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23章 男やもめに花を咲かそう!  (後編)

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 ベランダで美知が「巨人の星」を口ずさみながら金属バットで布団を叩いていた。
蔵子が声を張り上げた「ミッチー先輩!」三度目にようやく美知は気付いた。
「あら、蔵子、どうしたの? 怖い顔して」
「どうして勝手に人の家に上がり込んで、こんな騒ぎを起こしているのですか」
「騒ぎって何のこと? カビが生えそうな万年床を干しているのよ。
これでは体に悪いでしょ」
「だからー、そういう問題ではなくて、ですね。ご本人の許可も無くこんなことして、いいと思ってるのですか」
「許可? それなら、この前の飲み会の時にいいって言ってたわよ」
美知は、どうだと言わんばかりにバットを片手で振り回した。
「鴨田さん、酔ってたんじゃないですか」
 多少はねと言いながら、また美知は布団叩きに戻った。

 他の部屋ではゴミ袋を3つ持った女が、ビールの空き缶、弁当の空き箱、柿の種やスルメの残骸などを分別しながら拾って歩いている。
 もう一人は、洗面所のかごに、汚れた洗濯物を放りこんでいる。
隣の洗濯機もぐぐぐと動いている。
 
 健太郎と蔵子は鴨田にコートを着せて、近くの喫茶店へ連れ出した。
 ブラックのコーヒーを飲んで、鴨田は少し落ち着いた。
「鴨田さんは美知さんになにか頼まれました?」
鴨田はとんでもないと首を振って、顔をゆがめた。二日酔いがまだ残っているらしい。
「でも、美知さんは鴨田さんが了解されたと言ってましたが」
「そんなことは…そういえば、飲み会の時に、あのでっかい料理の先生が隣に来て、わたしでよければお手伝いさせていただきますわと言ったから、ありがとうございますと答えたけど…あれか?」
それだなと健太郎は、鴨田のモーニングセットのトーストを頬ばりながらにやっとした。
「料理のことかと思ったんだ」
「もう手遅れですね。でも、帰ったらおうちはかなりきれいになっていると思いますよ」
「確かに、そうだ。すっきりして、却って良かったんじゃないか。ほんと、お前のところはウジが湧きそうな有様だったからな」          鴨田は黙り込んで、残ったトーストに手を出した。


 いやがる鴨田を引っ張るようにして家に戻ると、ベランダいっぱいに洗濯物がはためいていた。
 健太郎に押されて鴨田はむぐぐとうめき、恐る恐る玄関を開けた。
室内には「ひょっこりひょうたん島」のテーマが流れていた。

 トントンと包丁の音のする台所へ行ってみると、三人が食事の支度をしていた。
食器を並べていた割烹着姿の美知が、あら、おかえりなさいと微笑んだ。
 鴨田と健太郎は顔を見合わせている。

蔵子は、先輩、お話がありますと、美知をリビングへ連れ出した。
「鴨田さんは、こんなこと頼んでないそうですけど」
「口に出して言いにくかったのよ」
「そんな訳ないでしょう。呆れてモノも言えませんよ」
「それなら、黙っといたら」
しかしねぇと言いかけた蔵子を美知は遮った。
大丈夫よ、うまくやるからとウインクして、美知は蔵子に背を向けた。
こんな時の美知は何を言っても無駄だ。

 蔵子が家の中を見て回ると、確かに、ものが片付いていた。
ゴミや洗濯物の山がなくなり、新聞や週刊誌はきちんと積み重ねて紐で縛ってあった。
床もきれいで掃除機もかけたようだ。

 台所では昼食の支度が整い、鴨田と女たちが食事をするところだった。
「悪いけど、お二人の分は用意してないからね」
 鴨田は一転して、女性に囲まれてうれしそうで、二人には目もくれない。
蔵子と健太郎はすごすごと鴨田邸をあとにした。

