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個人・組織・ビジネスはどう変わるのか

先日、とあるイベントで登壇させてもらったのですが、リモートワークのノウハウといった話ではなく、この先どうなっていくのか?みたいなテーマでした。

(まだ半年も経ってないけど)2020年に起きた出来事は、この先の社会にどういった影響を与えるのか、どんな風に変化していくのか。未来予測といったテーマ設定でして、そういうのは苦手ですが話してきました。

未来予測みたいな話は、当たっても外れても実がない割に、誰でも話せるので、どうしても居酒屋で話すようなレベルになってしまいがち。なので個人的には興味はなくて、ブログや公開の場ではあまり語りません。よく取材でも聞かれますが正直に「わかりません」と言ってます。

歴史上、疫病が流行ったことで起きた社会的な変化は、誰も予測ができなかったことばかり。ペストが流行ったときは、農業従事者の方の社会的地位が大きく向上したそうですが、当時に誰が予測できたというのでしょうか。

とはいえ、登壇するからには答えないといけないので、自分なりに考えて話してきました。せっかくなので残しておきます。私が語ったことは、未来の予測というよりも、未来への希望ですね。

個人の生き方の変容は・・・「多様化の許容」

個人の生き方を考えるときに、どうしても働き方というのが影響を与えると思います。どんな仕事を選ぶのか、どこで仕事をするのか。家を買うとき、借りるときは、通勤しやすい場所を選んだはずです。

しかし、在宅勤務を多くする人が増えて、生活の延長上に仕事がある状態を経験する人が出てきて、これまで当たり前にしていた「通勤」の無駄に多くの人が気付く機会になったと思います。

たとえ「やっぱり家では仕事ができないな」と思ったとしても、だからといって1日のうちの1時間でも2時間でも通勤をしたいとは思わないはずです。家の近くにあるコワーキングスペースでも良いのではないか、と。

これって「職住近接」を実現したいということですね。これからは、働き方に、個人の生き方が縛られないようになってくるのかな、と。

そうした選択肢を持つことができる。誰もが同じ様にしなくても構いません。これまで通り、通勤したい人はすればいいし、都会が好きなら都会を選べば良い。しかし、そこは強制されることがなくなる。

これまでは「多様化の時代」なんて言いながらも、実際は選択肢がなかったに等しい。物理的な制約もあるし、世間の目というか、こりかたまった常識からの同調圧力のようなものがあった。

昔からリモートワークしてる私たちですが、転職をきっかけに在宅勤務を始めた社員の一部は「近所の目が気になる」と言ってました。しかし、今そんなことを気にする人はいないでしょう。

子どもたちも学校に行けなくなってますが、それで可愛そうと思う大人がいて、学校いけなくてツラいと思う子どもたちもいると思いますが、学校に行かなくて済んで良かったと思う子どもたちもいるはずです。

私も学校が大嫌いで、なかなか行けなかった。横並びの集団行動や同調圧力が、とても苦手でした。学力を補う他の手段があるなら、それでも良いんじゃないか、とも思います。(私の生存バイアスですが)

今回のことをきっかけに、価値観の見直しが起きて、そうしたマイノリティにいる人たちが本当に許容されやすい社会になると良いなと思います。

組織の変容は・・・「自律と信頼関係」

リモートワークが広まることで何が起こるのか。オフィスに出社してれば働いたことになっていた牧歌的な時代から、成果を出すことが仕事をすることに変わってくるでしょう。

めちゃくちゃ大変そうに聞こえますが、これはリモートワーク以前から、仕事とは成果を出すことだったはずです。これまで仕事をしてなかった人が困るだけのことです。

そうしたときに、監視と管理ではないマネジメントが求められます。マネージャとメンバーの間には真摯に仕事をするのだという信頼関係が求められるようになります。

これもリモートワークとは関係なく、信頼関係は必要だったはずです。もとから信頼関係があったならば、リモートワークになっても管理や監視という必要はありません。

リモートワークは、働き方がデジタル化されていることが前提になります。そうなるとコミュニケーションのあり方も変わります。デジタル化のメリットは限界費用がゼロに近くなることです。

社長が自ら伝えたいことを書けば、相手が何人いても一斉に伝えることができます(きちんと伝わるかどうかはさておき)。ソフトウェアやデジタルはコピーや拡散にかかるコストが低いのです。

となると、情報伝達やコミュニケーションのためのヒエラルキー構造は不要になります。以前に比べて組織はフラットな構造に近くなります。フラットまでいかずとも、階層の深さは軽減されるはずでしょう。

目的も共有されず指示された作業をするだけの労働は減っていくでしょう。そうした労働は、管理や監視が必要です。目的のために成果を出す仕事であれば、監視や管理は要りませんし、各自が創意工夫と試行錯誤をする余地がありますし、それができる仕事は楽しいものです。

そのために必要なのが自律です。すなわちセルフマネジメントで働いて成果を出せるようになること。自分の裁量で、自分で考えて、成果を出していくことが求められます。セルフマネジメントは、スキルではなく、誰でも身に着けているリテラシーになっていってもらいたい。

セルフマネジメントできて自律・自立できる人たちばかりになると、組織は資本力で労働力を買うという構図が成り立たなくなります。組織が雇用する形から、個人が参加する形に変わっていくのかもしれません。

ビジネスの変容は・・・「製造からデザインへ」

人と人の距離が変わってくる、人と人が触れ合うことが貴重な機会にせざるを得なくなるとしたら、とはいえコミュニケーションを続けていくために、デジタル化というのは今まで以上に進むでしょう。

デジタル化が進んでいった中で、ビジネス価値の比重は、製造よりもデザインに移っていくのではないか、と。デジタル化された世界での製造とはなにかということです。

ここでいうデザインというのは、絵を描くといった話ではなく、企画することや設計すること全般を指しています。デザインの仕事は、マーケティングでプロモーション企画をつくることも、プログラミングをすることも含まれます。

そうしたデザインの仕事の特徴は、同じことを繰り返さない、一人ずつ違う仕事をすることで、成果には属人性が影響する仕事です。そうした再現性の低い仕事をクリエイティブな仕事と呼んでいます。

世の中のデジタル化が進めば進むほど、クリエイティブな仕事の重要性が相対的に高まっていきます。デジタルの成果物は、前述の通り再生産には限界費用が限りなくゼロに近くなります。デザインと製造が同時に行われるといっても良いでしょう。

たとえば、書籍を作る仕事だとして、もし電子書籍だけでよくなれば、大雑把に言えば書籍の執筆と編集が終わりさえすれば、印刷といった製造がなくなり、完成してしまいます。

これまで以上に、価値とはなにか、成果とはなにかを考えることになるでしょう。成果を出すためには、手段はなんでも構わないのです。

「相手に伝えること」を成果だとするなら、手紙じゃなくメールでも良いし、電話だって良いはずです。メールを打つことは仕事ではないはずですよね。本質的な価値とはなにか、より求められるのがデザインの仕事です。

仕事の比重がデザインすることの時間として多くなるのではないでしょうか。それが、組織のあり方にも影響を与えるし、個人の生き方にも影響を与えていくように思います。

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