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倉庫は我が家の青春だ。灯が消えた倉庫、なんだか寂しかったっていうのもある。

ほったらかされて物置と化している倉庫。
私が生まれた時から父は商売をしていて。
同業者の取り込み詐欺に引っかかり、ドえらい借金を背負っていた。
私が二十歳で家を出るまで、両親は夜中1時2時まで仕事をしていた。
朝は近くにあった鶏舎のニワトリが鳴きだす、まだ暗い時間に飛び起きて。
2人が横になって寝ている姿は、ほとんど見たことがないぐらい働きづめだった。
起きている間の時間は、家にいるより圧倒的に倉庫にいる時間の方が長かった。
両親は、買ってきたおにぎりを仕事の間に1分くらいで詰め込んだり、コーヒーも倉庫のストーブでお湯を沸かし、その場で立って飲んでいた。

家(の隣の倉庫)に両親がいて目が届いちゃう、勝手に友達も呼べないし、門限にもうるさい。
家の鍵とか持たされたことなかったので、「鍵っ子」にすごい憧れている時期もあった。
「託されている」感じがすごく大人っぽく見えた。
なぜうちは2人とも家にいるんだ…ってうとましく思う時期もあって。

学校から家に帰り、今日あったことを両親に話そうと思ったら倉庫へ。
仕事に夢中な2人は、手を止めて私の話を聞くなんてことはない。
生返事ばかり。
ウロウロしていると仕事を与えられ、袋の枚数を数えたり、シールを貼ったり、小学生の頃から何かしら手伝わされていて。
何かしていないと、そこにいるのを許されない雰囲気。
「こき使われている」って思って、イヤだった時もある。
でも、子供の頃「触るな」と言われていた作業が、ひとつずつ任せてもらえるようになってくると「役に立ってる」って実感があって、嬉しく思うこともあった。

おこづかいがなかったので、家業を手伝うことでお金をもらっていた。
10円とか100円とかそういう単位だったと思うので、頑張って働いても、同年代のおこづかい制のその額までは届かない厳しさあったけど。
「働く」「お金を得る」という原体験は、間違いなく実家の商売だ。

ひとり暮らしを始めてから電話をもらい「お前にも苦労をかけたが、借金を返し終えた。今までありがとう」と言われた。母は泣いていた。
「私は何もしてないよ、返せてよかった、お祝いしようね」と言ったら、「お前が大きなケガや病気もせずいてくれただけでいいんだ。これまでろくに話も聞けず悪かった」と言われた。
私は中学3年の反抗期に人並み以上に大暴れして、両親の手をわずらわせ悩ませたので、それを思い返すと恥ずかしくもあり、申し訳なくも思う。
一応言っておくと、元ヤンではない。

さらに数年が経ち「これまで十分働いた。店を閉めようと思う」と言われた。
継ぐ継がないの話に関しては、書き始めると本一冊分くらいになっちゃうのでここでは省くけど、ついに父は店を閉めてしまった。
仕事以外に趣味とか持つ時間もなく働いてきた両親。
仕事を辞めて2人がボケたらどうしようと不安になった。
店を辞めてからも両親がボケることはなかったけれど、事業を縮小してでも「生きがい」とか「プチ刺激」っていう面で、続けている方が良かったんじゃないかと思うこともあった。

そして、ひとつ大きなことに気がついた。
「借金」が、我が家の絆だったということ。
借金なんて、あるよりない方がいいに決まってるんだけど、うちは「借金を返す」っていう目標に向かって、ケンカしながら両親は力を合わせて突き進んできた。
借金がなくなったからってケンカは減らない。
なのに、一丸となる理由もなくなり、以前のケンカよりも始末が悪くなり。
倉庫で過ごす時間がなくなり、肩の荷は下りただろうけど、父と母の結びつきは明らかに薄くなった。

時々実家に帰り、生きたエネルギーが流れていない倉庫を見るのはなんだか寂しかった。
明かりが灯ることもなく、活気のない倉庫は、以前より暗く感じ、静かで。
倉庫に活気が戻る姿を見たい、そういう気持ちもあると思う。
両親と共に走り、両親に尽くした倉庫は役目を終えたけど、そこにある以上、生まれ変わって元気になってほしい。
我が家の青春を懐古するような感情も少なからずあるな、と今回「ほんとにリノベとかする意味あるの?」って考えながら気がついた。

この時点で、まだ何にも始まっていないのに、倉庫リノベ計画ノートはギッチリ。
さて、どうしよう。
まずは何から始めるか。

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