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ちょっとした小話(楠本まき展:追想)

ちょっとした小話でも。
楠本さんのジェンダーバイアスの記事を読む前に、少し思い出す事案がありました。
その事をしたためます。

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かの病気禍直前の2020年の2月。
あの「致死量~」のタイトル元ネタであるグループの作品が日本のとあるインディーズレーベルで再発され、それがきっかけで日独協会のイベントで来日するという出来事があったのだ。

その招聘イベントはほかにも80年代に日本に密かなブームをおこしたドイチェノイエヴェレの中心的なバンドの30数年振りの来日公演もあり、両者合わせての来日は、「まさか?」の大事件だった。

知人がイベントに関わっていた事もあり、ライブと講演会ふくめ見に行ったが、30数年前に果たせなかったライブをみにきたとおもわれる世代の方々や、何かの機会で当時のムーブメントを知り楽しみにきた若い世代と半々で、とても充実したイベントだったと思う。
なかでもライブ翌日におこなわれたDIE TÖDLICHE DORIS (ディー・テートリッヒェ・ドーリス)のウルフガングミュラー氏を迎えての講演会はとても興味深いものであった。

講演内容は1988年の初来日での公演の映像(東京渋谷クラブ・クワトロ)を上映後、ミュラー氏を交えての当時の話、観客との質疑応答であった。
上映内容は、本来ならいままでのリリースされた音源をなぞったバンドプレイを期待していたであろう観客の想いを斜め上裏切り、解散後記念の集大成といったまったく新しい撮り下ろし即興新作ライブだった。バンドとしても活動は終了してしまったあとでの来日公演ということもあって、逆に?バンドたらんとするよりも即興パフォーマンスをその場で行うといった内容だった。彼らを招聘企画したA氏も登壇し、イチパフォーマーさながらにパフォーマンスを進行していた。
一連のライブ映像の後、司会進行の質問や通訳の元waveのA氏からの内容補填の解説をへて、観客との質疑応答がはじまる。みにきていた観客の皆様の造詣深い質問に感心しつつ、丁寧に返答されるミュラー氏のやりとりはまるで美術大学の講義のようだった。

ミュラー氏の活動エネルギーの発端は破壊構築の連続であり、常に自分の表現、行動を見直し、調和や惰性の表現をみいだせば、破壊して、裏をかくように構築を試みる、その繰り返しだとおっしゃっていたと思う。ドーリスの活動芸術活動を行おうと思っていた時に、当時の音楽ムーブメントに出会い、「バンド」というユニットでやるのが最適だった、というようなことをおっしゃってた。しかし「バンド」っていうわりにいままで楽器をひいたことはなっかたとイタズラっぽい笑みでお話されたのが印象的だった。
そうした彼らの活動は、日本では海外のノイズアヴァンギャルドとして紹介されて「致死量ドーリス」という日本盤タイトルが広く知られ、のちに楠本まきさんの著作した作品名にもなった。

よくよく考えると、楠本さんがデビューして上京された時期等をかんがえるともしかしたらこのドーリスのライブを見る機会があったのかもしれないともおもった。その公演内容もインスパイアされる可能性大の象徴的な内容だった。

https://www.goethe.de/ins/jp/ja/kul/sup/atv/21755362.html 

私がこの「DIE TÖDLICHE DORIS (ディー・テートリッヒェ・ドーリス)」の事を追記補填として書こうと思ったのは、「致死量ドーリス」のタイトル元ネタがなんであるかを知ってほしいと思ったのと、その元ネタとなっておられるミュラー氏の人となり、スピリットが、楠本作品フォロワーにも絶対、琴線触れると思ったからだ。

結びにミュラー氏が現在携わっている活動について記そうと思う。
ミュラー氏が当日配布していた絵葉書に日本の国鳥の「トキ」があしらわれていて、それはなぜかと言うと、絶滅した鳥の鳴き声を復元する試みをしてるとのこと、その活動の一連で実は日本の新潟に訪問していた等を話されて会場にいた一同はびっくりしたのだが、そのプロジェクトについて嬉々と話されていた時の目は、新しい悪戯、企みをする子供のように無邪気だった。


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先の投稿で書いたジェンダーバイアスの記事を読んだのは実は2021年のことで、ミュラー氏の講演は2020年の事。
楠本さんに対する認識をハフポストの記事で改めた後で、ミュラー氏のことを思うと、「赤白つるばみ」の世界線上に登場したとしてもなんら違和感を生じない方だったなと、、
いまにしてみれば、と思うのでした。

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