「鴨田の奴、女性に囲まれてハーレム状態だなあ」
にやにやとうらやましそうだ。
蔵子はぷっと吹き出した。
「ほんと、喫茶店ではあんなに不機嫌だったのに」
「はじめは驚きの方が大きかったのかもしれないなあ」
「それはそうですねえ、二日酔いで寝てるところをたたき起こされて、『巨人の星』で布団をバンバンですから」
「帰ってみると、ゴミも洗濯物もないし、流しの汚れた食器もきれいに片付いている。怒るより、感激したんじゃないかな。ほんとはどうにかしないといけないと思っていたけど、自分ではどうにもならなかったのだから」
「そのうえ、温かい食事にハーレム!」

 事務所に戻った蔵子をまろみは興味津々の目で迎えた。
「美知さんたちの突撃はどうなりました?」
「それが、もう大変、鴨田さんとミッチー先輩がもめてね。ミッチー先輩がバットを振り回して場外乱闘になって、血がドバーッで、救急車を呼ぶ騒ぎで大変だったのよ」
蔵子は、額にしわを寄せてためいきをついた。
 まろみはうなだれて、わたしがもっと早く…と、椅子にへたり込んだ。
蔵子は知らん顔をしてバッグから豆大福の包みを取り出した。

 おたふく堂の包装紙を見た途端に、まろみはキッとして蔵子をにらんだ。
「うそでしょ」
「はい、そうでーす。場外乱闘なんてありませんでした」
「もう、蔵子さんたら人が悪い。今度はわたしがヘッドロックをかけますよ」
 くわばらくわばらと言いながら、蔵子はお茶の用意を始めた。

 豆大福を頬張りながら、まろみに午前中の出来事を話した。
「男の料理研究会」でロマンティックな“化学反応”が起こるかもしれないと思っていたが、蔵子が投じたのはビタミン剤でなく、劇薬だったらしい。
 劇薬は使い方を誤れば毒になる。
今回は幸いうまくいったが、次はどうなるかわからない。
「鴨田さんは結局、喜んでたのですね。さすが美知さんだ」
「なにがさすがよ。鴨田さんが二日酔いだったからね。そうでなければ、ほんとに血の雨が降ってたかもしれない。そう考えると冷や汗が出るわ」

 玄関から、突然、こんちは~という声がしたので、二人は飛び上がった。
 あの声は…と二人は顔を見合わせた。
「豆大福のにおいがする」と美知はくんくんと鼻を鳴らし、二人の横に立っていた。
豆大福のにおいを感知できるのは美知だけだろうと、蔵子もまろみも呆れた。
「蔵子、今日はごくろうさん。それで、相談なのだけど。その前に、お茶と豆大福をいただきましょう。ねっ、鴨田さん」
 えっ、と二人が首を傾けると、美知の大きな体の後ろから、頭をかきながら、どうもと鴨田が姿を現した。

 応接コーナーに案内し、蔵子は二人を見比べた。どうなってるの?
「ほら、鴨田さん、豆大福も食べないと」
「いや、甘いものはダメなので、美知さんどうぞ」
 では遠慮なくと、美知は鴨田の皿に手を伸ばした。
「それでは、お話を伺いましょうか」

口の周りに白い粉をつけた美知は、鴨田さんからどうぞとお茶を手にした。
「いや、あの、その、やっぱり美知さんからお願いします」
「いえ、こういうことは、やはり、男性から…」
なんだなんだ、これは。
まさか、まさか…いやな予感がする。
「譲りあってても埒があきませんよ」

 それでは、わたしからと美知が膝を乗り出した。
「鴨田さんが、とっても喜んでくださってね。それで、他の男やもめの人たちにわたしたちがお手伝いできたらと思って」
 鴨田は頷いている。
本当なのだろうか。蔵子の脳裏に、朝の頭を抱えた鴨田の姿が蘇った。

