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批判に対する心の安寧の保ち方

はぁ、と自然とため息が出た。グラスに残っていたビールを喉に流し込んで、カウンター越しに店員におかわりを頼む。

その時、入り口のドアが開いて、一人の男が店に入ってきた。目を合わせると、彼は慌てる様子もなく僕の隣の席に座った。

「遅れて、すまないね。」彼は座るなり、ビールを注文する。

「いや、早めにきて先に始めさせてもらってたから大丈夫だよ。」

若い店員が二人分のグラスを持ってきたので小さく乾杯をした。

「どうしたんだい?なんか元気がないね。それに、飲みたい気分だなんて珍しいじゃないか」

「ああ、そうなんだ。聞いてくれるかい?」

僕は、東京にある教育系ベンチャー企業で働くかたわら、趣味でブログを書く、いわゆるブロガーだ。これでもフォロワーはそれなりにいて、ブログの読者も順調に伸びていた。コツコツと書き続けるのは性に合っていた。

それが先日アップした記事、ベンチャー企業あるあるをテーマに書いたものだったが、普段のアクセス数の100倍以上ものヒットになった。どうやら有名なベンチャー経営者がTwitterでつぶやいてくれたらしい。

「それは、すごいな!良かったじゃないか。」

彼は、お通しで出された小鉢を食べながら言った。前職の同期である彼は、僕のブログのことも知っているし、今の職場の同僚には話せないことも話しやすいから、こうして定期的に会って飲んでいた。

「まぁ、たくさんの人に読んでもらえたのは嬉しいよ。最初は興奮したさ。Twitterのフォロワーも一気に増えたしさ。でもな・・・」

「でも?」

「いい反応ばかりじゃなくて、内容が薄いだの、わかってないだの、批判めいたことを言われたりすることが増えて、すっかり滅入ってるんだ。」

「ああ、そりゃ難儀だな。人気ブロガーの仲間入りってわけだ。有名税だと思って気にしないようにしないとな」

「そうは割り切れないものだよ。もちろん、僕のはブログだけど、何かしら作品を世の中に出すってことは、良いこともネガティブなことも反応があって良いと思う。これまでだって、嫌な反応だってあったしね。」

「そうだなぁ。俺も、ドラマや映画を見たりして、つまんなかったりしたら言っちゃうわ。」

「うん、僕もそうさ。Twitterなんかには、むしろ批判めいたことを小難しく書く方がリツイートされたりしてね。」

「それ、わかるわ」彼は笑った。

「僕もブロガーのはしくれ。批判だって成長の糧だ!って思って、これまで受け止めてきたよ。もちろん、平静な気持ちではいられないし、嬉しい言葉よりもネガティブな言葉の方が、ずっと心に残るけどね。」

「それは、ブログに限らないよな。良いことあると、その瞬間にテンションあがってそれきりで忘れてしまうけど、嫌なことは結構あとをひくんだよなぁ。」

「そう、一喜一憂するだけならまだしも、嫌な言葉だけが反芻してしまうんだ。刺さって抜けにくいトゲみたいにね。それが、たくさんの人に読まれるほどに、嬉しい言葉よりも嫌な言葉の方が増えてくるんだ。」

「へぇ、そうなのか。俺は、こないだのベンチャーあるあるの記事すごい良いと思ったけどな。うちの会社でもあるあるだわーって。」

彼も、僕と同じ時期に転職をして、今はITベンチャーで働いている。企業向けの製品のマーケティングを担当してるらしい。

「そう言ってくれると嬉しいよ。多分だけど、そうやって読んで良かったって思っても、あんまり発信はしないんだよな。記事への良いリアクションは、記事を書いた人には届かないんだ。」

「あー、そりゃすまん。確かに、会った時にも言ったりしてなかったな」

「あ、いやいいんだ。責めてるつもりはないよ。きっと、そういうものなんだよなーって思ってさ。」話をしているうちにビールが少なくなってきた。

「それって、さっきの映画とかドラマみたいな感じじゃないかな。」

「というと?」

「なんか、遠い世界の話というか、既に提供されたコンテンツというかさ、全然知らない人なわけだから、書いた人のことが見えなくなってる感じ。だから、好き勝手に言えるわけよ。」

「なるほど、確かにな。批判しやすいのは、それが人から離れてコンテンツになっちゃってるからか。意見を言う側はコンテンツに対して言うわけだから、遠慮なんてない。」

「そうそう、だから読む人が増えれば増えるほど、書いた人そのものは遠くなって、コンテンツだけを読んで言いたいことを言う人が増える。しかも、人は良かったときは人に言うまでもないけど、批判めいたことは人に言いたくなる。」

「良かったときに言わないのはなんでだろうな。」

「映画の話で言えば、的外れな奴と思われたくないからだろ。」

「え?どういうこと?」

「うん、あ、ビールでいい?」と言って、ビールを2杯おかわりしてから続けた。「つまり、良いと思ったものを、良いと言ってから、それが他の人たちがダメ出ししてたら、どう思う?」

「あ、なんか自分のセンスまでダメ出しされた気持ちになるね。」

「そういうこと。だから、あまり好きなものとか良いものを素直に表明するのは、けっこう難しいことなんだ。逆に、批判するのは傷つかない。皆が良いと言えば言うほど、批判してる方はわかってる風に映るからな。」

