの幼虫は偏食で、山椒の葉しか食べません。

やがて木は丸坊主になってしまいました。

青虫はさなぎへと変態し、ベランダの物干し場の側面にぶらさがっていました。

物陰にぶらさがっていた、さなぎ

2022年7月19日のことです。今年の夏は天候が不順続きです。その日も梅雨に逆戻りしたかのように雨が降り続き、強風が吹き荒れ、嵐のような一日でした。

夕方ベランダの床を見ると羽化途中の蝶が落ちていました。ずぶ濡れの殻も転がっています。

ずぶ濡れになった、さなぎの殻(回収したもの)

蝶は、羽化途中に殻と共に嵐で吹き飛ばされてしまったようです。
すぐに蝶を拾い上げ、室内に移し、割り箸の先に止まらせて休ませました。

瀕死の蝶

蝶は傷ついて衰弱している様子でしたので、もうだめなのかもしれませんでした。たまたま嵐の日に羽化するなんて、この蝶にとって、なんという運の悪いめぐり合わせでだったのしょうか。

翌朝、嵐は止んで、天候は回復していました。蝶はまだ生きていましたので、ベランダの鉢植えの木にとまらせました。すると蝶は木をよじ登り先端まで登って行きました。

夕方帰宅すると、蝶の姿はありませんでした。ベランダの床を探しましたが見つかりませんでした。あのまま羽化して飛び去ったのでしょうか?風に吹き飛ばされてしまったのでしょうか?鳥に食べられてしまったのでしょうか?消息は不明です。

次の日の朝、ベランダを見ると、一羽のアゲハチョウがやって来て、植木鉢の縁にちょっととまって、すぐに飛び去ってしまいました。羽の模様が歪んでいたので、羽化に難渋したあの蝶に違いありません。一旦、巣立った蝶が、この場所に、このタイミングで戻ってくるなんて、奇跡的です!

蝶が、お礼の挨拶にやってきたに違いない、と信じました。

さて、倉敷の街はすっかり夏空です。すじのように細くたなびく雲が、まるで虹のようです。

倉敷美観地区の新施設 倉敷SOLA

ふと思うところがあって、倉敷美観地区の語らい座大原本邸(旧・大原家住宅)を訪れて、大原孫三郎・總一郎父子が思索をした庭と書院を鑑賞しました。

何度も訪れた場所ですが、部屋の壁がピンク色なのに気付きました。

案内係の方に尋ねると、岡山県吹屋特産のベンガラの色ではないか?と、よくいわれるそうですが、倉敷の酒津で採れるピンク色の砂を使っているのだそうです(今はもう採れないそうです)。掛け軸も、ピンク色の表装のものが設えられています。
大原家の人達は、このような明るい色を好んだのだそうです。

床の間上段の障子を見るとウスバカゲロウがとまっていました。

ウスバカゲロウ

大原家の庭で育って、羽化したばかりなのでしょう、近づいても逃げないでじっとしています。

このウスバカゲロウは、50歳代で若くして亡くなった、かつての当主、大原總一郎さんの化身ではないか、と想いをめぐらせました。

丸坊主になっていた我が家の山椒の木は、早くも葉が再生していました。

葉が再生しつつある山椒の木

メメント・モリ・・。

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