 えへんと咳払いをして、鴨田は顎に手をやり、話し始めた。
「蔵子さん、僕も始めは驚き、頭にきましたが、きれいになった部屋を見回して、ようやくわかりました。できない事は人に助けを求めればいいってね。こんな簡単なことがなかなかできなくて、男の涸券に関わると思ってました」
「それでね、蔵子、わたしたち“リビング・エンジェル”になろうと思って」
まろみが“エンジェル?”と、肩をすくめた。
美知の話はどこへいくのかわからない。

 鴨田の話によると、ニューヨークで始まった、ガーディアン・エンジェルスをもじったそうだ。
ガーディアン・エンジェルスは犯罪防止や環境美化などメンバーがパトロールして、見て見ぬふりをしないというのがモットーらしい。
鴨田と美知は、男やもめの部屋がゴミ屋敷になったり、荒んでいくのをなんとかしたいのだそうだ。

「そこで、蔵子に相談なのだけれど、K社に『リビング・エンジェル部』を作って、鴨田さんを部長にしてもらえないかと…」
 蔵子が口を開く前に、まろみが答えた。ダメです。
 美知はなんでよと、まろみをにらみつけた。
蔵子も同感だった。

「K社で『リビング・エンジェル部』を運営していく力がないからです」
「そんなことないでしょ。活動はわたしたちがするのだから」
「活動はされても、最終的な責任はK社が負うことになります」
そりゃあそうだけど、と美知は鴨田を見た。

蔵子は続けた。
「これはボランティアですか、ビジネスですか」
「ボランティアだけど…軌道に乗ったら」
「ボランティアだって、活動資金も場所も必要でしょう」
「だから、この事務所を使わせてもらって、『新わくわく片付け講座』でもPRもしてもらって…」
 お話にならないと思い、一呼吸おいて、蔵子は鴨田を見た。
「鴨田さんはどうお考えなのですか」
「いや、その、そう言われればそうですね。なんだか舞い上がってしまって」

 “部長”というのが、鴨田をその気にさせたキーワードだろうか。
「これって、人のふんどしで相撲を取ろうって話じゃないですか」
まろみのことばに、美知は反論した。
「あんたたち、ふんどしなんてしてないじゃない」

 美知の目がぎらぎらして、まろみに飛びかかりそうになったので、蔵子は落ち着いてくださいとなだめた。
「それはものの例えです。とにかく、思い付きだけであれこれ言われても困ります」
「そう、わかったわよ。蔵子は協力してくれないってことね」
「それから、今回のように勝手に突撃しないでください。『男の料理研究会』の方たちにも、勝手にPRしないでくださいね」
 美知火山が真っ赤になって噴火した。
「せっかく人のためになると思っているのに、どうして邪魔ばかりするのよ」
「美知さん、蔵子さんの言うとおり、我々は先を急ぎ過ぎたみたいです」
 鴨田も説得しようとしたが、美知は聞く耳を持たず、飛び出して行った。
 まろみが追いかけようとしたのを、鴨田が制して、出て行った。

 開け放されたドアを見つめて蔵子がつぶやいた。
「あの二人はどうなってるの?」
「わっかりませーん」

 一週間後、鴨田が御堂夫妻と共に事務所を訪れ、頭を下げた。
御堂健太郎も、ほんとに人騒がせな奴でと詫び、妻の翔子は二人の保護者のようだ。
「それで、“リビング・エンジェル”はどうなりました」
健太郎に肘でつつかれて、鴨田は渋々答えた。

「まず、僕がカウンセリングの勉強をすることになりました」
「それは良いかもしれませんね」
蔵子の言葉に、まろみの頭の上に、いつもの? マークが浮かんだ。
 翔子は笑いながら付け加えた。
 男やもめの片付けを手伝うためには、美知のように、突然押し掛けて片付けるのではうまくいくはずがない。そうなったのにはそれなりの理由があるし、他人に干渉されるのは真っ平ごめんだと思っている。鴨田がそうだったからだ。