「そう言われると、本当そうだな。にわかには納得できないけれど・・・」

もう3杯目となったビールは美味しく感じないけれども、さっきの彼の言葉を納得させるために僕はグイッと飲んだ。

インターネットの恐ろしくも、素晴らしいところは、誰の声もフラットに、誰にでも届くということだ。批判めいた言葉も、人を傷つける言葉も、気軽に書いたことでも、届くと思ってなくても、届いてしまう。

見えないところで悪口を書かれても気にはしないし、聞こえないところでひどいことを言われても根に持つことはない。しかし、誰にでも見えるネットのどこかに書いたら、いやでも見えてしまうこともある。

良い言葉や感想、共感したとか役に立ったとか、嬉しい反応は欲しい。そうしたポジティブなフィードバックが嬉しいから、自分の作品に対する意見を探して読むのだ。それが出来るのもインターネットの良さだ。

「嫌な反応なんて見なければ良いんだって、わかっているんだけどね。でも、やっぱり自分が書いた記事への反応は、どうしたって見たくなるんだ」

「それでエゴサーチしてしまうわけだ。だけど、それで消耗してたら仕方ないだろ。」

「うん、だいたい後悔することしかないよ。はてなブックマークとか、いつも後悔しかないから、さすがに読まなくなった。あれはコメントで反論もできないしね。」

「面白い仕組みなんだけどな。俺は、暇なときに面白い記事ないか探すときに使ったりするぜ。んで、他の人が書いた批判コメントとかも楽しく読んでたりするわ。なんとも下品だけどな。」

「うん、僕だってそうだよ。さっきの話でいえば、ブックマークという仕組みが、コンテンツ化を助長してるのかもね。記事の著者だって見てるかもしれないけど、そんなこと意識したこともないよね。」

世にあるものなのだから、批判するのは自由だ。それをやめさせる必要はない。だが、何も馬鹿正直に全てを受け止める必要もない。心ない批判を受け止めても、それだけで成長できるとは思えないからだ。

「『わかりにくかった』ってコメントがあるとするとさ、やっぱ次はわかりやすく書こうって思うけれど、具体的なことは書いてないわけよ。それに、わかりやすく書こうなんて、言われなくてもわかってるよ。」

「そうだな。それに、対象読者じゃなかったってだけかもしれないしな。大学で読むような学術書を子供に読ませても、わかりにくいと言うだろう?」

「その通りだね。だからといって、子供でもわかるように書くと、冗長になったり、詳細を端折ったりして、今度は『薄かった』って言われるんだ。」

「それで、本当に読んで欲しい人には届かなくなる、と。残念な話だよな。そういえば、最近読んだ本なんだけど、この本は知ってるかい?」そう言って、彼は自分のスマホを少し触ってから見せてくれた。

「いや、読んだことないなぁ。」

「ジュリア・ロバーツが主演した『食べて、祈って、恋をして』って映画は?」

「それは見てないけど知ってる。」

「うん、実は俺も見てないんだけど、その原作作家の書いた本なわけ。こっれは。」

「へぇ、どんな本なの?」

「内容は充実した創造的な人生を送るには、という彼女のTEDでの講演をベースにしたものなので、それはそれで面白かったけれど、彼女はベストセラー作家なわけで、やっぱり称賛も批判もハンパなくあったわけでさ。それを、どうやって乗り越えたかって話もあってね。」

「それ、すごい興味あるわ」

「古代ローマでは、創作物のインスピレーションは世界に漂うゲニウスが与えてくれる、ゲニウスが取り付いたから創作できるんだと信じられていた、と。だから、作品への称賛も批判も、自分ひとりで受け止めなくてもよいんだと、考えたんだとさ。」

「自分の才能で書いたわけじゃないって思い込むことで、作品と自分を切り離すのか。ちょっと気が楽になるね。なんだか自信をなくしちゃいそうだけど。」

「ちなみに「ゲニウス」ってのは、ジーニアスつまり天才の語源らしい。」

「へぇ。天才なんていないってことか。でも、そうしないと生きていけないほど、僕のブログなんかじゃ想像もつかないくらいの批判も受けたんだろうね。」

「すごいよな。・・・だけど、それはお前だって同じさ。」

「え、そうなのかな。」

「うん、すごい。賛否両論って言うけどさ、称賛も、批判も、少なくとも作品を世に出さないと受けることはないし、読んでもらえないと出てこないものなんだしな。」

「そう言ってもらえると救われるよ。」

「批判することは簡単だけど、批判されることは難しいんだ。そんな難しいことをやってるだけでも本当にすごいんだ。俺は、本当に尊敬してるよ。」

「・・・ありがとうな。」僕は、目頭がジンと熱くなった。

作品を否定されても、自分が生きていることを否定される訳ではないし、否定してくる人が、自分の人生を代わってくれる訳でもない。

自分の持っている何かをアウトプットしたい気持ちは、他でもない自分が守るしかない。それもわかっている。

けれど、どんな作品であっても、良いと思うものがあれば、もっと気軽に称賛しあえる社会になれば良いな。せめて僕は称賛を表明する側でありたい。

僕らは2回めの乾杯をした。

***

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