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僕は1番下手だったから努力を続けた/高校2年生編

新チームになったあと、秋の大会が終わってからグラウンドの全面人工芝化工事が始まり、グラウンドでの練習は少なくなった。

それまでは近くの俣野球場に走っていき、ナイターを使って練習したりした。

ナイターは初めてで、ボールを見失い、来た方向と逆方向に走り出して怒られ、練習を外されたこともあった。

練習試合は基本的に遠征となり、他の高校と合同練習をすることもあった。

そしてあっという間にオフシーズンを迎えた。
グラウンドでの練習はほぼできなかったので、10kmのロードワークや砂浜でのランニングや坂ダッシュ、自重トレーニングや素振りなどがメインの練習となった。

平日は主に自主トレーニングという形になっていた。校内の限られたスペースを使って練習することになっていた。全体でのメニューもあったが、少ない知識を活かして一生懸命トレーニングを頑張った。



そして、晴れて高校2年生になった。

一つ下の後輩たちはほとんどが自分よりも上手かった。これはやばいぞと本格的に思った。しかし身体は強くなっていた。ウエイトなどの計測の数値は伸びていたし、身長も伸びて体重も増えた。

2年生になってから、数ヶ月が経ったある日。
いつものようにB戦が藤嶺藤沢グラウンドで行われた。その日、Aチームは遠征だった。

もちろん1試合目に出るはずもなく、ベンチで声を出していた。
試合が終わり昼食を食べていると、2試合目のスターティングメンバーが発表された。そこに自分の名前は無く、1試合目に出たメンバーとスタメンでこれから試合に出るメンバーを除くと自分1人だけになった。

さすがに2試合目の最後の方に途中交代で出ていたとは思うが、Bチームの2試合目ですらスタメンで出られないのかととても悔しくて寂しい気持ちになった。

そんな時に怪我で残っていた3年生の先輩が、自分だけ試合に出ないことをどうにかできないかと先生に話に行ってくれた。

自分はもうそれだけで嬉しかったのに、その先輩のおかげで、試合に9番指名打者で出られることになった。


この恩を返すためになんとか結果を出したい。


せっかくもらったチャンスを精一杯活かしてやろうと思ったから絶対に結果を出したかったし、積極的に振っていくことに決めた。

そう思って入った1打席目。
低めのボール球に手を出した。


そしてバットの芯でボールを捉えて打球は初めて見る軌道で飛んでいき、レフトのネットを超えてホームランになった。

ツーベースヒットくらいの気でいたから全力で走っていたし、俺はホームランを打てるはずとずっと思っていたけれど、まさか本当に実現するとは思っていなかったのかもしれない。

ふわふわした気持ちでダイヤモンドを一周した。本当に嬉しかった。だってただのホームランでは無くて、先輩がわざわざ作ってくれたチャンスを最大限に活かして恩返しできたからだ。

ベンチに帰ってきた時に一緒に喜んでくれたその先輩の顔は今でも印象に残っている。


次の打席は四球でその後交代になった。


試合が終わっていつも通り練習が始まった。練習をやっているうちにAチームが帰ってきた。

誰かが帰ってきた先輩たちに「藤原がホームランを打った」と言ったが「絶対嘘じゃん!」と軽く流された。先輩たちがBチームに残っていた選手に確認したりしていたが、みんなで口裏を合わせたドッキリだと思われた。

それくらい、とてつもなく下手な自分がホームランを打つということは信じられない出来事だった。


まさか、自分がホームランを打てるなんて!!
と、この時に思った。そしてこの経験はとても大きくて、2本目を早く出したくてバッティング練習やスイングの時にも強く振ることをより意識するようになった。


それからホームランは出ることがなかったが、いつからか脚が速くなった。しかし、最初がとてつもなく遅かったので指導者のイメージは脚が遅いままで、自分よりも脚の遅い選手を自分の代走に出されたりした。

新チームに入ってからも脚の速さが日の目を浴びることはなかったが、チームメイトからはもちろん脚が速いことを認識されていた。


脚が速かったので、体育祭ではクラス対抗リレーや部活対抗リレーに出ることになった。


そして次の練習試合で唐突に代走で試合に出ることになった。

「え?これまで代走を出される側だったのに?」

頭の中にクエスチョンマークがたくさん浮かんだけれど、どうやら指導者からは脚が速い認定に変わったらしい。

まさか体育祭で、脚が速いと認知されるとは。。。


そしてそこからは代走での出場も増えて、それがきっかけとなって打席に入ったり守備につく機会が増えた。守備は全く上達の兆しがなかったが、バッティングではチームの中でも打てる方になっていった。

そしてオフシーズンに入る前、3年生のミーティングがあり、これからの話をした。

藤嶺藤沢には
・三塁コーチャー専門
・代打、代走専門
など、公式戦を戦う上でスペシャリストをベンチに入れるようになっていた。

代打専門の人はノックに入らずにひたすらバッティング練習をしたり、代走専門ならケースノックのランナーを多くやったりしていた。

だからその時のミーティングで監督から打診されたり、各々が今の立ち位置を踏まえてこれからどうしていくかというのをこのミーティングである程度決めていく。


この時に、
春と夏に向けて代打と代走キャラで行きたいという話と
しかし、大学野球をやりたいから練習試合でも守備につきたいし、練習もしっかりやりたいという話をした。

そしていよいよ最後のオフシーズンに入った。


次回、高校3年生編に続く…

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