つまり、カチカチに凍っている。この状態を解凍するには時間をかけてゆっくりほぐしていく必要がある。この解凍の技術を学ぶためにカウンセリングの勉強をするのである。
この役は女性よりも、同じ男やもめの鴨田が適任だろうということになった。

「なるほど、鴨田さんが解凍係で、その後がエンジェルの出番なのですね」
「あの、僕にそんなことできるのでしょうか」
鴨田は自信がなさそうだ。
「それは鴨田さん自身の取り組み方の問題ですけれど、ピア・カウンセリングというのもありますよ」
 ピア・カウンセリングとは、同じ境遇にある仲間同士でしか理解しえないことを語り、互いに支持し合うカウンセリングのことである。
なるほどねえ、それならいけるんじゃないかと健太郎が鴨田の肩を叩いた。
「お話に夢中になって、お茶が冷めましたね。入れ替えましょう」

 蔵子の言葉に、まろみがソファーから腰を上げると、鴨田が遮った。
「いえ、僕は猫舌ですから、このほうが」
ごくりと茶を飲んで、ふーっと息をついた。

「あら、わたしもすっかり忘れてました」と翔子が紙袋を差し出した。
「キャー、花咲堂のラスク! 紅茶を入れてきます」と、まろみはとあたふたとキッチンへ向かった。

「それで、ミッチー先輩はどうなりました」
蔵子が一番気になっていたことを訊いた。
健太郎と翔子の目も鴨田に注がれた。

鴨田はもじもじと居心地が悪そうだ。
「いや、あの、その、いろいろと話し合いまして。彼女は素直でやさしい人ですから…」

カノジョ? 素直でやさしい? 人違いじゃないのと思いつつ、蔵子は鴨田の次の言葉を待った。
健太郎が、似合いのカップルかもと冷やかすと、鴨田は真っ赤になった。

 冗談のつもりだったが、もしかしてと三人はぎょっとして顔を見合わせた。

「僕たち、共通点がありまして…“ひょっこりひょうたん島”が…」
「さっぱりわからんから、ちゃんと話せよ」と健太郎がじれた。
「美知さんが片付けに来てくれた時に、“ひょっこりひょうたん島”の曲をかけてくれて。僕はプリンちゃんが大好きだったのですが、彼女は博士のファンだったそうで…」
なぜか、“ひょっこりひょうたん島“の話になると、鴨田は饒舌だった。

 翔子は呆れて、口をはさんだ。
「リビング・エンジェルの具体的な話をしないと、蔵子さんたちもお忙しいのですから」
 ああ、そうですねと、鴨田は計画を話した。
 鴨田がゴミ屋敷寸前の男やもめたちに接触し、カウンセリングをして、その後、美知たちが片付けをするという段取りのようだ。
一応、鴨田が代表者ということになっているが、鴨田をおだてて動かしているのは美知のようだ。
「でも、どこの誰がゴミ屋敷寸前なのか、どうしてわかるのですか」と、まろみが訊いた。
「チラシを配って、通報してもらうのです」
 通報? 指名手配ではあるまいし、個人情報が叫ばれる昨今、そんなことが可能だろうかと蔵子は考えた。
健太郎も同じことを考えたようだ。
「それはダメだよ。近所の人に通報されたと知ったら、ますますへそを曲げるぞ。うちの『インターネット茶屋』に来る人や、『男の料理研究会』でチラシを配ればいいだろう」
翔子もそのほうがいいと頷いた。

 三人が帰った後、まろみが蔵子に訊いた。
「ところで、あの、ひょっこりプリンってなんですか」
「えーっ、まろみちゃん知らなかったの」
まろみは、ぜーんぜんと首を振った。
「珍しいわね。いつもなら、ひょっこりプリンってなんですかって、すぐ聞くのに」
「わたしは、KYではありません」
おや、それは失礼しましたと笑いながら、蔵子は、昔NHKテレビで放映していた人形劇の「ひょっこりひょうたん島」とプリンちゃんについて話した。
「鴨田さんと美知さんは、それでつながっているのですか」
「らしいわね、いつまで続くやら。それより、来週の『新わくわく片付け講座』のテキストの準備はどうなった?」
これからですと、まろみはあわててパソコンに向かった。

 三ヶ月後。
まろみが外出先から、息を切らして帰ってきた。
「どうしたの、そんなにあわてて」
蔵子は何かトラブルでもあったのかと思った。
 机に両手をついて、まろみはちょっと待ってくださいと息を整えた。
「美知さんが…」
「事故にでもあったの?」
蔵子の顔色が変わった。
「ち、違います。鴨田さんと手をつないで歩いていたんです」
 蔵子はめまいがしそうだった。
また、トラブルになりそうな予感がする。
「それがね、鴨田さんが、美知さんにがっちり捕まえられているという感じで、なかなか見ものでした」
「声をかけなかったの」
「そんな、恐ろしいこと、しませんよ」
蔵子が首をかしげるとまろみは真顔で答えた。
「シマウマに飛びついて、押さえ込んでいるライオンに声をかけるようなものです」

 その頃、鴨田と美知はファミリーレストランにいた。
鴨田がシートに座ると、美知は向かいに座らず、隣に腰をすべらした。
思わず、鴨田は窓際に寄ったが、それ以上動けなかった。
美知は上機嫌で、レアチーズケーキセットを二つ注文した。
「鴨田さん、今後のことですが…」
「今後? 僕は上級コースに進もうと思っています」
 鴨田はカウンセリングの初級コースを終え、次のコースに進もうと考えていた。

まあ、いやだと美知は口を押さえ、横目で鴨田を恥ずかしそうに見た。
「わたしたちの今後のことですよ」
「わたしたち?」鴨田はぎょっとして美知をまじまじと見た。
アイラインを塗ったまつ毛がバチバチと音を立てているようだ。
 鴨田にもようやく事態が呑み込めた。
「わたしたちはパートナーだって言ったでしょ」
鴨田は体を斜めにして美知から距離を置こうとした。
「それは、リビング・エンジェルの話で、ビジネスだから…」

ビジネス~? と言った途端に、美知の顔が真っ赤になってふくらんだ。

鴨田が何も言えず、口をパクパクしていると、美知は急に猫なで声になった。
「それで?」
 鴨田の話を聞き終わった後、美知は“消えて”と出口を指差した。

 携帯で緊急事態だとファミレスに呼び出された蔵子は、ひとりでマンゴープリンパフェを食べている美知を見つけた。
「もう、緊急事態だと人を呼びつけて、のんびりパフェを食べているのですか。信じられない」
 注文を取りに来たウエイトレスにコーヒーと答えて、蔵子は腰を下ろした。
「緊急事態なのだから、しかたがないじゃない」
むすっとして美知は答えた。
「何が起こったのですか」
「わたしは『男の料理研究会』の講師を辞めます」
「なるほど、それをなぜわたしに言うのですか」
「他の人に言いたくないから」
子供のようにサクランボの軸を持って振りまわしながら、美知はつんと顎を上げた。
「辞めるのは勝手ですけど、断るのならきちんと自分で翔子さんたちに話さないと」
「だって、あの三人は鴨田の仲間だから」
「はは~ん、先輩はふられたんだ」
「わたしが二股男に引導を渡したのよ。あいつはわたしにはパートナーだとか何だとか言いながら、カウンセリングの教室で知り合った女に熱をあげているのよ」
そういえば、最近の鴨田は着るものもこぎれいになって、コロンの香りが漂っていた。
美知の影響かと思っていたが、相手が違ったようだ。

 スプーンで生クリームをすくいながら、美知は悔しそうに、わたしはもてる女なのにとつぶやいた。
 もてる? どこが? 荷物が? と思いつつ、蔵子はハッとした。
そういえば数年前に死刑が求刑された女は、料理がうまくて、ぽっちゃり型で、一見どこにでもいる普通の…これが「もてる」の意味?
それで、美知も勘違いをして、鴨田に突撃したのか。

逆立ちしても美知に結婚詐欺は無理だ。
詐欺に引っかかるカモの可能性はないとはいえないが。
鴨田にカモにされなくて良かったとか、まろみなら云いそうだが。
「ミッチー先輩、鴨田さんだけが男じゃないですよ」
美知は、スプーンを持つ手を止めて、きっと蔵子をにらんだ。
「わたしは男やもめの救世主だから、一人の男だけにかまっていられないわ」
「そうですよ。先輩を待っている人が世の中にいっぱいいますから、ね」
そうだ、そうなのよと美知はドンとこぶしでテーブルを叩いた。
「鴨田なんかあてにせずに、蔵子のところで働くわ」

おっと、そうきたか、ここで計略に乗ってはいけないと蔵子は力説した。
「いえいえ、先輩は料理教室にエネルギーを注ぐべきです。才能を無駄にしてはいけません。『ミッチーの男やもめレシピ』をブログで発表してはいかがですか」
「そうね、ブログのことを忘れていたわ。そうと決まったら、『インターネット茶屋』のパソコンおじさんに相談しなくちゃ。蔵子、お勘定よろしく」美知はそそくさと出て行った。 

 あの人たちには話したくないと言ったくせに、この変わりようはどうだ。これなら“失恋の痛手”というのも吹き飛んでしまったのだろう。
ケーキセット2つに、ぜんざいセット、焼き芋ワッフル、ブルーベリーのクレープ、マンゴープリンパフェ、コーヒー、ほんとにこれだけ食べたの? 
わたしのお財布を救済して欲しいと思いながら、蔵子は店を出た。

 事務所に戻ると、まろみが心配していた。
蔵子が、美知の緊急事態は、山ほどのデザートを平らげて解消したみたいと話すと、まろみは相変わらずですねえと面白がった。
「冗談じゃないわよ。お陰でわたしのお財布は空っぽ」
「情けは人のためならず、でしたね」とまろみは蔵子の肩を叩いた。
あらら、まろみちゃんに一本取られたと、蔵子は苦笑いで続けた。
「もうあの人たちのことは勝手にしてもらいましょう。鴨田さんもカウンセリングに行って元気になったみたいだし、『男の料理研究会』には、おひとりさまの男たちが集まっているもの」
「鴨田さんも、美知さん以外のリビング・エンジェルとはうまくいってるみたいですから」
ほんとに? 蔵子は初耳だった。

「鴨田さんがカウンセリングの実験台に選んだ男子大学生の処へ、リビング・エンジェルが片付けに行ったそうです」
「そこに、ミッチー先輩は入ってなかったの?」
くふふとまろみは笑った。

「美知さんの仕事場を片付けたのは、わたしたちではないですか」
確かに、美知の部屋はすさまじかった。
「美知さんは、大音量で音楽を流してハッパをかけるだけで、なにもしないそうです」
そういえば、鴨田のところでも、ずっと布団を叩いていた。
それだけだったのか。

「要するに、美知さんは『男の料理研究会』に専念してもらうのが、皆の幸福みたいです」
「それじゃあ、今日の出来事で、納まるとこに納まったわけだ。今夜は厄落としにぱーっといきましょうか」
「鴨鍋なんてどうです」まろみはにやっとした。
鴨はもうごめんよと蔵子は肩をすくめた。
「それでは、ちゃんこ鍋にして元気を出しましょう」
 ガタンと言う音がして蔵子のいいわねえという声に重なり、甲高い声がした。
「ありがとう。まろみちゃんがごちそうしてくれるなんてうれしいわ」
キャー、美知さんだ!
はてさて、男やもめに花は咲いたのでしょうか???
 
23章 終

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くらしかる案内


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